第19話 遠野の山への誘い

「だーかーらー! 昨日マジで変態が追っかけて来たんですって! 頭が馬で全裸の!」

「よしよしゆめちゃん……怖い夢見たんだねえ」

 翌日の授業終わり、夢路は実行委員会の空き教室で昨夜の顛末を語った。無論、アリスを尾行していたことは晴臣との秘密だったので帰宅中に、と誤魔化してはいる。

 アリス以外の実行委員がその場に揃ってはいたが、誰もその話を本気にしようとはしなかった。彼女は総司郎に泣きつく。

「ええもう誰か信じてくださいよ……ねえ総司先輩」

「馬頭の男……か。まあ遠野物語にもいないことはないが」

「え、いるんすか」

「遠野地方ではオシラサマ、という神様を祀る風習があってだな――」

 総司郎が眼鏡をかけ直して言いかけたその時、教室の戸が遠慮がちに開かれた。

「あ、あの……こちらは学園祭の実行委員会のお部屋でしょうか……?」

 一同が振り向いたその先には、セーラー服にお下げの少女――飛鳥原あすかばらアイリが扉に隠れるように立っていた。黒縁眼鏡の瞳は緊張に揺れている。

「お客さんかな? いらっしゃいませー」

 琴子が笑顔で招き入れると、アイリはほっと息を吐いて教室に足を踏み入れた。そこでようやく夢路と晴臣に気が付き、

「あなた方は――」

 そう言いかけたが、二人が何かを訴えるように目を見開いて首を横に振っているのを見て口を噤んだ。アイリの発する言葉次第ではは昨夜の尾行が露見しかねない状況に夢路と晴臣は気が気でなかったが、何かよく分からないながらも二人について触れない方が良さそうだと判断したアイリは早速本題に入ることにした。

「……えーと、お姉ちゃんを探していて……あ、あの、私は飛鳥原アリスの妹のアイリと申します」

 胸を撫で下ろす二人を気に留めることもなく、総司郎と琴子は納得したように頷いた。

「飛鳥原先輩の……なるほど、確かによく似ている」

「お姉ちゃん? アリスちゃんはまだ来てないよー」

「そうなのですか……」

 当てが外れたのか明らかに萎れるアイリに、晴臣は声をかける。

「どうしてここに?」

「それが……今朝お姉ちゃんが家を出た後に、こんなメモを見つけて」

 そばかす顔を上げ、アイリはポケットから取り出した一枚の紙を実行委員の前に広げた。四人はそれを覗き込む。

 小さな紙には簡潔な文が記されていた。

『ちょっと探し物をしに山へ行ってきます。夜には帰ります』

 探し物をしに? 山へ? 書いてある文章が簡潔すぎるだけあって、その意味を推し量ることができない面々は首を傾げた。コンビニに行ってくるような気軽さで大学生が山に入ることはないだろう。アイリもそれは重々理解しているようで、不安に眉根を寄せる。

「山……って何をしに行くのか想像がつかなくて。何だかこのところぼんやりしてることも増えてるし……ちょっと心配なんです」

「夜には帰るって書いてあるんだろ? それならそこまで心配しなくても」

「それはそうなんですけど……」

 晴臣の言葉に視線を落とすアイリ。見かねた夢路が不安を吹き飛ばすような明るい調子で胸を叩いた。

「よーし、分かった! それじゃあたし達がお姉ちゃんを探しに行ってくる!」

「ちょ、ゆめ」

「いいじゃない、どうせ今作業が手空きだし。ハルくんももちろん行くよね?」

「俺は皆さんから集めた領収書の計算が――」

「久しぶりの山歩きだ、心して行かねばな」

「よっしゃ、今日は委員長を迎えに行くぞ!」

 晴臣の歎願は既に行く気になっている三人のやる気に掻き消された。最近女性陣からだけでなく総司郎からも捨て置かれるようになった晴臣は、己の人徳のなさを呪って頭を抱える。

「ありがとうございます!」

 アイリの笑顔に見送られ、四人は取るものもとりあえず教室を後にした。



 四人は前回座敷童探しで訪れた、遠野市土淵町つちぶちまち飯豊いいでの山に再び足を踏み入れた。アイリが見せたメモには『探し物をしに』とあったので、何か前回の捜索で失くしものをしたのかもしれないと四人は見当をつけたのだった。

 夏の気配がする六月末、日も長くなったためか十七時を過ぎても辺りは明るい。とはいえ何らかの成果があるまで夢路は帰らないと言うだろうな、と晴臣は長丁場を覚悟していた。

「なんか月一ペースで山に登ってません? 俺ら」

「俺は前回の捜索から三日に一度は登山に勤しんでいるぞ。佐々木嘉兵衛と寒戸さむとの婆以外には未だ会っていないがな」

「思ってたより頻繁だった……」

 勇んで山道を歩く総司郎の腰には今日も三重の荒縄が巻かれている。

「不思議と新規の妖怪に関しては、結崎ゆいさき葉乃矢はのやの組み合わせでの捜索時が最も遭遇率が高いのだ。それに関しては悔しいが……何か惹き付けるものがあるのだろう。だから今日も何か見つかる予感がしている」

「俺はこいつに引き摺られてるだけですけどね……」

 先頭でずんずん歩いていく黒髪の少女を見遣り、晴臣は溜息を吐いた。ポケットから取り出した虫よけスプレーを腕に振りながら、琴子は夢路に問いかける。

「とはいえ何の手がかりもなく山中を探しても見つかるかなあ? ひとまず前回の狼スポット辺りまで行くの?」

「そっすね、あたしらが行ったのってその辺りまでだし……嘉兵衛とか何か知らねえかな。都合よく出て来て手伝ってくれたらいいのにな」

 他力本願にも程があるだろ、と晴臣が思ったその時、腰丈の草むらががさりと揺れた。まさか今しがた口にしたばかりの猟師がそこに駆け付けたのか、と夢路は振り向く。

「おん? 噂をすれば――」

 しかし雑草を掻き分け現れたのは――黒く美しい毛並みの馬頭だった。

「んぎゃあああああああああああああああ!!」

「ふえ? きゃあああああああ!!」

 夢路の絶叫につられて振り向いた琴子も、馬頭に全裸の変態をその先に認め、甲高い悲鳴を上げる。隆々とした筋肉を惜しげもなく晒し、馬頭の男は草むらから飛び出そうとしてブルルと鼻息を荒くした。

「え、あれ……」

「こいつは……馬……男……!?」

 晴臣と総司郎も驚きのあまり目を見開いて固まった。黒い毛並みの馬頭に、筋骨隆々とした男性の裸体。夢路から聞かされていた通りの現実離れした姿が、目の前にはあった。鬼の首を取ったように夢路は叫ぶ。

「ほらやっぱりいたああ! あたしが言ってたやつ!!」

「見つけたぞ黒髪の乙女よ! どうか我の話を――」

「いやあああああああマジで来るな変態!!」

 懇願する様子の馬男から逃れようと、夢路は駆け出した。呼び止める声も聞かず、腐葉土の獣道を駆け、藪を抜ける。


 そして白樺の木の又を飛び越えた瞬間――見えないレースカーテンを潜ったように、空気が変わった。

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