第33話 行方知れず

 明かされた事実に、彼女は目を見開いて言葉を失った。

 学祭実行委員に拉致され椅子に縛られていた姿。慣れない会計業務にグロッキーになっていた背中。いつも夢路の隣にいて、どんな無茶を言っても何だかんだ言いながら着いてきた男。

 これまでの思い出が次々と浮かび、その呆れ笑いを思い出し、夢路は目を伏せた。

「あいつ、そんなこと一言も言わなかったくせに……」

「まあ言いにくいこともあったんじゃろうし、そこはほら、汲んでやってくれんか。あれもそれなりの時を生きてはおるがの。正体を告げて人間と生きていくことに何か考えるところがあったんじゃろ」

 ほほ、と朗らかに笑う乙爺。人間としても幽世の住人としても長寿の彼にとっては、若い男女の淡い色恋沙汰のようなものは見ていて楽しいのかもしれなかった。

 渦中の夢路は心の整理がつかないまま、大きく溜息を吐く。

「……帰る。あいつとっ捕まえて色々聞かなきゃならねえ」

「まあ素直に聞いて答えるとは思わぬが……」

 乙爺の言葉にも構わず踵を返す夢路。黙って一緒にいたことにも腹が立っていたし、彼の大事なものを夢路が持っていたことをどう思っていたのかも分からなかったし、とにかく何が何でも問い詰めてやるつもりだった。

「ここ遠野のどこだよ」

幽世かくりよじゃ。儂らの住む世界じゃよ」

「は?」

 てっきり山奥のどこかの集落に迷い込んだと思っていた夢路は面食らった。そういえばここにどうやって辿り着いたのか、まったく覚えていない。

「死者しか来れぬはずのここへ、耳飾りも天狗の手引きも無しに来るからびっくりしたのじゃよ。無茶をするような娘だとは思っておったがの。死にに行くようなことをしたのかの? 早く戻らねば、魂がこちらに馴染んで戻れなくなるぞい」

「初耳だわ! もっと早くそれを言えよ! てかどうやって帰るんだ」

 門を潜って赤い芥子の咲く庭に来たことは記憶しているものの、それ以前に何をしていたのか思い出せない彼女は、乙爺の両肩を掴んでがくんがくんと揺らした。

 彼は意にも介さず安穏と寺の門を指差す。

「ほれ、そこの門を潜ってきたじゃろ。であれば戻るのも門を潜るのじゃよ。元々門や辻というのは幽世と現世の境目などとも言われておって――」

「大変だあ、夢路! こうしちゃあいられねえだよ。早ぐ現世さ帰らねえと」

 乙爺の言葉を遮って、サダは慌てたように声を上げた。彼女の言う通りのんびりしている暇はなかった。

「お、おう。じゃあな!」

 急かされるがままに手を挙げ、門を目指して走る夢路。浮遊感の残る足取りがふわふわと気持ち悪かった。

 簡素な石の門を潜った途端、彼女は真っ白な光に包まれ、思わずその瞳を閉じた。



「夢路? 夢路! はあ良かった……」

 一向に目を覚まさない夢路に声をかけ続けていたアリスは、ようやく気が付いた彼女に安堵して大きく息を吐いた。

「アリス……?」

「死んじゃったかと思ったじゃない、馬鹿」

 ほんの少しだけ涙ぐんでいたアリスは、そう言ってそっぽを向いた。辺りはすっかり日が暮れ、二人の少女は暗い夜の森の空気に包まれていた。

 夢路はたった今夢で見聞きした内容を反芻し、痛む腹を押さえて起き上がる。周囲を見渡したが、しかしとっ捕まえて話を聞かなければならない男の姿はどこにもなかった。

「……ハルは?」

「そのことだけどね……」

 言いづらそうに目を伏せるアリス。その仕草で、夢路は何となくその後の言葉の察しがついた。

「……いなくなったわ。何も言わずに」



 翌日、授業もそこそこに昼間から空き教室へ集まった実行委員の四人は、各々の顛末を伝えた。総司郎と琴子は山を駆け巡る合間にマヨイガを見つけて猿の猛追を躱し、無事逃げおおせたようだった。

 対する夢路とアリスは、浮かない顔でヤマハハとの遭遇と晴臣の失踪とを伝えた。

「ハルくんが……そんな」

 アリスが見たという晴臣の様子を聞き、琴子は口元を押さえて言葉を失った。

「信じられないかもしれないけど……実際私達はヤマハハに襲われて生還してるのはハルのお陰よ」

 机に腰掛け、やれやれと首を振るアリス。信じられないのは彼女も同じだった。

 夢路は終始気を失っていたため彼の変貌を目の当たりにしていなかったが、他のメンバーには夢で会った乙爺との話について語った。アリスの見たものと総合して考えると頷ける点が多かったからだった。

 無論、婚約者云々の話は伏せ、人間界に遊びに来ていた天狗の子という話題に留めてはいたが。

 総司郎は眼鏡をかけ直し、ふむ、と頷いてその話を聞いていた。

「結崎の見たという夢の話も信憑性が高いな。いやしかし、よく生きて帰ってきたものだ」

「あたしもまさか幽体離脱することになるとは思わなかったっすね……」

 あのまま幽世に留まっていたらサダや嘉兵衛のように死んでいたかもしれない、と思うと夢路は身震いした。

 口を噤んでいた琴子は、神妙な面持ちで語り出す。

「私ね、ハルくんと同じ法学部でしょう? 昨夜いなくなったって聞いて、ゼミの後輩に聞いてみたんだけど誰もそんな人知らないって言うの。だから学生課に問い合わせたんだけど……葉乃矢晴臣っていう学生は在学していないって、そう言われたの」

「最初から、遠野大学には入学していなかったんですね……」

 琴子と総司郎の言葉に、夢路は虚を突かれたような思いがしていた。確かに晴臣は授業に出ている様子もなく、いつもこの空き教室にいた。深刻なサボり魔だと思っていたが、学内での彼の居場所はここだけだったのかもしれない。

 晴臣の普段の素行に合点がいって、夢路は

「学生のふりをして学内をうろついているところを、新入部員勧誘中のアリスに拉致されたってことか……」

「……私もまさか天狗だったなんて思わなかったけどね」

 そう言って溜息を吐き、アリスは少し怒ったように鼻を鳴らす。

「まったく、私達を見くびらないでほしいわよね。今更人間じゃなかったとしても、そんなことどうだって良いのに」

「ハルくんは早池峰祭はやちねさい実行委員会の会計兼その他担当。それは変わらないのにねえ」

 琴子も追従し、他の三人も頷いた。

 春からずっと、彼らは様々な怪異に巻き込まれてきた。けれどその度に力を合わせ、活劇を繰り広げて何度も生還してきたのだ。学祭実行委員会としても順調に事は運び、五人で迎える秋の学園祭の開催を楽しみにしてきたというのに。

 一方的に晴臣の方から繋がりが断たれたような気がして、夢路は舌打ちをした。

「どこ行ったんだよ、ハル……」

 彼女はピアスのない耳に触れ、その穴に指を這わせて歯噛みした。

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