第12話 照準の先

 時は冒頭に戻る。

 嘉兵衛かへえ目論見もくろみ通り銃弾を撃ち込み続けていた大木が傾き、彼は草陰でにやりと笑った。このまま岩陰に倒れかかれば、獲物は蜘蛛の子を散らすように飛び出すに違いない。

 肩に銃床を当て直し、照準を百メートルほど向こうの大岩に合わせる。一キロ先であろうと確実に当てる彼の腕では、この距離は造作もないことだった。

 さあ来い、と引き金に掛けた指に力を入れた時。

 視界の先で突如空気が爆発するような衝撃が起こり、その反動で大木は一旦中空に弾かれ、当初の軌道に反して大岩の前に横たわった。まるで折れた幹が真下から見えない力で吹き飛ばされたようだった。

「な、何が……」

 目の前の光景が信じられない嘉兵衛。梵鐘を鳴らした後のような余韻が、遅れて響き渡った。あやかしの術か何かかと確信し、舌打ちをする。

「おのれ……そこか!」

 藪を散らして迫る足音に彼は慌てて銃口を向け腰の弾倉を漁ったが、

「た、弾が……」

 乱射が祟り、そこには一発も残ってはいなかった。

 傍の雑木の陰から、太い枝を振り被る長い黒髪の乙女と茶髪の男が飛び出した。怒りに満ちた彼女の瞳に、森に潜んでいた伝説の猟師は成す術なく震え上がる。

「やあやあ我こそはあ――以下略うううう!!」

「うわああああああ!!」

 薄暗い森を劈く悲鳴が木々を揺らし、男は討ち取られた。



「ええい、放せ! この嘉兵衛、和野わのの鹿撃ちの名にかけてたとえ腐っても妖の者共に頭を垂れるなど――」

「人間だっつってんだろーがこのボケ!」

 嘉兵衛の背中に馬乗りになった夢路は、今一度その総髪頭そうはつあたまを引っ叩いた。為すがままの彼は歯軋りをして地面に額を擦り付けた。

 自慢の猟銃を取り上げその辺に放ったアリスは、足元の狙撃者を見下ろし鼻を鳴らす。

「よくやったわハル、夢路」

「疲れた……本当に疲れた……」

 疲労困憊というように晴臣はがっくりと両手と膝をついた。もう夢路を追って死地に飛び込むのは御免だった。

 嘉兵衛は懲りずに俯いたまま訴える。

「おれはこの目で杉の幹が吹き飛ぶのを見たぞ! あれを妖の術と呼ばずに何という!」

「まあ、あれは確かに不可思議な現象だったが……」

 総司郎はその言葉に腕を組み思案する。大木が自分達に向かって倒れてきたはずなのに、急に見えない間欠泉に押し戻されたが如く大岩の向こうに弾き飛ばされたのだ。正直何が起こったのかは分からなかった。

 琴子は嗜虐的な笑みを浮かべて彼の前にしゃがみ込む。

「まあ、お兄さんの知ったことじゃないよねえ。……さあさ、どうしてくれようかなあ。とりあえずおもてを上げて?」

 殿様のような台詞を吐くと、彼女は緩慢な動作で捕獲した男の顎を引き上げた。

 すると、

「おや……まあ」

「え、嘘だろ……」

 琴子だけでなく、覗き込んだ他の面々も感嘆の声を上げた。

 木漏れ日に照らされ露わになった青年の表情は、浅黒く精悍な顔つきをしていた。獲物を見澄ますような涼しい目元が、反抗心を宿して五人を睨みつけている。目鼻立ちの整ったその顔は、二枚目俳優と言われても頷けるほどのアウトドア系イケメンだった。

「なんで格好いいのよ……ちょっと腹が立ってきたわ」

 アリスは頬を染め、目を逸らしながら苛々と吐き捨てる。多分ここで格好良くも何とも無ければ殴ってたんだろうか、と晴臣は理不尽さを感じた。が、無論黙っていた。

 総司郎は抱えていた疑念をそのまま問いかける。

「貴方は本当に、遠野の伝説の猟師・佐々木嘉兵衛なのですか」

 伝説の猟師、と聞き嘉兵衛の耳がぴくりと反応する。

 夢路は彼の背から降りて後ろ手を縛りながら、総司郎に聞いた。

「そもそも嘉兵衛って、遠野物語ではどういう人なんすか?」

「百十九篇にわたって綴られている遠野物語の中で、佐々木嘉兵衛は三話、六十話、六十一話、六十二話に登場する。いずれも不可思議な怪異と遭遇し、果敢に挑む内容だ」

「へえ」

 総司郎の話に、満更でもなさそうな顔をする嘉兵衛。案外チョロいのかもしれない、と夢路は彼をジト目で見下ろした。

「そうだな……例えば三話だと、嘉兵衛は山の中で遥か遠くに髪の長い女を見つける。それはとても美しい女だった」

「ほうほう」

「で、嘉兵衛はその女を撃ち殺した」

「なんで!?」

 秒でひっくり返された男女の出会いに、夢路は驚愕した。あまりにも唐突だった。まるで二コマで強引に終了させられた漫画のようだった。

 嘉兵衛はひとつ溜息を吐いて語り出す。

「……あれはトヨだ。死人となっても山を彷徨い歩いておったのだ。そうなれば人の形をしているうちに死なせてやるほかあるまい」

「話が見えねえけど」

 首を傾げる夢路に、総司郎は補足する。

「遠野物語二十二話で精神に異常をきたした女が出てくるのだが、その女が病死し土葬された後、突如息を吹き返して山に逃げたとされている。彼女がトヨという名だったそうだ」

「トヨは嫁いだ先で辛い思いをしておった。そのせいで気が触れてしまったのだ。生き返ったのも決してあいつの意志ではあるまい。だからおれは山中で見かけた時、同じ村のよしみとして歩く死人となってしまったトヨを迷いなく撃ったのだ」

 そして、と猟師は端正な顔を曇らせる。

「トヨはまだ生きておる。きっとあの白髪頭の女はそうじゃ」

「え、あれ座敷童子じゃねえの?」

「あの白髪の女性を……貴方も追っていたと」

 総司郎はようやく納得したように大きく頷いた。

 一部始終を黙って聞いていたアリスは、腕を組んで鼻を鳴らした。

「その割には関係ない私達にも銃口を向けたじゃない? それに関しては何ら弁明の余地はないわよ」

「それは……白髪の女を見失ったとき、何やら火の玉のような赤い頭が近付いてきたから恐ろしくなって撃ったんじゃ! こんな地毛があってたまるか!」

「染めてんのよ! 今時当たり前でしょう!?」

「何で染めたらそんなになるんじゃ! 化生けしょうの類でなければそのような――」

 彼の言葉を遮り、総司郎は事実を突きつける。

「佐々木嘉兵衛よ、今は明治ではありません。実在した人物とは言え、貴方の生きた時代はもう百年以上も遠い昔。貴方もまた、人ではないのです」

「なんと……」

 嘉兵衛は言葉を失った。自分こそがこの世の者ではないと知り、驚きを禁じ得ない様子だった。

 かけるべき言葉を探し、晴臣が口を開きかけたその時。

 彼らの頭上から、朗らかな声がした。

「ほっほっほ……この遠野の山に足を踏み入れた時点で、現世うつしよ幽世かくりよもあるまいに」

 驚いて全員が見上げると、雑木の枝にはいつの間にか赤い頭巾と赤い半纏に身を包んだ好々爺こうこうやが腰掛けていた。

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