第3話 美男美女の捕獲計画

 新年度の早池峰祭はやちねさい実行委員が発足してから早くも三週間が経過し――夢路は憤慨した。

「全ッッッッ然!! イケメン来ねええええええええ!!」

 空き教室の椅子に掛けた彼女は、学内に設置していた『ミスター&ミスコン出演募集箱』に顔を突っ込み、じたばたと暴れた。その様子に、隣で大量のレシートを集計していた晴臣が呆れて言う。

「応募自体は少なからずあるんだろ? それで何とかしろよ」

 箱から顔を出した夢路は、数枚の応募用紙に貼られた写真を彼に突き付けて愚痴った。

「何ともなんねえよ。見ろよ、この自分がこの世で一番カッコいいとでも自惚うぬぼれてそうな顔を。てめーなんか数回殴ったジャガイモ以下だわこの野郎」

「顔を晒すというリスクを冒して応募してきてくれた人間に向かってなんて事言ってんだ」

 どいつもこいつも書類選考不合格だ、と彼女は集めた用紙をすべてシュレッダーにかける。紙屑になって散っていく志望者達を眺めながら、晴臣は溜息を吐いた。

 二人の目の前で、わざとらしく赤髪を靡かせたアリスは声をかける。

「あらあ、進捗がかんばしくないようね。夢路」

 そのほくそ笑むような顔に夢路は余計に苛々して噛み付いた。

「アリスてめー、開催困難な企画を押し付けて来やがったな!?」

「先輩を付けなさいよ、先輩を! 私の方が二つも年上なんだから敬いなさい!」

「うるせー、余計に歳食ってるだけだろうが!」

「何よううう!」

「アリスさん、落ち着いて……こら、ゆめ落ち着け! ハウス!」

 掴みかかろうとする二人の間に晴臣が仲裁に入る。

 実際、アリスの言う通りミスター&ミスコンの進捗は芳しくなかった。そもそも募集に対し応募が少ないのも要因のひとつだった。男性は数件、女性はゼロ。

 それもそのはず、遠野大学は日本でも有数の小規模大学で学生数は全学年合わせても四千人弱。そのうち己の美貌に自信を持ち、企画に参加しようなどという猛者は片手の数いれば良い方だった。

「自薦他薦を問わないと言っても、やっぱり尻込みしちゃうのかなあ。毎年こんな感じだよねえ」

「まあ、昨年のミスターもミス遠野もどんな方だったか印象に残っていませんし。もはや登壇者とその一部の身内が盛り上がったら良い企画なのではないでしょうか」

「何すかその消化試合感……」

 琴子と総司郎の言葉に、そんなんじゃ地味すぎる、と夢路は黒髪を掻きむしる。彼女の夢見る派手な舞台には到底及びそうにもなかった。

 見かねた晴臣は頭を捻り、

「学内で賄うのもなかなか難しいので……学外もOKにしません?」

 折衷せっちゅう案を委員長に提案する。アリスは腕を組んで一考し、まあそうね、と承諾した。

「地域参加型という形で、遠野地方の住民であれば良いことにしましょ」

「おお。やったな、ゆめ」

 晴臣は夢路を振り返るが、彼女の顔は曇ったままだ。傍でパソコンを開いていた総司郎に問いかける。

「総司先輩、この辺って何人くらい人住んでるんすか?」

「……最近の遠野市の人口推計では二・六万人とあるな。うち十五歳から三十九歳までの生産年齢人口は四千五百人程度だ」

「ほぼ学内の人口と同じじゃないすか……心許こころもとねえー」

 人口減少を呪いながら、夢路は机に突っ伏した。駄々っ子のように足をバタバタさせながら机を叩く。

「なんかこう、地元で有名な芸能人とか! アイドルとか! 手っ取り早くそういうのいないんすか?」

「もしいても芸能人誘致担当の琴子の仕事よ。そうそういないわよそんなの」

「えー」

 アリスに言われた夢路がなすすべなく椅子にもたれかかって天を仰いだ時、考え込んでいた総司郎がふと思いついたように声を上げた。

「……いるじゃないか、遠野にも著名人が」

「え、マジすか! 誰誰!」

 途端に元気になり、彼女は勢いよく向き直る。

「ほら、これだ」

 眼鏡をかけ直した総司郎は、今しがた鞄から出したばかりの文庫本を差し出した。古い表紙には『遠野物語』とある。何度も読み返したのか、色とりどりの付箋が飛び出しページの端はボロボロだった。

「何すかこれ」

「知らんのか? 遠野を巡る不可思議な物語を……」

 長い前髪をさらりと掻き分け、やれやれと彼は語りだす。

「日本が誇る民俗学者、柳田国男が残した名著『遠野物語』。百十九篇からなるこれにはここ一帯――岩手県遠野地方の文化や歴史、そして不可思議な怪異や言い伝えに遭遇した逸話などが記されているのだ。そのどの筆致も現実味を帯び、文化的な手触りを色濃く残し研究対象としてはこの上ない――」

「そういえば総司くん、文学部だったねえ」

 立て板に水をかけるような流暢な話しぶりに、琴子は半分感心、半分引きながら言う。しかし熱を帯びた総司郎の演説は止まらない。

「俺はこの名著を研究し深く理解するためにこの遠野大学に入学したと言っても過言ではない。それほどまでに魅力ある著作なのだ。ほら、読みやすい口語訳もあるからお前らも読め」

 そう言って新たな文庫本を数冊取り出し、実行委員の面々に配る。晴臣は渋い顔をして受け取った。ページを捲ると確かに読みやすく現代語訳され、さらに注釈までついている。

 裏表紙の煽り文を眺めながら、アリスは微妙な顔で頷く。

「ああ、何か観光協会が激押ししてるのを見たことがあるわ。河童伝説ツアーとかで」

「そう、有名どころで言えば河童ですね。他にも座敷童子ざしきわらし、天狗なども遠野物語に記載があります」

「そうは言うけれど、妖怪よ? そんなのいる訳――」

 呆れつつ彼女が振り向くと、想いに反し黒髪の一年生は瞳を輝かせていた。

「河童! 座敷童子! 天狗! すげえ!」

「素直に食い付くのね……」

「決めた! あたし、遠野大ミスター&ミスコンを目玉企画にすべく、野に放たれた美男美女の妖怪を連れてくる!」

 高らかな夢路の宣言に、晴臣は呆れて言う。

「一億歩譲って妖怪がいたとして、美男美女である保証はねえだろ……」

「いや、大丈夫だろ! 童話とかで出てくる妖怪って大体可愛いじゃん? 人前に出てこない奴ほど自分が格好いい可愛いって気付いてない説あるだろ」

「デフォルメされてるであろう創作物に全幅の信頼を寄せるな。いるか分からんものに対する神秘性みたいなもんを履き違えてないか?」

 一年生達のやり取りを聞きながら、アリスは頭痛がして額を押さえた。既に席を立ち今にも駆け出しそうな彼女を止める気力はなかった。腕を組み、晴臣に命じる。

「仕方ないわね。ハル、あんたも行ってきなさい」

「俺もですか!? なんで!?」

「こんな時のための『その他』担当でしょ? ただでさえ数少ない実行委員、これ以上減らしたら大変じゃない。逃げないか見張ってなさい」

「いや、そもそも行かせなきゃ良いじゃないですか! そんないる訳ない妖怪探しなんて――」

「いいや、葉乃矢。河童はきっといるぞ。ほら、俺もこの許可証を毎年取得している」

 晴臣の言葉を制し、総司郎は名刺サイズのカードを取り出した。ポップな字体で『カッパ捕獲許可証』と書かれたそれには、赤い河童と麦わら帽子の男性が仲良く手を取り合う牧歌的なイラストが描かれている。隅の方には遠野市観光協会の印もあり、正当性を伺わせる出来だ。

 夢路は宝物を見るような嬉々とした表情でそれを受け取った。

「すげーすげー! 借りてっても良いですか!?」

「いいぞ、裏面のカッパ捕獲七ヶ条もしっかり読めよ」

「はーい!」

「ああもう、話が戻れない方へ……」

 頭を抱える晴臣。もう彼の請願は誰にも聞き入れてもらえそうになかった。

「俺は今広報サイトを作っててしばらく手が離せないから、頼んだぞ結崎、葉乃矢」

「うっす! 任せてください!」

 夢路は力強く胸を叩く。瞳と同じくらい、両耳のピアスも照り輝いた。持ち主に文庫本を返しながら、アリスは赤髪を掻き上げて言う。

「明日からゴールデンウィークだし、ちょうどいいじゃない。一ヶ所行ったら満足するわよきっと。付き合ってやんなさい」

「他人事だと思って……」

 特に期待をしている風でもない言い草に彼は憤懣ふんまんやるかたない様子だったが、実行委員長の決断には逆らえなかった。琴子もふわふわと肩口の金髪を揺らして拳を握る。

「頑張ってねえ、ゆめちゃんとハルくん。応援してるー」

「くっそ棒読みじゃないですか……」

「うん、私この後彼氏とデートだから。じゃ、連休明けの吉報待ってるよー」

 そう言って笑顔の彼女は荷物をまとめて去っていった。面白がりつつも、恐らくどうでもよさそうだった。

 投げ槍な空気が漂う空間にただひとり、夢路はやる気の炎を滾らせている。相棒としてあてがわれた男の止める間もなく教室を出ようとしていた。

「行くぞハル! 河童捕獲じゃ!」

「いやあの、もう日が暮れるから……せめて明日にしようぜ……」

 この後何往復か晴臣が夢路を説得するやりとりがあり、何とか翌朝に大学近くの駅前で集合することになった。

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