第36話 信じます
竜の……ファテスだった何かの咆哮が大気を震わせ、空間を隔離していた結界が音を立てて崩れ去った。
同様に俺の身体を蝕んでいた気持ち悪さまで消えたから、あれは『魔法』を使っていたファテスとは似て非なる存在なのだろうと直感的に理解する。
「此処は我等の領域だ。描き、隔て、結んで新たな理を示せ――ッ!!」
間髪入れずにクーの厳かな詠唱が続き、今度は正常な結界が空間を形成する。
「特別製の結界やから多少のことじゃびくともせん……はずや!」
「そこは自信をもって言ってよっ!」
「仕方ないやろ!? この状態で出せるほぼ限度やけど、あっちやて『四大魔皇』の配下なんやからどこまで耐えきれるかわからん!!」
「でも……どうするんですか?」
「どうにかして倒すしかないでしょ」
「紬ちゃんの言う通りかな。『
紅奈さんは不敵に笑い、杖を構えて徹底抗戦の構えを取った。
そして、こちらを振り返って、
「でもね、二人まで戦う必要はないよ。勇敢と無謀をはき違えたら……わかるでしょ?」
優しくも神妙な面持ちで語りかけてくる。
それはもっともな主張だ。
俺がファテスと戦って生き残ったのは運が良かったからにすぎない。
対してあの竜は理性と呼べるものがあるとは思えず、感じる力も人型だった頃より大きく荒々しい。
まともに正面から戦って力比べになれば負けるのは確実。
それに、今の俺にはまともに戦える余力がない。
大人しく引き下がって、紅奈さんに任せるのが賢明なのはわかってる。
「…………紅奈さんは一人で戦うつもりなんですか?」
「まあ、そうなるかな。他の『魔法少女』が来てくれる可能性もあるけど、他でも『
「怖くないんですか?」
「怖いよ? 私も人間だもん。死にたくないし、痛いのも嫌。だけど、やるしかないの。可愛い後輩を見捨てて逃げたりしたらあの子に顔向けできないし」
あはは、と見せた笑顔は今から死地に向かう人間が浮かべるものとしては、あまりに輝いていて。
「……でも、もしも隣で戦ってくれる人がいたら凄く心強かっただろうなあ、とは思うかな。紬ちゃんと紗季ちゃんみたいに」
そこまで口にすると、紅奈さんは正面を向き直し、杖を構える。
竜もまた張り直された結界に怒りを示すかのように咆哮を上げ、続いて限界まで開眼された眼が俺たちの方へ注がれた。
竜は長い首をもたげ、喉の当たりに膨大な魔力を溜めていく。
「紅き天の半身よ、御身の威光は不浄を照らす必滅の焔ッ!!」
地上に浮かび上がる巨大な緋色の魔法陣。
陽炎が立ち込め、視界は揺らぎ、杖の先端へ力が収斂し、太陽にも匹敵するほどの輝きを宿した。
「日華の焔を灯とし、導となりて道を示せッ!!」
杖を掲げると輝きが頭上へ放たれ、煌々とした光を放つ第二の太陽が生まれる。
鬱陶しいとばかりに両翼を羽ばたかせ、飛行を始めた竜が遂に咢を開き――青紫色のブレスが吐き出された。
それは何かに触れる傍から溶かし、ぐずぐずの黒い物体に変えながら、勢いを衰えさせずに迫りくる。
「集まれッ!! 結界張るでッ!!」
クーの手によって俺たちの周囲にもう一つの結界が張られたが、その中に紅奈さんはいない。
結界で隔離しては迎撃が出来なくなってしまうからだ。
毅然と佇む紅奈さんの背中を見ていると胸が熱くなって、でも、手を伸ばせるほどの力がない自分が嫌になる。
「……大丈夫です。紅奈さんなら、きっと」
そんな俺の手に、紗季の手が重なった。
少し冷たくて、恐怖からか震えた手。
無言で頷き、ただ紅奈さんの『魔法』を信じるために心からの祈りを送り、
「――『
紅奈さんが全身全霊を振り絞った『魔法』が花開く。
第二の太陽が酷く緩慢に、しかし確かな歩みをもって竜のブレスへ突き進み――二つの超密度で構成された『魔法』が衝突する。
威力は互角に見えたが、ほんの僅かに竜のブレスが太陽を飲み込まんと広がっていた。
原因は余力の差と、根本的な魔力量だろう。
人間と竜ではそもそもの土台が違う。
そこに正面から挑むしかない状況を作られれば……流石のSランク『魔法少女』であっても不利を押し付けられる結果になる。
でも、紅奈さんはそれもわかっていながら一人で迎え撃つ選択をした。
それを誰が責められるだろうか。
半分ほど太陽が呑まれ、これ以上の形勢逆転は望めないと感じた矢先、紅奈さんの身体がふらりと傾いて倒れてしまう。
紅奈さんの意識が失われたことで太陽も輪郭が綻び、ブレスに呑み込まれていく。
「クーっ!! 紅奈さんをっ!!」
「わかっとるッ!!」
倒れた紅奈さんがこっちに引っ張られ、結界の中に格納される。
それから間を置かずに結界がブレスに呑み込まれた。
音はなく、ひたすらに気持ち悪い感覚だけが駆け巡る。
結界は損傷してもクーの力ですぐに修復されていたが、
「もう、限界や――っ」
苦しげな声が上がる。
しかし、ブレスの方もちょうど撃ち切ったようで、影響としては肉が爛れて激痛が走る程度の
まともに浴びていたら骨も残らず溶けていたことだろう。
「紅奈さん、クー。ありがとうございます」
命を削って守ってくれた二人にお礼を言って、俺は前に踏み出した。
それに追従するように、隣で足音が鳴る。
「一人でなんて行かせませんよ」
「……どうしてそう心を読むのかなあ」
「紬が考えることくらい簡単に読めます。……悔しいのは、私も同じですから」
「ダメや、二人とも逃げるんや……ッ!!」
「そうできたらよかったんだけど……ごめん。思ったより諦めが悪かったみたい」
剣を抜く。
銀色が奴を斬り捨てる光景を脳裏に夢想し、研ぎ澄ます。
間近で紅奈さんの『魔法』を見た今なら生み出せる気がした。
絶望すらもぶった切る、そんな『魔法』を。
「紗季」
「何秒必要ですか」
「十秒でいい。それだけ稼いでくれたら、絶対に斬って見せる」
たった十秒、されど十秒。
紗季が稼ぐにはいくつもの死線を潜らなければ成しえない。
「信じます。だから――見せてください。紬の『魔法』を」
それは何よりも重い信頼で、奇跡を起こすには申し分ない祈りだった。
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