幽霊と僕君(ぼくくん)

 次の日、またしても昼休みになると俺は屋上へ向かっていた。

 もはや恒例だな。


 たぶんまた今日も、月野が書いてくれているであろう小説の続きを読むことになると思う。ただ、近頃じゃ俺は月野の小説を読むのが、どこか小さな楽しみみたいになってきてたんだよな。あんまり意識してなかったんだが。


 屋上に出ると、そこには誰もいなかった。

 今日は、まだ月野も来ていなくて、俺一人だったんだ。

 今日は少し天気がいい。

 上空にはしっかりと青い空が広がっていて、雲もまばらだ。

 風もそれほど強くなかったから、絶好のひなたぼっこ日和だと思っていた。


「先輩、早いですね」

「ん? ああ、月野。来てたのか」


 俺は、屋上の真ん中で気持ち良く身体を伸ばしていた。

 そんな俺の後方に、いつの間にか月野が立っていたんだ。


「今日も書いてきたのか」

「……はい」


 そう言って、月野は照れ臭そうに自分の長い髪をいじっていた。

 やっぱり恥ずかしがり屋系女子の代表格みたいな奴だな。

 最近、月野の前髪がなんとなく気になっていた。

 少し目が隠れるくらいの、絶妙な長さだった。


「月野……」

「……はい?」

「いや、なんでもない」


 髪を切ったほうが可愛いんじゃないかって。

 そんな事をふと思ったんだが、俺が言うのもなんだかおかしいな。

 別に付き合ってるわけでもないし、恋愛指南をしてほしいと頼まれたわけでもないしな。


「今日も、読んでくれますか?」

「え? ああ。読むぞ」


 月野からノートを受け取った俺は、その日も月野の小説の続きを読むことにした。



・ ・ ・ ・ ・



 幽霊は、夜のあいだずっと僕のそばに居てくれるわけではありませんでした。

 ひとしきり自分の身の上話をし終えると、幽霊は檻のまわりを覆っていた暗闇のなかへ、溶けていってしまうのでした。

 幽霊は、微笑みながら溶けていってしまいました。

 優しいような、憐れむような、悲しいような、そんな表情でした。


 僕はそんな幽霊を見て、寂しいなと思いました。

 でもそれを顔に出すことはしませんでした。

 なぜかわかりませんが、消えていってしまう幽霊に自分の気持ちを知られることが、僕はとても怖かったのです。


 翌日もいい天気でした。

 風もほどよい温度で、適度な強さだったので、僕は日中ずっと眠ってしまっていました。

 檻の中には食べ物なんてありません。トイレもありません。でも不思議なことに、僕はそれらを必要としていませんでした。


 本当に不思議でした。

 僕が生活する上で必要だったのは、適度な太陽光と、呼吸のために必要な空気だけだったのです。


 あ、それと睡眠も必要でした。

 夜中に幽霊と話しているせいもあって、こんな日の高いうちから僕は眠るようになっていました。身体が、お昼寝することをのぞんでいました。


 起きてみるともう夕方で、檻の格子の本数なんかを数えていると、もう夜になっていました。

 天井の真ん中にさがっていたランプに、またしても明かりが点きました。

 すると、当然のように、またどこか遠くから「ぽんぽん、ぽんぽん」という音が聞こえてきました。


 僕は嬉しく思いました。

 また幽霊に会えると思い、また話せるんだと思い、また楽しい時間を過ごせるんだと思い、胸が高鳴っていたんだと思います。


「また君はかわいそうな所にいるんだね」

「幽霊さん、こんばんは!」


 でもこの気持ちの高鳴りや嬉しさを、幽霊に直接伝えることは、ちょっと難しいと思いました。

 何しろ僕は、幽霊に見下されていました。

 そんな中、僕だけ幽霊に会いたいだなんて、なんだか悔しいじゃないですか。


「幽霊さんは今日も楽しそうだね!」

「もちろんだよ。私は今も昔も楽しい人生送ってるし!」

「いいな、いいな。幽霊さんは、今の人生も楽しいの?」

「そうなんだよね~。死ぬ前は、絶対死にたくなんてない! って、そう思ってたんだけどさー。いざ死んでみると、こっちの世界も普通に楽しいんだよね!」


 幽霊は、ケラケラと陽気に笑っていました。

 そんな楽しげな幽霊を見ていると、なぜか僕まで楽しい気持ちになってくるので、不思議なものだなと思っていました。


「なんでそっちの世界も楽しいって、そう思うの?」

「それはすっごい簡単な質問だね。死んだ後の世界は「オリジナリティ」であふれているから。これに尽きると思う」


「オリジナリティ?」

「そうだよ~。死ぬ前の世界は、あっちを見てもこっちを見ても、かーなり見覚えのある二番煎じなものばっかりだったんだけどさー」


 幽霊は、かなりをカーナビみたいに言っていました。

 僕はそんな幽霊のしゃべり方に、くすくすと笑ってしまいそうになるのでした。


「死んでしまったあとの世界は、見た事ない物とか、知らなかった事ばっかりなんだよね。だから本当、新鮮で楽しい! って感じなんだよ!」

「へぇ~、そうなんだね!」


 僕が関心することしきりなので、気を良くした幽霊は、次々に自分の驚いたことを僕に話してくれました。僕が関心することもあれば、うまく理解できないこともありました。


 幽霊は、死後の世界で創作をすることが、今の自分の生きがいなのだと主張しました。

 幽霊なのに生きがいだなんて言うので、僕は思わず笑ってしまいそうでした。


 でも同時に、羨ましくもありました。

 僕はずっと、この檻の中に閉じ込められていて、生きがいなんて感じたこともありません。

 強いていえば、夜になると訪ねてくるこの幽霊と話すことだけが、言ってみれば僕の生きがいのようなものでした。


 僕も幽霊になれば、檻の外へ、すすーっとすり抜けていけるのに。

 僕も幽霊になれば、死後の世界に転がる新鮮なものに触れて、楽しく生きていけるのに。

 僕はそんな事を、むなしくも想像してしまうのでした。


「あ、でも君、少し注意が必要なんだよ」

「注意?」


 それまで愉快に話してくれていた幽霊は、突然話す調子を変え、真剣な語り口になったのでした。


「注意だよ。オリジナルなものを作るっていうのは、未知で、予測不可能で、時に険しい道のりになることだってあるんだよね」

「……そうなんだね。けど、幽霊さんは楽しいんでしょ?」


 僕が改めて楽しさを確認すると、幽霊は満面の笑みを浮かべて答えるのでした。


「そうだよ~! もちろん、そういう不安要素があるからこそ、楽しさも際立つのかもね!」


 やっぱり羨ましいなと思いました。

 幽霊の話は、いつまで聞いていても飽きないかのようでした。

 僕は、このままずっと、夜が続いてくれればいいのにと思っていました。


 でもそんな願いは叶いません。

 それに、夜がいくら続こうとも、幽霊はある程度話してしまうと、また微笑みを浮かべて檻の外へ消えていってしまうのです。

 空がだんだん白んできて、朝がやってきてしまうのです。

 僕はまだ夜の中を過ごしていたいと思っていましたが、現実はそうはいかないようでした。



・ ・ ・ ・ ・



 今回はここまでのようだった。

 なんとなく、既視感が強いなやっぱり。

 なんだこの奇妙な感覚は。


「死んだあとはオリジナリティにあふれてるんだな」

「そ、そういう設定なだけです。……私がそう考えてるっていうのも、大きいんですけど……」


 月野の小説に登場してくる田辺……いや幽霊さんは、どうやら現在、満足の行く生活を送っているらしかった。

 知らない世界はオリジナリティにあふれ、楽しいんだと。

 田辺の話でいえば、あいつは妄想の中にオリジナリティがあると、そう主張していたと思う。そんな田辺にそっくりな幽霊が、楽しいと言っている。

 俺はそんな話の内容に、少しぞっとしていたんだ。


「なぁ、月野……いや……やっぱりいいわ」

「?」


 俺はある事を月野に確認しようとしたんだが、やめる事にした。

「月野がそう考えている」のなら、わざわざ確かめなくてもわかっている事だった。


 月野の小説を読んで、俺はある仮説を思いついていたんだ。

 創作をする人間が自殺する場合の理由。

 それはもしかしたら、死んだその先に新しいオリジナリティのヒントがあるのかもしれないとか、そういう気持ちが湧いたからなんじゃないのか?

 創作に行き詰った辛さから、というのももちろんあると思うんだが、少しくらいは、死後の世界を見てみたい気持ちがあったからなんじゃないか?


 月野でさえ思うんだ。実際に創作をする人の中にも、そう考える人がいたって不思議じゃない。


 ただ、これはかなり危険な考えだなとも思った。

 しかも、月野に確かめるのも、気が引けるし。確かめようにも、月野が素直に答えるとは限らない。

 でもこの考えには、どことなく腑に落ちるような部分もある。


「木下先輩……こ、今回の感想はありますか?」


 また月野は、読み終わった俺にそう言って感想を求めてきた。


「ああ。主人公の僕君は、なんだかすごく寂しそうなやつなんだな」

「……はい。そうなんです。檻の中で生きながら、生きがいを求めてるって感じなんです」

「幽霊と話すことが生きがい、と」

「はい。彼には、それしか生きがいがないんです」


 月野はきっぱりとそう言った。

 それまであまり吹いてこなかった屋上の風が、その時軽く俺達の間を抜けていった。


 なぜかはわからないが、俺はこの檻の中に囚われ続けている「僕君」に、少しだけ自分を重ねて小説を読むようになっていたと思う。

 ただ、小説の主人公に読み手が感情移入しやすいのは、そもそもの話だ。俺もその例にもれず、僕君に感情移入してしまう事があるだけ。


 ただそれだけだと思う。

 それなのに、なんだか妙な気持ちだった。

 この主人公は、二番煎じではないような気がしていたんだ。

 それはこの主人公が、俺の進むべき道を照らしてくれていると、そう感じていたからかもしれない。

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