第23話 オシラサマの嫁と赤い着物の少女

 馬男を先頭に細い獣道を走り抜ける実行委員のメンバー。既に時間は十九時に差し掛かろうとしていた。闇に包まれた森からは、あの恐ろしい老婆の足音は聞こえてこなかった。

「はは、ヤマハハの奴追って来ねーな!」

「サンヅ縄がああいった風に役に立つとはな……携帯していてよかった」

 眼鏡をかけ直してしみじみと呟く総司郎。確かに望んでいた使い方とは大きく違ったが、結果的に窮地を救うことになったため他の五人は何も言わなかった。恐らく、次回以降も彼は腰に縄を巻くのを止めないだろう。

 しばらく走り、もうヤマハハが追ってくる気配はないだろうと彼らは歩みを弛める。

 息を切らし、大きく息を吐いたその時、馬男が何かを見つけその黒々とした瞳を大きく開いた。

「あれは――!」

 彼が指を差した遠くの岩陰から、遠慮がちにこちらの様子を窺う少女の姿があった。小学生位の年頃の彼女は赤い着物に包まれた白い肌に、肩口で切りそろえられたおかっぱ頭と、こけしに命を吹き込んだかのような不気味さと儚さを放っていた。その出で立ちを見るや、アリスは立ち止まり声を上げる。

「きく! 貴女きくでしょう!?」

 きく、と呼ばれた少女はびくりと肩を震わせ、逡巡するように目線を彷徨わせる。しかしすぐに背を向け、どこかへ駆け出していった。

「待って! 貴女を探していたの! 置いていかないで!」

 取り縋るようなアリスの声に、少女は立ち止まり着物を翻して振り向いた。

 そして無機質な表情のまま再び駆け出し、時折立ち止まってはまた振り返る。

 六人が見失わないように配慮しているようだった。

「アリスさん、どこかへ俺達を案内する気のようです。追いましょう!」

 晴臣の言葉に背中を押され、アリスは再び駆け出した。



 杉林を抜けて少し開けた集落跡に出ると、ようやく少女は立ち止まった。

「……こっち」

 白い指を差したのは、掘っ建て小屋のような茅葺き屋根の小さな家屋だった。それなりの山道を走ってきたにも関わらず、その表情は涼しい。

「ここに……何が……」

 ぜえぜえと息を切らす夢路。他の五人も息絶え絶えだった。

 額の汗を拭い顔を上げると、小屋の戸が勢いよく内から開いた。中から出てきたのは若草色の着物の少女だった。彼女を見るや、馬男は驚愕に目を見開いてその名を叫ぶ。

「カヨ!!」

「馬様!!」

 少女は後ろに括った髪を振り乱し、全裸の馬男に躊躇なく飛び付いた。

「カヨ……ああ、良かった無事で……」

「あれが、馬野郎の嫁……」

 夢路は月明かりの下で抱き合う男女(?)をまじまじと見てそう呟いた。カヨ、と呼ばれた少女は勝ち気そうな目元を綻ばせ、馬男との再会を心から喜んでいるようだった。暗がりではあるが、彼女は一般的に可愛いとちやほやされる部類に入るようだという事が見て取れる。

 周囲を置き去りにしてひとしきり喜んだ後、カヨは馬男の裸の胸に顔を半分埋めながら実行委員の五人をじとりと見つめた。

「馬様、この者共は何ですの?」

「カヨ、お前を探すために手を貸してくれた人間だよ。ほら、乙爺が話していた」

 馬男はカヨの手を取り優しく囁いた。心なしかその鼻の下が少し伸びているような気がする。

「ふん、馬様に比べ野暮ったい連中ですこと」

「あ?」

「こらゆめ、落ち着け」

 突然吹っ掛けられた夢路は眉根を寄せるが、晴臣に抑えられる。カヨはその様子を短く笑い吐き捨てた。

「躾のなってない犬のようね。なあに、言いたいことがあるなら言いなさいよ。どうせ馬様の魅力の欠片も理解出来ないのでしょう? 貴女達だってお父様と一緒よ! カヨ達の仲を引き裂こうとしたお父様と……カヨは馬様さえいれば良いの。視界に入らないで。ふふ、馬様馬様ぁ」

「おおカヨ、可愛い奴め」

「わお、すんごい二人の世界を見せつけられている……」

 琴子もそういう通り、カヨは排他主義者のようだった。馬男の胸に擦り寄る彼女の笑顔は、夢路達に向けられた敵意とは全く逆だ。彼以外の人間は全員カスだとでも言わんばかりの態度であった。一同はそのやり取りを見て疲労が増すようだった。

 言いたい放題に言われ腹が立ったので、夢路は素早くポケットからスマホを取りだして二人を撮影する。

「わ、ちょ、何すんのよ」

「うるせえ、もうこうなったらお前らも強制エントリーだ」

 月光に照らされた筋骨隆々な馬頭の男と、挑発的な瞳の娘のツーショットを押さえ、彼女は不機嫌そうに鼻を鳴らす。画面に収まった彼らは悔しいがなかなかの美男美女だった(片方はどう見ても馬だが)。画像加工を用いればそれぞれのピンショットにも出来そうな撮り上がりだ。

「それで――どうして貴女達はここに」

 話を戻そうと、総司郎はきくに向き直る。表情をぴくりとも動かさないまま、おかっぱの少女は口を開いた。

「ここは……わたくしの住まう家です。ここ数年はずっとひとりで……しかし数日前、ヤマハハがその娘を連れ訪ねてきたのです。ヤマハハはここを根城にし、外に出ると殺すと脅され……ろくに身動きが取れずにおりました。ヤマハハは生きた人間の血を欲していたため、怪異であるわたくし達では満足できず……私達を餌に貴方がたを呼び寄せようとしたのでしょう」

「知能がなさそうに見えて意外と用意周到だったんだな……あのババア」

 要は夢路達はヤマハハにまんまとおびき寄せられたのだった。白目を剝き片言で話していた老婆の姿を思い出し、どこにそんな知恵が働くのか、と彼女は首を捻る。さらりと黒髪が揺れて、金銀のピアスが両耳で光る。

 きくは頭を振り、残念そうに言う。

「ここはもう危険です……のでわたくしは他の家に移らなくてはなりません。さてどうしたものか……」

 長い睫毛を伏せ、少女の横顔にほんの少し影が差した。その様子を見たアリスは何言ってるのよ、と彼女の手を取り語りかける。

「きく、私達友達じゃない。困っているなら私と来なさいよ。それなら――」

「いえ、一度住んだ家に再び足を踏み入れることはできないのです。残念ながら……それがわたくし達のさだめです」

 そう言って目を閉じるきく。アリスは残念そうに視線を落とした。

 そのやり取りを聞いていた総司郎は何か思い当たった様子で問いかける。

「もしかして、貴女は座敷童子では?」

 きくは少し逡巡するように俯いたが、やがて切り揃えられた黒髪を僅かに揺らして頷いた。

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