第11話 伝説の猟師

 山々の奥には山人住めり。栃内村とちないむら和野わの佐々木嘉兵衛ささきかへえという人は今も七十余にて生存せり。この翁若かりしころ猟をして山奥に入りしに、遥かなる岩の上に美しき女一人ありて、長き黒髪をくしけずりていたり。顔の色きわめて白し。不敵の男なればただちつつを差し向けて打ち放せしに弾に応じて倒れたり。そこに馳けつけて見れば、身のたけ高き女にて、解きたる黒髪はまたそのたけよりも長かりき。のちのしるしにせばやと思いてその髪をいささか切り取り、これをわがねてふところに入れ、やがて家路に向いしに、道の程にて耐えがたく睡眠をもよおしければ、しばらく物蔭ものかげに立寄りてまどろみたり。その間夢とうつつとの境のようなる時に、これも丈の高き男一人近よりて懐中に手を差し入れ、かの綰ねたる黒髪を取り返し立ち去ると見ればたちまちねむりは覚めたり。山男なるべしといえり。

         

                           ――遠野物語3



「い、今のって……銃……!?」

 届いた銃声に目を丸くして怯える琴子。音がした方では野鳥達が慌ただしく飛び立った。

「落ち着いて、猟友会の方がいるのかもしれないです」

「アリスちゃん? アリスちゃーん!!」

 総司郎が宥めるも、不安を拭き消せない彼女は姿の見えない友の名を叫んだ。しかし杉林の奥から返事はなかった。

 最悪の事態が頭をよぎり、夢路は舌打ちをする。顔を合わせればいがみ合っていた相手とは言え、死なれては寝覚めが悪い。

「あの派手髪なら間違って撃たれることはねえと思うけどよ……しょーがねえ、行くぞ!」

 落ち葉を蹴って、止める間もなく駆け出した。他三人もその背に続く。

 わざと足音を立て、人がいることを伝えるために大声を上げた。

「おーい! こっちは人間だ! そっちにひとり走っていったから撃たないでく――」

 夢路の訴えは、耳元を掠める鉛弾によって掻き消された。音より速いそれは空気を切り裂いて傍の雑木に生傷を与える。息を呑み、彼女は思わず足を止めた。

「っ……!」

「ゆめ、下がれ!」

 晴臣は動きを止めて恰好の的となった夢路の腕を引き、傾いた枯れ木の陰に避難させる。僅差で彼女の頭があった位置に次弾が撃ち込まれ、二人は青ざめた。

「な、んだあいつ……! 人間だって言ってんだろうが! てめーの目は節穴か!!」

「やめろ暴れるなって! 相手は銃だぞ!?」

「止めるなハル! 一発入れねえと気が済まねえ!」

 血気盛んに暴れる夢路を羽交い絞めにして取り押さえる晴臣。彼女の気持ちはもっともだが、どう考えても今銃声に向かって走っていくのは無謀だった。

 別の木陰に隠れていた琴子が、少し開けた前方の大岩の陰に赤髪の後ろ姿を見つけた。

「あ、アリスちゃん! おーい!」

「あ、ちょっ……!」

 彼女が脇目も降らず駆け出す前に、傍にいた総司郎は咄嗟に鞄を宙に投げる。

 すかさず鈍色の弾道が帆布を撃ち抜いたが、彼の思惑通り琴子は無傷でアリスの隣へと滑り込んだ。

「あたし達も行くぞ!」

「ちょっと待――」

 晴臣の腕をすり抜けて古木の陰から飛び出した夢路を、彼は必死に追う。ジグザグに雑木林を走って狙いを逸らし、二人の先輩の待つ岩陰へ滑り込む。

 藪を伝って走ってきた総司郎も合流し、一・五メートル程の幅の大岩の裏はあっという間に大所帯になった。

「よかったあ、皆揃ったねえ」

「先輩方、ご無事で何よりです」

「アリスてめー、勝手に走っていきやがって!」

「うるさいわね、先輩相手に生意気なのよあんたは!」

「頼むからここで喧嘩しないで……」

 五人の喧騒は、岩に命中した銃弾に遮られた。悲鳴を上げるより先に、アリスは怒りを露わにする。

「何ッなのよあいつ! 私達が動物じゃないって分かってて引き金引いてるわ!」

 沸点の低さは夢路とそう変わらなかったが、晴臣は黙っていた。その通り口にすれば殴られかねない。

 ただ確かにこれほどまでにこちらが人間であることを訴えておきながら銃弾の雨に曝されている状況は、よく考えなくても異常事態だった。なぜ自分達が狩られる側に立たねばならないのか、と疑問に思いつつ、夢路も憤慨する。

「あたしに銃口を向けるたぁ、いい度胸してんじゃねーか! 姿を見せて名を名乗れクソ野郎が!」

「ゆめ、頭下げろって」

 叫ぶ彼女の頭を岩陰に押し込む晴臣。返事とばかりに撃ち込まれた弾丸は、彼らの髪束を掠めて後ろの杉の木に着弾した。

 その時、なかなか当たらない獲物に業を煮やしたように、暗い杉の森の奥から銃声の主と思しき声がした。

「おれの名は佐々木嘉兵衛ささきかへえ! おのれ、あやかしなる者共よ、次から次に現れおって……里へくだる前におれが成敗してくれる!」

「佐々木……嘉兵衛……だと!?」

 よく通る男の声に、総司郎は眼鏡の奥の目を見開いた。明かされた名に信じられない、といった様子でかぶりを振る。

「いや、そんなはずは……」

「総司くん、知り合いー?」

 その取り乱しように、琴子はのんびりと尋ねる。

 彼はいえ、と短く否定した上で長い前髪を払い、口を開いた。

「佐々木嘉兵衛は……明治時代に死んだはずの、伝説の猟師です」

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