第28話 牽制

 猿の群れを追って山に分け入り、どれくらい経っただろうか。時計を見ると時刻は昼下がりから夕方に差し掛かろうとしていた。

「さすがに……無謀だったかしら」

 息を切らすアリスはうのていで傾斜を登っていく。彼女だけでなく、各人もそれなりに辛そうだった。晴臣は口を開く。

「相手は猿ですからね……人を探すのとは訳が違う」

「あいつら、道とか関係ねえもんな……」

 夢路もそう同意した。確かに地面を歩くしかない人間を探すより、木々を飛び去って移動することのできる野生の猿の捜索は難航を極めた。

 それでも彼らがそれらしい確信を持って進めたのは、森の中に時折落ちている猿達の戦利品の残骸ゴミのお陰だった。かき氷のカップ、食べ散らかした後のスナック菓子の袋、果ては破れたビーチボールなど、絶対に登山客のものではないだろう落とし物の後を追い、更なる山の奥へと誘われていった。

「――あれ!」

 先を歩いていた夢路が何かを見つけて指差した。一同がその指の先に注目すると、褐色の猿の群れが木々や岩に腰掛けている。猿達は休憩中なのか、それとも人間から逃げ切ったと思っているのか、思い思いに菓子の包みを空け摘んだりしている。夢路達が追っていた猿に違いなかった。

 その証拠に、端の方に水着姿で震える琴子の姿があった。

「琴子さん!」

 晴臣が声をかけると、彼女は金髪頭をはっと上げてこちらへ振り向いた。大きな瞳で四人の姿を認めるや、

「……みんな!」

 少し安堵したような表情で応える。

 周囲の猿達も何事かと振り向いた。野生の警戒感が、その獰猛な視線と共に四人に降り注ぐ。アリスは思わず後ずさる。

「狼とは戦ったことがあるけど……夢路、何か勝機はあるの?」

「あるわけねえだろ! とにかく何か投げて枝で防いで、誰でも良いから隙を見て琴子先輩連れて逃げたら終了!」

「簡単に言うわね……」

 つまりは無策だった。言うが早いか、手始めに夢路はその辺の拳大の石を渾身の力で投げつける。が、猿は避けることなくその腕で払った。

 金属板で弾いたような固い音がして石は猿の足元に転がった。嘲笑うように、猿は不快な声で鳴く。

「何だあの猿! あの体毛、ほとんど鎧みてえな……」

「遠野物語の中でも、猿の経立ふったちはその体毛に松脂まつやにと砂を重ね塗っているというが……その守りは鉄砲の玉も弾くほどだそうだ」

「そんなの反則じゃない!」

 総司郎の解説にほとんど悲鳴のように叫ぶアリス。物理攻撃が効かないとなると非常に厄介だった。そうでなくても何かに襲われた際の選択肢が『投げる』『逃げる』のほぼ二択しかない彼らは、もうほとんど何をすべきか行動を決定づけられたと言っても過言ではない。

 人間達の絶望とは裏腹にほくそ笑む猿達は、甲高い叫びを上げて四人目掛けて襲いかかってきた。

「うわああああああ!!」

 狼との遭遇時よろしく、蜘蛛の子を散らすように四人は森の中を逃げ惑った。山の入口で遭遇し突如謎の眠りに誘われた警察官のような偶然は期待すべくもない。何かないか何かないか。必死に頭をフル回転させる夢路。

 咄嗟に彼女は、晴臣に叫ぶ。

「そうだ! ハル! 鞄寄越せ!!」

「何する気だ!?」

 晴臣は猿の追撃を躱しながら、何とかオーバースローで背負っていた鞄を放る。受け取った夢路は中に手を突っ込み、目当てのものを取り出し、ポケットに忍ばせていたライターを添える。

 彼女が本当だったら今日一番やりたかったこと。それは――

「おらあ! 火傷したくなかったら離れろ猿共!!」

 すぐそこまで迫っていた猿目掛けて、ロケット花火が発射された。目の前で青赤黄の光が激しく瞬き、その頭を掠め、猿達は驚愕に目を丸くする。人間にしか使いこなせない火薬の焦げ臭い臭いに、古より山に生きる妖怪は恐れ戦いた。ポニーテールの黒髪を揺らし、夢路は拳を握る。

 目に見えて形勢は逆転した。

「本当は海でやるつもりだったけど、お前らのせいで予定変更だ! 責任取ってその身で受け止めろバーカ!!」

「無茶苦茶やるな、あいつ……」

 半ば呆れる晴臣だったが、効果は確かに絶大で何匹かの猿は夢路の掌から次々に放たれる光線に恐れをなし、森の奥へ退散するものもいた。

「言川先輩! 今のうちに!」

「総司くん!」

 すかさず琴子に一番近かった総司郎が彼女に手を貸し、怯んだ猿の群れから奪還した。

「総司と琴子、そのままダッシュ!」

 アリスは二人に叫ぶ。威嚇を続ける数匹の猿を挟み、夢路・アリス・晴臣と琴子・総司郎の二手に別れていた。合流して逃げるより、追手を分散させた方が良さそうだった。

「……分かりました!」

「先輩、山を無事に降りたら合流しましょ!」

「ゆめちゃん、山燃やしすぎないでねえ!」

 琴子はそう言い、総司郎と共に山の斜面を駆け下って行った。

 二手に別れる前に彼女が最後に見たのは、親指を立てる夢路の不敵な笑みだった。

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