第4話 姥子淵へ行こう

 小烏瀬川こがらせがわ姥子淵おばこふちの辺に、新屋しんやうちという家あり。ある日淵へ馬を冷しに行き、馬曳うまひきの子は外へ遊びに行きし間に、川童出でてその馬を引き込まんとし、かえりて馬に引きずられてうまやの前に来たり、馬槽うまふねに覆われてありき。家のもの馬槽の伏せてあるを怪しみて少しあけて見れば川童の手出でたり。村中のもの集まりて殺さんかゆるさんかと評議せしが、結局今後は村中の馬に悪戯いたずらをせぬという堅き約束をさせてこれを放したり。その川童今は村を去りて相沢あいざわの滝の淵に住めりという。                     

                           ――遠野物語58



「ハル隊員」

「なんだよゆめ」

「我らは真剣に河童を探す遠野大学・河童捜索隊である! あたしのことは隊長と呼べ!」

「……はい何でしょう隊長」

「これはどういうことかね」

 夢路と晴臣は朝から遠野駅に集合し、バスと徒歩で河童伝説で有名な常堅寺じょうけんじを訪れていた。遠野物語五十八話によると、姥子淵おばこぶちという川で河童が出たという目撃情報があったからだ。

 森の中にひっそりと佇む古刹こさつの脇には足洗川あしあらいがわと呼ばれる小川がゆったりと流れており、これが地図上では『カッパ淵』だと掲載されていた。夢路はここが河童の出現場所で間違いないと見当をつけ、捜索しようと息巻いていたのだが。

 そこは多くの観光客で賑わっていた。木陰で涼んだり、川に入ったり、水面にきゅうりを吊るしてみたりと思い思いに楽しむ様子に、晴臣は素直に感想を漏らした。

「……大盛況ですね、隊長」

「大盛況ですね、じゃねーわアホ!」

 黒シャツの肩を殴る夢路。理不尽だ、と思いながらも、しかしある程度晴臣はこうなることは予想出来ていた。

「まあ、地元でも知らない人はいないくらい超有名だからな」

「バス停近くてアクセス抜群だし、ちょっとした人気観光地じゃねーか!」

「俺に言われても……」

 涼しい川面に目を遣りながら、隊長の怒りを受け流す。

 今日の彼女は探検服のつもりなのか、いつものパーカーの下は短パンだった。健康的な白い脚が地団太を踏む。

「捜索隊なんだから、森を分け入った先とか! そういうの想像するじゃん! 地元住民なら言えよ!」

「ほら、きゅうり買ってきたから。釣り糸垂らしてる人いるだろ。あんな感じで一日待ってたら来るんじゃね」

「こんな人混みで釣れたら苦労しねーわ!」

 束で差し出されたきゅうりを一本奪い取りながら叫ぶ夢路。本気で捕獲しようとしていた熱意の矛先のやるかたもなく、面白くなさそうに青いきゅうりをヘタごとぼりぼり齧っている。

 正直なところ、晴臣は今日一日ここでお茶を濁そうと決めていた。アリスが昨日言っていたように、一度手近なそれらしいところを捜索すれば満足するだろうと。

 しかし彼の期待は粉々に打ち砕かれることになる。

「はああ、どうすんだよこれ……マジで河童釣りするか……」

「若いの、あんたらも河童探しに来たのかい」

 二人が振り向くと、寺の関係者と思しき作務衣姿の老年男性が立っていた。その辺りを掃いていたのか竹箒を抱えている。

「そうなんすけど、姥子淵にこんないっぱい人がいるって知らなくて……」

「おん? ここは姥子淵じゃないよ」

「へ?」

 明かされる真実に晴臣はまずい、と顔を曇らせた。その思いを知ってか知らずか、男性は語りを続ける。

「ここ常堅寺もな、確かに河童にゆかりのある寺なんだがね。大昔に寺が火事になった時に、そこの川から河童が飛び出して消火活動をしたっていう。……今は大分賑やかだけど」

「本当の姥子淵って、どこなんすか!?」

 食い気味に男性に飛びつく夢路。

「おん……あるにはあるけど……お嬢さん徒歩だろ? 結構山奥だぞい」

「良いんです! むしろ山奥の方が! 真剣に捜索してるんで!」

「デートには向かないと思うがね……ほら、そこの国道をしばらく真っ直ぐ行って――」

 親切心全開で説明される道順を、彼女は熱心に聞いていた。これ絶対この後行くって言うやつ、と晴臣は内心頭を抱える。

 気を付けてね、と男性が手を振って去るや否や、夢路は隣の相棒に凄んだ。

「ハル……お前、ここが姥子淵じゃないって知ってたろ」

「……ああ、うん」

「うがあああ! バツとしてきゅうりは全没収な!!」

 猛犬のように怒る隊長に、袋ごときゅうりを奪われた。

 それはそうと、晴臣はこれから始まることが確定した、文字通り山を分け入って進む河童捜索ツアーが憂鬱でしかなかった。もう帰りたかった。

「ええ……マジで行くのかよ……遠いぞ姥子淵」

「行くに決まってんだろ! ほら置いてくぞ!」

 鼻息荒く駆け出していく夢路の背を、たったひとりの隊員は溜息交じりに追った。



 延々と続く平坦な田園風景を横目に、遠野大学河童捜索隊の二人は国道三四〇号を歩いていた。たまに通る車の音以外は小鳥の鳴く声がする程度ののどかな道程だった。

「ハルーあと何キロー?」

「あと二・五キロくらい」

「遠いなーもう姥子淵が来いよ」

 お前が行きたいって言ったんだろ、という言葉は飲み込みつつ、素直についていく晴臣。口に出せば倍以上になって返ってきそうだった。三、四十分ほどしか歩いてないのに、容赦なく照り付ける春の日差しに汗が滲み、彼は黒シャツの襟元を仰いだ。

「そういやさあ、なんで遠野の河童って真っ赤なんだろうな。ほら、イラストも大体赤じゃん」

 本日二本目のきゅうりを齧りながら、夢路は総司郎から借りた『カッパ捕獲許可証』を見せる。確かにそこに描かれた河童も、先程の常堅寺に置いてあったパンフレットの河童も、赤銅のような赤い肌をしていた。

「遠野物語にもそういう風に載ってたろ。なんか多分その……そういう種類なんじゃねーの」

「載ってたっけ?」

「お前読んでないだろ……五十九話に『遠野の赤河童』って話あっただろ」

 晴臣は鞄から『口語訳 遠野物語』を取り出すが、夢路は眉根を寄せてかぶりを振る。

「五十九どころか五十八話も流し読みしかしてねえわ。文字多いの苦手なんだよな」

「お前、せっかく総司郎さんから借りといて……」

「五十八話の認識としては姥子淵に河童がいた、くらいだわ。どんな話だっけ?」

 小石を蹴りながら歩く彼女に、晴臣は書籍の内容を要約して語る。

「……昔、姥子淵で子供が馬を冷やしに行って、馬を置いて子供が遊びに行ってしまった隙に河童が悪戯いたずら心で馬を淵へ引き摺り込もうとしたが、逆に馬に引き摺られてうまやに連れて行かれた。驚いた河童は馬水桶に隠れたが村の人に見つかってしまう。村人達は相談し、殺さないでやるからもう二度と悪戯するなと約束させた。その約束通り、その後その村で河童は悪戯しなかった――って流れだな。ざっくり言うと」

「見つけた河童を普通に殺そうとするの何で? 蛮族にも程があんだろ」

「さあ……。あ、ここ曲がるんだろ」

 国道から脇道に入りトラクターとすれ違いながら、二人は姥子淵を目指して歩みを進めた。

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