第37話 早池峰祭
十一月三日、秋深まる文化の日。落葉も目立つ正門の桜の木々をよそに、遠野大学は来るべき日を迎えた。
すなわち――年に一度の
いつもは人影もまばらな学内も、この日ばかりは賑やかに人で溢れている。朝から屋外メインステージで行われている芸能人のトークショーや出し物を目当てに、学生だけでなく周辺の地域住民がこぞって来客し、賑わいに一役買っていた。
校舎に囲まれた広場には様々な屋台飯が並び、学生達は思い思いのコスプレ姿や大きな看板を抱えて通行客に声をかけ、宣伝に勤しんでいる。
「いやー大盛況御礼だねえ」
早池峰祭実行委員会の黄色い法被を羽織った琴子は、ステージの裏から広場の人だかりに目を遣り目を丸くした。壇上では岩手県出身の芸人コンビがコントを披露し、観客の笑いを誘っている。上々の反応に、アリスも満足そうに頷いた。
「ていうか本当、よく出てくれたわよね。Mー1ファイナリストでしょ? 予算でギャラ足りたの?」
「うふふーすごいでしょ。そこは私のコネの力だねえ」
「来場者アンケートも良い反応ですね」
鼻を高くする琴子の横でパソコンを開く総司郎は、リアルタイムでのアンケート結果を確認する。
全くもってどんなコネをどう使えば、そんな関東でも引っ張りだこな芸能人をこんな片田舎の小さな大学にキャスティング出来たのかは不明だが、そこは本人の言う通り例年学祭委員で芸能人担当を引き受けてきた琴子の手腕によるものなのだろう。
具体的にどうやって、は敢えて問わないことにしたアリスは夢路を振り返る。
「あとはこの後のミスター&ミスコンだけど……」
当の本人は舞台袖から観客ひしめく席にぼーっと目を遣っていた。艶めく黒髪は彼女の少し物憂げな横顔を隠している。その双眸はいつもの根拠のない自身に輝いてはおらず、元気な黄色の法被に負けていた。
「ほら何ぼさっとしてんの夢路!」
「ふげっ」
アリスのチョップを食らった夢路は頭を押さえて蹲った。完全に不意打ちだった。
「現物がいない今、写真パネルだけで乗り切るにはあんたのテンションにかかってるんだから!」
「わーってるよ!」
彼女は雑に黒髪を掻き上げた。
どういう訳か、これまで遠野の山々で出会ってきた怪異達はすっかり鳴りを潜めてしまっていた。何度山に入っても見つからず、また街中に溢れていた奇妙な怪奇現象もここ二週間ほどはぱったりと噂を聞かなくなっていた。
晴臣の行方は依然として知れなかったが、それだけでなく赤い河童も、図太い猟師も、化粧で生まれ変わった妙齢の女も、赤い半纏の好々爺も、馬男と娘の夫婦も、おかっぱ頭の座敷童子も、恐ろしい山姥でさえも姿を現さなかった。
遠野には最初からそんな妖怪などいなかったようだった。夢路はそれが余計に寂しかった。
本当だったら、そんな不思議な存在達と賑やかに学園祭の日を迎えていたのだろうか、晴臣と一緒にこの景色を見ていたのだろうか、などと考えてしまい、夢路は頭を振った。
いないものはしょうがない。ひとまず与えられた任務を遂行して、感傷は後にすることにした。
両頬を張り飛ばして眩しい壇上を睨む。芸人コンビのコントも終盤に差し掛かろうとしていた。
「さーて気合い入れてくか……」
意識を切り替え、法被の襟を正したその時。
コントを終えたコンビがステージから退場したその瞬間、無人の壇上に黒い竜巻が巻き起こった。風の渦は深く波打ち、スタンドマイクを巻き込んで見る見るうちに見上げるほどの大渦に膨れ上がった。それはステージ上で轟々と音を立て、観客の悲鳴を、周囲の耳目を飲み込んでいく。
「何だよあれ……!」
舞台袖から引き摺り出されそうな風を起こす竜巻に、夢路は暴れる髪を押さえた。秋風にしてはやたら唐突で暴力的だ。右往左往する観客を退避させようと舞台裏でアリスがマイクを手に取ろうとしたが、不快な声がそれを遮った。
「ふふ……あははは!! 非力な人間共、その魂を奪いに来たよ」
それは金属を引き裂くような音にあどけない少年の声が混じる、耳障りな声だった。何かの演出でも始まったのかと、観客達は足を止めステージに注目する。
竜巻の中央から現れたのは、サスペンダー姿の少年だった。
「悠久の時代より霊力が溢れ怪異の住処となれる稀有な地……遠野の表も裏も、僕らが貰い受ける!!」
少年がゆらりと手を振ると、何処からともなく蛇が、狐が、人ほどもある大
「あれは――遠野のものでない怪異……!?」
舞台袖で、総司郎は驚愕の表情で無数の異形達を見ることしかできなかった。まろび出た余所者の怪異達は、意志を持つように観客達に向かって列を成していく。
その大行列はまさに、かつて江戸の夜を闊歩したという百鬼夜行そのものだった。
「うわああああああ!!」
客席は騒然となり、我先にとステージを背に駆け出そうとする。しかしそれを押し留めるように妖怪達は行く手を塞ぎ、観客に触れた。するとその身体から青白い光を放つ人の塊が浮かび上がり、成す術なく妖怪達の口に収まっていく。
「人の魂を……食べてるの……!?」
驚きに目を見開く琴子の前で、食われた観客は糸が切れた人形のように崩れ落ちた。
夢路は妖怪の奔流を呼び寄せた少年に厳しい目を向ける。
「てめえ……!何を」
「天狗の力の残滓……あは、お姉ちゃん、久しぶり」
腕に巻き付く小さな蛇を弄びながら、少年は夢路に視線を遣った。
途端に彼女の頭の中に、遠野の山の中で少年と出会った記憶が束になって去来する。
「最期だし、何もかも思い出させてあげたよ」
「……クソガキ、てめえ!」
掴みかかろうと夢路は竜巻に向かって一歩踏み出すが、少年が腕を振るうと黒い風が巻き起こり、行く手を阻んだ。
「お姉ちゃんのお陰で遠野の結界を壊せたんだし……僕って親切だと思わない?」
「あたしの、せい……だと!?」
「可哀想だから、蛇の腹の中で会わせてあげよう。天狗のお兄ちゃんに……もう現世に顕現できるような力は残っていないけど」
「……! てめえ、ハルに何しやがった――」
暴風に竦む足に鞭打ち、竜巻の主を睨みつけたその時。
少年の呼びかけに応えるように黒い風が形を成し、瞬く間に巨大な蛇へと姿を変えた。その
「さよなら、お姉ちゃん」
とぐろを巻く大蛇は、少女の悲鳴すら上げさせずに一飲みにした。
足元に
「夢路――!!」
荒れ狂う豪風の中で、少年の高笑いだけが響いていた。
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