第17話 長い尾行と釜石線

 雨で人通りもまばらな遠野駅方面に向かうアリス。自慢の赤髪は同じ色の赤い傘に見え隠れしていた。その背を、夢路と晴臣はビニール傘を手に二十メートルほど離れて追う。

「……ひひ、気付いてねえな」

「なあもうやめようぜ……なんで俺も」

「ハル、アリスの行先ってどこか知ってるか?」

「俺が知るわけねえだろ」

「あたしも知らん。この後電車に乗ろうもんならいくらかかるか分かんないだろ。その時はお前の出番だ」

「俺もしかして、ナチュラルにカツアゲされようとしてる?」

 お前のものはあたしのもの、とでも言うかのように胸を張る夢路に晴臣がげんなりしていると、追っていた赤い傘が思わぬ方向に曲がっていった。駅とは逆方向の飲み屋街に吸い込まれていく。

「おん? 一杯ひっかけていく感じ?」

「いや、まだ昼だぞ。開いてないだろ」

 二人が訝しみながらも同じ角を曲がると、アリスはその先の一軒の個人居酒屋の前で傘を閉じ、引き戸をからりと引いて入っていった。一階が居酒屋、二階が個人宅といった出で立ちの建物だった。暖簾もまだ出ていないところを見ると、営業時間前のようだ。

「……アリスさん、ここが実家ということは?」

「それにしても狭すぎるんじゃねえか? どう見ても店主ひとりで住むのが限界だろあの広さ」

 近くの電柱の陰から様子を窺い首を捻る彼らだったが、数分後合点がいった。赤髪を綺麗にまとめ上げ割烹着に着替えたアリスが、箒を片手に出て来たからだった。手早く店の前を掃き終え、店の奥から空の酒瓶が詰まったケースを抱えて出て来た。

「あ、分かった。バイトしてんのか、ここで」

「意外だな」

 晴臣の感想ももっともだった。いつも学業に実行委員の業務にと忙しくしている姿が印象的なアリスが、さらにアルバイトにも従事しているとは思わなかったのだった。

「アリスさん、バイトのことで頭がいっぱいだったのかな。さあゆめ、帰る――」

「は? 尾行は始まったばっかだろ? 終わるまで待つに決まってんだろ」

「嘘だろ……」

 適当に切り上げようとした彼は、夢路の断固として動かない宣言に頭を抱えた。アルバイトと分かれば、一、二時間で終わる保証はない。しかし彼女は雨の中電柱の陰で隠れ続けるつもりのようだった。二人して、小雨振る中動かない引き戸を見つめ続けることとなった。



 雨も止み、沈みかけた夕陽が厚い雲を赤く染める頃。結局夢路と晴臣は三時間も棒立ちで潜んでいたのだが、ようやく現場に動きがあった。

「……あ、出て来た」

 閉じた赤い傘を手に、アリスが出て来たのだ。出がけに暖簾を店頭に出したかと思うと「お疲れさまでした」の挨拶と共に踵を返し、真っ直ぐ遠野駅の方向へ歩き出した。その背を、やはり二人は距離を取って追う。

 彼らの見守る先で、アリスは遠野駅の改札を潜った。

「こうなったら行くとこまで行こうぜ!」

「ええ……どこまで追うんだよ……」

 晴臣の悲鳴は華麗に無視された。どこまで行くのか分からないため終点までの切符を二枚晴臣に買わせ、有人改札を抜ける。二両しかないワンマン列車の二両目に素早く乗り込み、一両目に乗ったアリスの様子を窺った。

 まさか後輩二人に追われているとも知らない委員長は、腕を組みうつらうつらとしていた。

「あたし、入学して初めて電車乗ったかも。二両しかなくてちっちゃくて可愛いな」

「そうかい、そりゃ良かったな……」

 電車賃の出所など完全に忘れて目を輝かせる夢路に、晴臣はどっと疲労を感じた。

「アリスさん、さすがにお疲れの様子だな……ゆめ、俺も疲れたんだけど」

「あたしも疲れたー。アリスが降りたら起こして」

「お前、マジか……」

 ガタゴトと少ない乗客を揺らして走り出した列車は、駅を離れるとすぐに明かりのない森に吸い込まれていく。この車体が何処へ向かうのか露ほども知らない二人を乗せて、列車は内陸方面へと向かっていた。有言実行ですぐにうとうとし始めた夢路に、晴臣は語りかける。

「なあゆめ、マジで寝んのかよ……」

「うるせえなハル……あたしねむい」

「俺ひとりで起きとくの寂しい」

「乙女みてえなこと……言ってんじゃねえよ……」

「もう寝るのは百歩譲って良いけど……ん? ピアスに髪の毛絡まってんぞ」

「んー解いといて……」

「俺は召使いか何かか……うわどうやったらこうなるんだ」

「いてえ」

「我慢しろ、ただでさえ長いんだから」

「んー……、切る?」

「切らない。もったいない」

「……キモい」

「……よし、ほら解けた」

「ん」

「……ん? これは……」

「……うん?」

「ゆめ……このピアスどこで」

「うー……何だよ」

「どこで手に入れた?」

「んん……? 昔から持ってたやつを……ピアスに加工した……」

「……」

「……」

「……ゆめ」

 晴臣の肩を枕にすやすやと寝息を立て始めた夢路は、彼の呼びかけに答えることはなかった。

 大きく揺れながら走る釜石線。

 向かいの窓に視線を遣ると、真っ暗な景色に仲良く並んで座り肩を寄せ合う大学生の男女二人組が映っていた。

 溜息をひとつ吐き、晴臣はぽつりと呟いた。


「…………どうしてお前が」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る