第2話 夢路の野望

「良かったぁ、今年は五人も集まって」

 胸を撫で下ろす琴子に、夢路は怪訝そうに聞く。

「実行委員て人少ないんすか? これで全部?」

「学祭と言えば大学生活におけるビッグイベント……には間違いないのだが、どうもそのようだな。俺もさっき来てそう聞いた」

 隣に立つ総司郎はそう頷いて眼鏡をかけ直した。アリスは不満そうに鼻を鳴らす。

「参加者側はいっぱいよ。学外からも来るもの。ただ実行委員は毎年片手で数える程。昨年は四人、うち一人はバックれたから実質三人でやったわ。ね、琴子」

「大変だったよねえ」

 ようやく縄を解いてもらえた晴臣は恐る恐る聞く。

「……アリスさんと琴子さんは今年も継続として、その最後の一人は」

「中退したわ」

「ええ……」

 呆れて二の句は継げなかった。あまりに無謀な場所に足を踏み入れてしまった己を呪い、彼は頭を抱える。

「ところで、ゆめちゃんはどうして実行委員やろうと思ったの?」

 琴子は問いかける。机に腰掛けた夢路はスカートの中身が見えそうになるのもお構い無しに足を組み、ロングの黒髪を揺らした。

「そりゃあもう、学祭実行委員といえば! ひとつの目標に向かってみんなで邁進! その中で繰り広げられる熱い友情と恋模様! なんかもう大学デビューにはうってつけじゃないっすか! 高校の時から入るならここだ! って思ってて。そして最終的にイケメンの彼氏が欲しい!!」

「この上なく不純な動機ね……」

 目を輝かせて野望を語る夢いっぱいな新入生にアリスは頭が痛くなった。彼女の耳にジャラジャラと光るピアスの大群を見つけて言及する。

「その耳も大学デビューってこと?」

「そっすね。舐められたら負けなんで」

「田舎のヤンキーの哲学を持ち込まないでくれる?」

 黒髪を掻き上げ自慢の耳飾りを見せる夢路。ひとつひとつが小指の爪ほどもある金や銀のそれらは、耳たぶと言わず見えている範囲を覆うようにびっしりと並んでいた。どれも照明の光を受けて欲深そうにぎらついている。

 晴臣も驚きと共に彼女の両耳をまじまじと見る。

「いくつ開いてんだ……すげーな」

「うん? 左右七個ずつ。縁起いいかなって」

「大学デビューしようとして開けるピアスの量じゃねえだろ……耳の処女バージン華々しく散らしすぎなんだよ」

「そういうお前はなんでここにいんだよ」

「俺が聞きたいわ」

 ぐったりする晴臣に、腕を組んだアリスは得意そうに鼻を鳴らす。

「学内をひとり寂しく彷徨ってたから連れて来たのよ。感謝しなさい」

「ほぼ強制連行だったじゃないですか……」

 彼の肩を叩き、総司郎は説得するように語りかける。

「これも何かの縁だ。毒を喰らわば皿までというだろう。葉乃矢、腹を括れ」

「もう毒って言ってる辺り碌なことじゃないんだよなあ」

 先輩の掌を重く感じながら晴臣は呟いた。琴子は周囲のやり取りを意に介さず、移動式の黒板をカラカラと引いてきた。チョークの白い粉を落としながら五人の名前をのんびり書き記していく。

「さあさ、どうせこれ以上増えないでしょう? 今年の担当どうするー?」

「そうね。委員長権限で私は模擬店担当やるわ。琴子はどうする? 今年も芸能人誘致する?」

「そうねえ。そうしようかなあ」

 実行委員経験者の三年二人の名前の横に、琴子の丸文字で担当割が書き込まれていく。サクサク決まっていく役職決めに、夢路が口を挟んだ。

「あたしも芸能人とか会いたいーあたしもやるっす」

「駄目よ。一人一役じゃないと回らないわ」

「えー」

 ぶーぶーと不満を訴える彼女に、赤髪の実行委員長は不敵な笑みを浮かべて鞄を探る。

「あんたにはとっておきのイベントがあるわ……これよ」

 取り出したのは、昨年の物と思しきパンフレットだった。中心に踊る陽気な文字を、夢路はそのまま読み上げる。

「『遠野大ミスター&ミスコンテスト』……?」

「その名の通り、学内を歩く美男美女を募って来場者に投票させ、遠野大学で誰が一番格好いい&可愛いかを決めるイベントよ」

「学祭ステージで最後に行われるイベントなんだけど、毎年それなりに人気なんだよねえ」

「派手そうなあんたにぴったりじゃない」

 アリスの推薦に琴子も追従する。メインステージの人気企画と解釈した夢路はぱっと表情を明るくして、

「おお、楽しそうっすね! やるやる、やりまーす!」

 元気に快諾した。アリスは密かに拳を握ったが、誰にも気付かれなかった。

 その後、パソコンが得意な総司郎は広報・情報宣伝担当、晴臣は会計・その他と決まった。

「その他って何ですか! 面倒臭そうなこと全部俺に乗っけるつもりでしょ!」

 晴臣の悲鳴を置き去りにして。

 ちょうど良く鳴った鐘の音を皮切りに、新しい実行委員のメンバーは三々五々に荷物をまとめ始める。

「じゃ、私は授業だから。毎週月・水・金の放課後に集合ね。全員、逃げたら承知しないわよ」

「私もこの後彼氏と用事あるから帰ろうかなあ。またねえ」

「お疲れ様です、俺も失礼します。一年諸君よ、またな」

 上級生達は慣れた様子で教室を去っていった。夢路はひらひらと手を振りながら見送る。

「おつかれーす」

 途端に静かになった空き教室には、手持ち無沙汰な一年生二人が残された。スマホを取り出して黒板の担当割を撮りながら、彼女は呟いた。

「琴子先輩彼氏いるんだな。今度聞いてみよーぜ」

「楽しそうだな、お前は……」

「そりゃあ楽しいだろ! 一年に一度しかない大学祭が、今から始まるんだぞ? ワクワクしかしねーよ」

 始まったばかりの華々しいキャンパスライフに期待に胸を膨らませる彼女の瞳は、星屑を詰め込んだかの如く煌めいていた。ほんの数分の間に大役を背負わされた晴臣は余計にそれが眩しく、どっと疲れを感じる。

 ふと、壁にかかる時計を見た夢路が、思い出したように言う。

「あ、やべ。学部の説明会あるんだった。ハルは?」

「俺は良いよ、帰る。ていうか早速呼び捨てかよ」

「いーじゃん。昔飼ってた犬がハルって言ったんだよ」

「そのエピソード聞いて良いと思うわけねえだろ!」

 俺は犬か、と彼は茶髪を掻きむしったが、夢路は意に介さなかった。

 短いスカートを翻し、長い黒髪を揺らして彼女はひらりと手を振る。

「じゃあな。逃げんなよ、ハル」

「逃げてもあの先輩地の果てまで追いかけて来るだろ……もう諦めたよ」

 受け取り手のいない晴臣の溜息は、誰もいなくなった教室に吸い込まれていった。

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