Entry number.3 馬頭の神と座敷童子

第16話 大人しい委員長

 授業を終えた夢路ゆめじ早池峰祭はやちねさい実行委員会の教室に向かう途中、学内掲示板に人だかりができていた。皆好奇に満ちた目でそれを指差し、笑いながら写真を撮るものもいた。

 夢路も野次馬根性を隠さず人波を掻き分けて読んでみると、


『【変質者情報】六月二十五日夕方、遠野大学内にて全裸に馬頭の男が目撃されました。もし見かけても近付かないよう、学生諸君は注意してください』


「なんだこれ……」

 それは学生課によるたった一文の奇妙な注意喚起だった。

「全裸で……頭が馬? 気合い入りすぎだろ……渋谷のハロウィンでもそういねえぞ……」

 とりあえず張り紙を写真に収め、彼女は今にも降り出しそうな雨を避けるように足早に教室を目指した。



「おつかれーす……あれ、今日お前だけ?」

「ん? ああ、ゆめか」

 教室には晴臣の姿しかなかった。彼は大量のレシートに囲まれて電卓を叩き、会計係としての職務を全うしているようだった。

 適当な机に鞄を放り、夢路は晴臣の向かいの席に腰掛ける。

「ハル、お前いつ授業出てんの? いつもここにいんじゃん」

「……たまに出てるよ」

「ははあ、さてはお前サボりだな。一年から余裕かましてっと後で痛い目見るぞ」

「むしろゆめがちゃんと授業受けてる方が意外だわ」

「授業なんて頭良いやつの後ろに座って背中を盾に寝てりゃすぐ終わんじゃん。何言ってんだ」

「クッッッッソ不真面目だったわ。お前が何言ってんだ」

 窓の外はとうとう降り出したようで、雨が窓を叩く音が人気のない教室に響いた。残りの三人が来ないとどうにも教室が広く感じる夢路は、レシートを束ねる用の輪ゴムで指鉄砲をして遊んでいる。

「ところで先輩達は?」

「アリスさんはまだ来てない、琴子さんは彼氏、総司郎さんは山へ笹を取りに行った」

「前二人は良いとして、総司先輩どうしたんだよ……」

「んー、なんか早池峰祭のPRを毎年近くの商店街でさせてもらってるそうなんだけど、交換条件として商店街の七夕イベントで使う笹を学生に持ってこさせるんだと。だから今くらいの時期に遠野の山に笹刈りに行くのが実行委員の伝統らしい」

「いい労働者として扱われてるな……総司先輩、一人で大丈夫かよ。絶対大自然に押し負ける顔してんじゃん」

「それはそれで失礼だろ……まあ、あれから妖怪探しにハマってるっぽいし、それも兼ねてんだろ。そっとしておいてやれよ」

 計算の終わったレシートに書き込みをして、輪ゴムで括ったハルは半ば諦め顔だった。

 確かに前回の妖怪探しでは大きな収穫があった。目当ての座敷童子こそ見つからなかったものの、嘉兵衛、乙爺おとじい寒戸さむとばあという遠野物語に登場する既に亡くなっているはずの人物が三人も現れたのだ。

 きっと座敷童子も遠野の山にいると確信したらしい総司郎は、連日山に入り浸っているようだ。

 噂をすれば何とやら。教室の扉を開け放ち、立派な笹の束を担いだ総司郎が現れた。 三メートルはあろうかという笹竹が五、六本ほど、その背で揺れている。

「待たせたなお前達!」

「おつかれーす……総司先輩、腰のそれって」

 笹よりも彼の腰に巻かれた荒縄がどうしても気になってしまい、夢路はつい指差して聞いてしまう。

「おお、よく気づいたな結崎ゆいさきよ。これはな、かの高名な猟師、佐々木嘉兵衛ささきかへえもその腰に巻いていた魔除けのサンヅ縄だ! ただの縄でもいつも肌身離さず身に付けておくことで霊力を帯び、非常事態に魔除けとなると考えられている」

「授業もそれで受けてんすか……」

 四六時中縄を巻いて過ごす総司郎を想像し、夢路は呆れた。絶対ホームセンターとかで買ってきたやつだ。晴臣はそう思ったが、口にはしなかった。

「俺は……俺は本当なら弟子入りしたいくらい彼を尊敬している! しかし! 今日も弟子は取らんと断られてしまったのだ」

「行ったんだ……」

 熱を帯びる彼の語りに、一年生二人はそっとしておくことにした。それよりも、笹に隠れるようにして立つ赤髪の委員長の姿を見つけ、夢路は指を差した。

「うお、アリス、いつの間に!」

「……あら」

 そこでようやく空き教室の前へ来たことに驚くように、アリスは声を上げる。彼女らしくないぼんやりした表情だった。

「なんでこっちに来ちゃったのかしら。今日はまっすぐ帰るつもりだったのに……」

「飛鳥原先輩、ご依頼のあった笹を採ってまいりました」

 総司郎が笹をガサガサ振って呼びかけるも、返事はなかった。いつも溌溂はつらつとしている彼女の姿はなく、何か考え事をするように視線を中空に彷徨わせている。

「先輩?」

「……ああ、ごめん。ぼーっとしちゃって。商店街に届けておいてくれる?」

「承知しました」

 勅を賜った官吏のように恭しく頭を下げ、総司郎はすぐに笹束を抱え直して教室を出ていった。

 最近、アリスはずっとこんな調子だった。実行委員の仕事が少しひと段落したのもあるかもしれないが、何につけても早帰りが増えたり、物思いに耽ったりする様子がよく見られた。

 総司郎に続き、彼女はそのまま踵を返そうとする。

「今日はこれといった作業はないから、私は帰るわ。教室の鍵、最後ちゃんと閉めて帰りなさいよ」

「おいおいもう帰るのかよ。もしかして彼氏?」

 どうにも食いつきが悪い彼女に、夢路は分かりやすく茶化してみせる。するとアリスは眉根を寄せて、

「……うるさいわね、何だっていいでしょ!」

 そう言い放って去っていった。張り合いがないなあ、と夢路は腕を組んでいたが、やがて何か思いついたようにぱっと表情を明るくした。

 下卑た笑みを浮かべ、たくらみ事を傍の晴臣に耳打ちする。

「ハル、これはチャンスだ」

「……何が」

「こっそりアリスの後付けてみようぜ。彼氏、ぼーっとするくらい良い男なのかも」

「まだ彼氏と決まったわけでもないだろ……俺法に触れるようなことしたくない……」

「うるせえ法学部! ルールってのは破るためにあるんだよ! ほら行くぞ!」

 いつも通り嫌がる彼を無視して首根っこを掴み、夢路は勇んで教室を飛び出していった。

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