第30話 抱く感情は
「なんかごめんねえ。私、先輩のくせに何の役にも立ってなくて」
「いえ。お陰でマヨイガの探索も出来ました」
マヨイガの隅々を歩き、どこかの部屋から持ってきた羽織を琴子に渡す総司郎。いつも通りの涼しい瞳が、心なしか好奇心に満たされ輝いていた。琴子の脇に腰を下ろし、探索で得た収穫を報告する。
「見た目はほぼ旧来の日本家屋と変わりないのですが、内装や押入れ、箪笥の中身に至るまで、どこをどう切りとっても明治時代の生活の息遣いがそのまま残っているのです。研究対象としては大変興味深い」
「本当に遠野物語が好きなんだねえ」
受け取った紗の羽織を水着の肌に羽織り、琴子はしみじみと呟いた。心なしか彼女の丸い瞳は少し伏し目がちになっているように見える。いつもの能天気さは鳴りを潜めていた。
総司郎の視線に気が付き、琴子は笑顔を作る。
「私、山奥に連れてかれたでしょう。あの時、もう誰も助けになんて来なくて帰れないかもって思ってたの。皆は探し回ってくれてたんだなあ、こんな私の事……って」
「言川先輩……どう」
垣間見えた琴子の本心に総司郎は問いかけようとしたが、
「総司くんはさ、どうして遠野物語が好きなの?」
彼の言葉を遮るように、琴子は強引に話を振った。先輩として場の空気を暗くしてはいけないと思ったのかもしれなかった。
「そうですね……どうという話ではないのですが」
彼女によって一瞬にして二人の間に築かれた見えない壁を悟り、総司郎は会話を紡いだ。
「県外の中学校に進学してから、俺はずっと友達がいなくてひとりで過ごしていました。高校生になってもずっと。それでも不便はなかったので良いかとも思ったのですが……心のどこかで、誰か俺の事を理解してくれる人を求めていたのかもしれません」
憐憫に浸るでもなく同情を誘うでもなく、彼は淡々と語る。琴子は黙ってそれを聞いていた。
「高校二年の夏に、図書室で遠野物語を見つけました。衝撃でした。怪異を目の当たりにし、体験した人達の生の声が載ってたんです。生と死の世界観がすぐそこにある生活。そして人間の目の前に次々と現れる妖怪。そんな世界があるのかと驚くばかりでした。もちろん恐ろしいものもありますが、俺にとっては憧れでした」
「高校生の時の総司くんは……妖怪と友達になりたかったのかな?」
「そう……そうかもしれませんね。多分今も。……笑いますか?」
そう言って少し表情を弛める総司郎。そんな風に笑えるのか、と少し感心しながら、琴子も首を横に振って笑った。少し考えるように間を置いて、彼女は口を開く。
「総司くんは知ってるでしょ? 私にたくさん彼氏がいるの」
「そうですね、曜日の数と伺ってます」
「そう。水曜日の彼にはこないだ振られちゃったけどねえ」
相変わらず琴子の奔放なプライベートは継続中のようだった。特に驚きを抱かず、総司郎は相槌を打っている。
「いつも誰かと一緒にいると寂しくないじゃない? だからなるべく切らさない様に補充するんだけど」
「消耗品のようですね」
「うん、そうかも。でも皆どうせいなくなるから、たまに虚しいっていうのかな、考えちゃうのよねえ。笑っちゃうでしょう?」
「……いいえ」
自嘲気味の彼女に、総司郎はそう言って少しだけ笑った。彼は言葉を選ばなかったが、嘘偽りのない真っ直ぐな目をしていた。それはむしろ琴子にとっては変な気遣いを感じなくて済むようだった。竈門の鍋の蓋がカタカタと鳴る音が、二人に寄り添うように優しく響く。
「ゆめちゃんは一緒に青春出来る彼氏が欲しい、ハルくんも総司くんと一緒で、溶け込める場所が欲しそう。アリスちゃんも、きくちゃんみたいに心を許せる友達が欲しい。――私達って、何だか似てるよねえ」
「言川先輩は、何を求めてるのですか」
「んー? 良いのよ、私にはどうせ手に入らないもの」
言外の感情を読み取り、総司郎は口を噤んだ。彼女の行為は決して誠実なものとは到底呼べなかったが、それでもその意味の片鱗は何となく分かった気がした。いつもとぼけているようで、皆と同じで寂しかったのだろうか。彼女も。
であれば、と総司郎は琴子を改めて振り向き、意を決するように言葉を口にする。
「言川先輩、俺と――」
いつもの眼鏡のない切れ長の瞳が琴子を真っ直ぐに見つめて、彼女は瞳を丸くした。
「友達に、なってください」
「……おお、そうきたかー」
告白されるのか、と身構えていた彼女はどっと力が抜けるような気持ちがした。いや、別に期待していたわけでもそうなるように仕向けていたわけでも、まして彼に好意を抱いている訳でも無かったが、総司郎から繰り出されるまさかの友達宣言に、琴子は告白してもないのに振られたような気がしていた。
「む、そうきたか、とは。他に何が――」
「ふふ……あはは! 面白いなあ、総司くん」
可笑しくて涙が出るほど笑う琴子に、当の彼は何が面白いのかわからず不思議そうに首を傾げている。ああ面白かった、と彼女は目尻を拭う。
「友達ね、もちろんいいよ」
「そうですか」
色の良い返事に、総司郎はまた満足そうに頷いた。友人の少ない彼の人生においては紛れもなく大きな一歩を踏み出した瞬間に違いなかった。そんな実直で純真な告白を自分に向けてくれた彼に、琴子は眩しさのようなものを感じていた。総司郎の存在を胸に留め置こうという気にすらなっている自分に驚く。
表情は大きく変わらないものの嬉しそうにしている彼の陰で、琴子は先手を打たれたような思いがしてほんの少し悔しくて、小さく呟いた。
「今は……ね」
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