第39話 百鬼夜行の終わり

 一方、早池峰祭メインステージでは黒い妖怪の波に呑まれた観客達の抜け殻が累々と転がっていた。いずれも妖怪達に魂を抜き取られている。生者の魂はステージ上の黒い大蛇とその中心に座する少年に吸い取られ、彼らに更なる力を与えていた。

 百鬼夜行の怪異達は、なおも新たな犠牲者を探しステージ外へ行進を続けている。

 スタンドマイクに齧り付く黒い狐を振り払いながら、アリスは額に汗を流した。

「まったく、埒が明かないわ!」

 同じく畳んだパイプ椅子を盾にする総司郎とその背に隠れる琴子も、波のように迫り来る怪異をやり過ごすので精一杯だった。

「ゆめちゃん、食べられちゃったけど……大丈夫だよね? きっと、生きてるよね?」

「これまでも結崎は散々無茶をしてきましたが、その度生還しています。……先輩である俺達が、信じる他ないでしょう」

 眼鏡をかけ直し、総司郎はそう冷静に言う。その瞳は真っ直ぐに、彼女の生存を信じていた。琴子も小さく頷いて、彼の背に取り縋って祈る。

「ゆめちゃん……どうか無事に戻ってきて……!」

 黒い風巻き起こる場内で、彼女の願いに呼応するかのように視界の端で白い光が瞬いた。驚いて三人が振り向いた先で、何の変哲もないトートバックが光を放ち、宙に浮かび上がっている。

「あれは……琴子の鞄……?」

 己の目を疑うアリス。鞄から滑り出るように神々しく姿を現したのは、白い紗の羽織だった。

「マヨイガで見つけた羽織……持ってらっしゃったのですか」

 総司郎は数ヶ月前に迷い込んだ屋敷を思い出し、驚きに目を見開いた。その上質な上羽織は、ひらりひらりと優雅に裾をはためかせ、そして迷うことなく大蛇が鎮座するメインステージへと飛んでいった。

 頼りなく揺れて少年の目の前に現れたその薄布に、彼は目を向ける。

「ん――?」

 それが何だかを理解するより前に、腰掛けていた蛇の腹が突如膨張し――遠野のすべての命を食らっていた大蛇は、体内から眩い光を溢れさせて爆散した。

 突然のことに、少年は驚きを隠せないでいた。

「何が! 何が起こったんだ!!」

 清らかな光の奔流は散り散りになってそこらに舞い、地に倒れ伏す人間達の身体へ還っていった。気が付いたように、観客は何が起こったか分からないといった様子で身を起こしている。

 還るところのないいくつかの魂は、その場で形をとって現世に顕現する。

 見る見るうちに少年の身体から力が抜けていく。

「馬鹿な、誰がどうやって――」

 狼狽える彼の言葉は、頬を掠める銃弾に掻き消された。

 遅れた銃声に振り向くと、そこには総髪頭の伝説の猟師トリガーハッピー――佐々木嘉兵衛が猟銃を構え、不敵な笑みを浮かべていた。

「はっはー! ようやく身体を取り戻せて清々しいわい! おのれ余所の妖怪共、おれの鉄砲が火を吹くぞ!」

「嘉兵衛……人間は巻き込まないように程々にするだよ」

「分かっておるわ!!」

 年上の婚約者である寒戸さむとばあ――サダがその背で窘める。嘉兵衛は次々に装填し躊躇いなく引き金を引き、的確に余所の怪異達を撃ち抜いていった。

 ステージの階段脇で姿を取り戻した赤河童の娘も加勢しようと、水掻きのある掌を振るう。

「うふふ、河童を怒らせると怖いですよ……とうっ!」

 すると近くの水道栓が突如爆発して水柱を吹き出し、屋台で提供していた飲料達はこぞってペットボトルを飛び出した。それら全てが濁流となり、地に這う蛇や狐達をピンポイントにさらって流し去って行く。

「これカヨ! ここは我に任せて――」

 若草色の着物の少女を守りながら拳を振るう馬頭の男は、その後ろですきを振り回す彼女に狼狽した様子で語りかけた。

 馬に恋した少女――オシラサマの一柱、カヨは餓鬼を凪ぎ払い、鼻を鳴らして得物を地に突き立てた。

「馬様、馬様を食った彼奴きゃつらにカヨは怒り心頭ですのよ。今日ばかりはカヨも一矢報いませんと気が済みませんの!」

 彼らの向こうでは、砂と松脂の鎧を纏う猿の経立ふったちと影から生まれたように黒い狼の群れが束になり、見上げるような大坊主に食らいついていた。

 遠野の怪異が入り乱れる状況にアリスも琴子も総司郎も目を白黒させた。凄まじい勢いで、少年の放った黒い怪異達は姿を消していく。

 形勢が途端に有利になったのは火を見るよりも明らかだった。

 ステージ裏でその様子を見ていたアリスの目の前に、赤い着物の少女が姿を見せる。

「きく!」

「お嬢様……ご無事で」

 遠野の屋敷神――座敷童子のきくは、かつての親友を守るようにアリスの前に躍り出る。

 何処からともなくひょっこりと現れた赤半纏の好々爺――赤毛布あかげっとの乙爺はほっほっほ、と愉快そうに笑う。

「ほほ、やりおったわい。黒髪の娘……いや、天狗の嫁入りじゃな」

「乙爺だ!」

「嫁入りとは……?」

 首を捻る総司郎。見れば分かるよ、と乙爺はメインステージの上空を指差した。

 遥かビル十階ほどの高さに舞っていたのは、三人が良く知る実行委員の後輩達だった。



 暗闇の世界から一転、突き抜けるように青い秋空に投げ出された夢路は、晴臣にしがみ付いたまま叫ぶ。

「うおっ!? あたし達飛んでる!?」

「正確には落ちてる」

 彼の言う通り、地球の引力に逆らうことなく二人の身体は地に向かって自由落下していた。夢路の黒髪が風にたなびいている。

 晴臣は胸に抱く彼女の耳元で囁いた。

「ゆめ、少しの間だけ……俺を怖がるなよ」

「誰が未来の旦那様を怖がるかよ!」

「……そうかい」

 夢路の言葉に笑って、彼はそっと目を閉じた。片手で印を結び、己の内に秘めた力を解き放つ。

 すると茶髪頭はぞわぞわと逆立って白髪へ変わり、肌は血色に染まった。見開いた翡翠色の瞳を初めて見た夢路は、小さく息を呑んだ。

 本来の姿を現世に現した遠野の神――天狗は、その紅に染まる掌を天に掲げる。

「俺の庭で好き勝手やるのは終いだ、はぐれ者の怪異共よ……遠野の山の神の末裔である俺が、貴様らを消し去り円環の彼方へ送り届けてくれる!!」

 彼の言葉に呼応するように、遠野大学に舞う桜の落葉が宙に舞って光を放ち、幾千もの矢となって侵入者達へ降り注ぐ。

 輝く葉の矢にその身を貫かれた余所者の怪異は、成す術なくその身を綻ばせ、影のように消え散っていった。

 そこへ上昇気流に乗るかのように、白い紗の羽織が二人の前に飛んできた。それは夢路に与えた契りの金子と同じく、晴臣が行方を見失っていたものだった。

天窓てんそう紗織しゃおり……! こんなものどこに」

 羽織は持ち主にかしずくようにひらりと揺れたかと思うと、夢路の肩にふわりと纏った。

「え、何!? これどうしたらいいんだ!?」

 当の彼女はどうしていいか分からずその裾を摘む。落下の勢いでも、羽織は持ち主を決めてしまったかのように離れなかった。

「……代々天狗に嫁入りする娘に与えられる羽織だ。妖怪のくびきへ足を踏み入れる人間のために、最後の未練を叶えてくれる」

 契りの金子に呼応して、羽織が夢路を天狗の嫁だと認めたのだ、と晴臣は理解した。

 そして迫る地上を睨み、彼女に言い渡す。

「ゆめ! 何か願え! この状況を打開するだけの、お前の魂の願いを!」

 魂の願い、と聞いて少女は不敵に笑った。

 そんなもの、夢路の中ではとうに決まっている。


「イケメンの彼氏と……委員会の皆と、そして遠野の妖怪達と!! めっちゃくちゃ死ぬほど楽しい学生生活を!! 送らせてくださああああああああい!!!」


 すぐ隣で聞いていた晴臣はにやりと笑った。

 ありったけの声で叫んだ彼女の願いは、彼に膨大な力を与え――翳す血色の掌の先に、錦に輝く巨大な剣が生まれた。

 勅命を下すように、それを迷いなく振り下ろす。と、それは光の速さで空気を引き裂き、真っ直ぐにステージ上の少年を貫いた。

「ああ……! ああああ!! あともうちょっと……だったのに……!」

 剣に触れた傍から身体が綻んでいき、騒動の元凶たる少年は塵芥となって空気に溶けていく。その魂の一欠片に至るまで、輪廻転生の彼方へ送り届けたのだった。

 しゃれこうべの頭を掴んでいたヤマハハは、枯れた掌の中の獲物が砂のように消えていくのを眺めていた。そして天から舞い降りた山の主に傅く。

「ワカ……ゴブジデ ナニヨリ……」

 剣を地に放った反動と神通力とでステージ上に軟着陸した夢路と晴臣は、観客席から湧き起こる歓声に目を見張った。

 見れば魂がその身に戻ってきた観客達は、此度の妖怪達の騒動と二人の大立ち回りを一種のイベントか何かと勘違いしているようだった。彼らに紛れ、同じく魂を取り戻し外敵を退けた遠野の妖怪達も歓喜に沸いていた。

 人間も妖怪も、その耳目は夢路と晴臣二人に向けられている。

「え、えーっと、これは……」

 急に我に返り、天狗の顔のままあたふたしだす晴臣。

 ステージ袖から、赤髪の実行委員長が腕を組んで声をかける。

「あらハル、遅かったじゃない。それに夢路も。あんたの『お願い』、ぜーんぶ聞こえてたんだけど?」

 口元のにやつきを抑えることなく言い放つ彼女の陰で、琴子もカンペのように『ここで決めろ!』と書いたスケッチブックを掲げている。

「二人ともそういう感じに落ち着いたんだねえ。おめでとうゆめちゃん!」

「腹を決めろ、葉乃矢」

 着陸し身を寄せ合ったままの一年生二人に、総司郎は「そうやって戻ってきたならやることはひとつだろ」と言わんばかりに眼鏡をかけ直す。

 その意図を汲んだ晴臣は面食らって目を白黒させたが――傍にいた夢路は躊躇いなく背伸びをして、彼の唇を奪った。

 文句なしに、それは新たなカップルが成立したことを人間にも妖怪にも知らしめるものだった。

「うおおおおおおおおおおおおおお!!」

 秋風薫る遠野大学の学内を、割れんばかりの拍手と二人を祝福する声が埋め尽くした。

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