第21話 オシラサマの願い

 昔あるところに貧しき百姓あり。妻はなくて美しき娘あり。また一匹の馬を養う。娘この馬を愛して夜になれば厩舎うまやに行きてね、ついに馬と夫婦になれり。或る夜父はこの事を知りて、その次の日に娘には知らせず、馬を連れ出して桑の木につり下げて殺したり。その夜娘は馬のおらぬより父に尋ねてこの事を知り、驚き悲しみて桑の木の下に行き、死したる馬の首にすがりて泣きいたりしを、父はこれを悪にくみて斧をもって後ろより馬の首を切り落せしに、たちまち娘はその首に乗りたるまま天に昇り去れり。オシラサマというはこの時より成りたる神なり。

         

                           ――遠野物語69



 夢路を追いかけて来たらしい晴臣は、彼女の肩を揺らし心配の声をかける。

「ゆめ、お前どうしたんだよ。急にいなくなって」

「いなくなった? あたしが?」

「自覚ないのかよ……ん? 何だこれ」

 本気で訝しむ夢路に半ば呆れながら、晴臣は彼女の腕に殴り書きされた文字を見つけて指差した。

「少年? 石? 裏? 何の落書きだよ」

「あたしにも分かんねえ……」

「お前の字だろ……」

 二人して首を捻る。夢路の記憶にこんな訳の分からないメッセージを書いた記憶は微塵も残ってはいなかった。しかし彼の言う通り、字の癖といい文字の角度といい、夢路自身が書いたものに違いない。違いないのだが、彼女には心当たりがなかった。

 馬男から逃げていて、気付いたらしゃがみ込んでいて、いつの間にか腕に落書きがされている。それが何を意味するのかも分からない。ただただ不気味でしかなかった。

「あ、いた! ゆめちゃーん!」

「そこにいたのか、馬男は取り押さえたから安心しろ、結崎ゆいさき

 琴子と総司郎の声がして、二人ははっと顔を上げた。言葉通り、彼らの足元には夢路を追い回していた黒い馬頭の変態が縄で縛られ転がされていた。

 隆々とした筋肉を縛る荒縄は恐らく総司郎が腰に巻いていたサンヅ縄だろうなと夢路は察しがついたが、「そういう使い方もあるんだな」以上の感想は出て来なかった。

 馬男は黒々とした瞳を見開き、たてがみを振り乱して必死の形相で訴える。

「黒髪の! どうか我の話を聞いてはくださらぬか!」

「あたしに変態のダチはいねえ! 帰れ!」

 駆け付けてそう言い放つ夢路。馬男は若干しゅんとした様子で俯いた。

 腕を組み何かを思案していた総司郎は、ひとつ思い当たったように問いかける。

「もしかして貴方は――オシラサマでは?」

「おお、よくぞその名を」

 馬男はぱっと表情を明るくして、縛られたままその場に起き上がり胡坐をかいた。葉っぱで隠してあるだけのなかなか際どい下半身に目を遣らないよう注意して、夢路は聞く。

「オシラサマ……?」

「遠野物語に出てくる馬頭の神様だ。本来は娘と馬頭でワンセットなのだが……娘はどこに」

「そうだ、その娘を助けるのに力を貸してほしいのだ」

「それはどういう――」

 その先を掘り下げようとして、全く話が見えていない様子の一同に気づき、総司郎はひとつ咳払いをして解説を始めた。

「オシラサマというのはだな、馬の頭と若い娘のつがいの神様だ。馬に恋をして夫婦になった娘がいたのだが、父親が怒ってその馬を殺して桑の木に吊るしてしまった。娘はそれを大層悲しんで馬の首に取り縋ったのだが、父親の反感を買い馬の首を斧で切り落とされてしまう。するとその首は娘を乗せたまま天に召された、という話だ。今でも遠野の古い家では馬頭の人形と娘の人形をセットで祀るところがあるのだという」

「馬と結婚……難易度高え……」

「死んでも一緒にいられるっていうのはちょっとロマンチックだけどねえ」

 突如語られた人外ロマンスに夢路と琴子は慄いた。馬男も肯定するようにうんうんと頷いている。

「で、その恋人? はどこにいっちゃったの?」

「よくぞ聞いてくれた娘よ……我が伴侶にしてこの世界で唯一無二の愛しい娘、カヨは……連れ去られてしまったのだ」

「誘拐ってことか? 誰に?」

「口にするのも恐ろしい……ヤマハハだ」

「何だと……!?」

「ヤマハハ?」

 顔色を変える晴臣に、事態が呑み込めず夢路は首を捻る。

「別の地方では山姥やまんばなどと呼ばれている」

 総司郎は眼鏡をかけ直して説明を加えるが、

「山姥は聞いたことありますけど、遠野物語にもいるんすか?」

 彼女の問いかけに考え込むように視線を落とし、何か言いづらいように口を噤んでしまう。

「ねえ総司先輩」

「……ヤマハハは遠野物語百十六話と百十七話で登場する老女の妖怪だ。いわゆる山姥と同じように、山から下りて来ては若い娘に襲いかかる」

「え」

「ひたすら追い回され……うち百十七話では、娘は無残に殺される」

「そんな……」

 明かされる物語の顛末に言葉を失う夢路。馬男もわなわなと震えながら鼻息を荒くした。

「今頃我のいない所で震えているに違いないのだ。ああ、愛しのカヨ……」

「ていうか何でこの話の流れであたしを追い回してたんだよ。早く助けに行けよ彼女」

 ようやく状況が掴めてきた夢路が、そもそもの疑問を投げかける。馬男は至極当然といった様子で事の次第を語った。

「何でも何も……ヤマハハは遠野の山の中でも特に危険で話の通じぬ相手なのだ。それに遠野の山のの間でそなたは有名だからな。山の怪だけでなくこの世に顕現せざるはずの幽世かくりよの者共とも渡り合う力を持ち、時には助けることができる勇気と胆力を持った現世うつしよの少女。困ったら頼れと乙爺が言っていた」

「あのクソ爺……」

 赤い半纏の爺の朗らかな笑い声を思い出し、夢路は苦々しく舌打ちをした。彼によって要らぬ苦労を着せられていることだけは良く分かった。

 彼女のそんな思いも露知らず、馬男はうんうんと納得したように頷く。

「なぜ我々と相まみえることができるのか不思議で仕方がなかったが、こうして会って良く分かった。その」

「それは良いとして、とにかくカヨを探すのが先だろ。ヤマハハに追われているとしたら尚更」

 強引に馬男の言葉を引き取り、晴臣は提案した。確かにここで感慨に耽っている場合ではなさそうだった。総司郎も同意する。

「確かにその通りだ。ヤマハハは夜になると姿を現し、若い娘を探し歩く。遠野物語百十六話では主人公より先に攫われた娘がいたのだが、そちらは生け捕りにされていた。……そちらに望みを繋ぐ他ないだろう」

「ねえ、ちょっと思ったんだけどさ……今の話だとアリスちゃんもその若い娘に入るよねえ? 早く探さないとまずいんじゃ……」

 青い顔の琴子に、一同も頷いた。あまりこうしている暇もなさそうだった。夢路は馬男を縛る縄を解く。

「どっちにしろアリス探すついでだ。その代わりお前も手伝え馬野郎」

まことか……!」

 黒檀の瞳が希望の光に瞬いた。馬面でも嬉しそうな顔は見たら分かるんだな、と夢路は謎の感慨を覚え、気を取り直してアリスとカヨを探しに出ることにした。

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