第35話 変貌《ディスガイズ》


 網膜を焼くほどに強い光と熱量に目を細めている間にも、次々とその熱線はファテスの身体を上空から穿ち、炭化させる間もなく焦がしていく。

 予想だにしなかった光景に唖然としていると、すぐ隣に影が生まれ、そこから見知った人影が現れる。


「紗季……? どうして――っ」

「紬っ!!」


 戻ってきたの、と聞く前に、瞼に涙を溜めた紗季が胸に飛び込んでくる。


 衝撃で全身に痛みが走るも紗季を咎める気にはなれず、苦笑しながら落ち着けるために背を撫でた。


「そんなに焦ってどうしたのさ」

「よかった……今回は、間に合いましたっ! 怪我はっ!」

「全然大したことない……って言いたいところだけど、正直、ギリギリかな。呼吸するだけで全身が馬鹿みたいに痛いし、視界は霞んでぼやけてる。魔力ももうほとんど残ってない。あと、こうしてるのもちょっとキツイ」

「ごめんなさいっ! つい、気づいたらああしていて……」


 慌てて離れた紗季が申し訳なさそうに謝ってくる。

 そんなに気にしなくていいのに。

 痛かったのは痛かったけどね。


「いいよいいよ。悪気がないのはわかってる。……ありがとう。戻って来てくれて」

「約束しましたから。戻ってくるのもそうですけど、救援も」

「てことは、さっきのはやっぱり紅奈さん?」

「せや。ワイもおるで」

「クーまで? 珍しいね」


 紗季の背中を駆け上がり、頭の上に座ったクーが前足を上げて存在を主張する。


「他でも『異獣エネミー』が大量発生して『魔法少女』を呼べなかったから保険としてついてきたんや。にしても……あの・・ファテス相手によう生きとったな。大方、時間をかけて甚振るつもりだったんやろな。昔から変わらん碌でもない奴や」

「クーはあいつを知ってるの?」

「そりゃあな。向こうで何度かやりあったことがある。ま、全部ワイの勝ちやけど」


 ふふん、と猫の姿で器用に胸を張る。


「そんなに強いならクーが戦った方が早くない?」

「世界の方が耐えられん。大きすぎる変化は因果律に作用して……とにかく、面倒なことになる。それに、人の世界は人の手で守られるべきやと思わんか?」


 クーにつられて空を見上げれば、金紅色の炎を散らしながらゆっくりと降下してくる紅色の魔女、紅奈さんの姿があった。

 紅奈さんは俺に気づくと驚きの表情を浮かべたが、無事なのを理解してかホッと胸を撫でおろす。


「紬ちゃん、遅れてごめんね。でも、よく生きててくれた。諦めないでいてくれた。その気持ちが私に繋いでくれた」

「そんな大層な考えがあってのことじゃないですよ。だって、紗季を残して死ねないじゃないですか。そんなことになったら後を追って私も……とか本気で考えそうですし」

「……私のイメージに若干の歪みがありませんか?」

「だって、ねえ?」


 紗季のジト目にこちらも視線を返し、紅奈さんも「へえ……そんなになんだ」と何か珍しいものを見たような言葉を漏らすと、流石に分が悪いと悟った紗季が「それはともかく」と話題を変える。


「作戦、なんとか成功しましたね」

「そうね。紗季ちゃんの『影』で一瞬隙を作りつつ、敵に察知されないように私の魔力を隠蔽してもらっての奇襲。良い誤算だったのは紬ちゃんが予想外の善戦をしていて注意が傾いていたこと」

「紬の嬢ちゃんはようやっとる。Sランクの『異獣エネミー』を相手にして、死なずに一人で時間を稼いだんやからな」

「それができたのはあの騎士が俺のことを舐めていたからですけどね。本気なら数分でダメでした。運が良かっただけです。それより……倒せたんですか? 紅奈さんを疑うわけじゃないですけど、相当強いんですよね?」


 確認をするようにファテスを見れば、とてもじゃないが生きているとは思えないほどの傷を負っているのが窺えた。


 紅奈さんが空から撃ちおろした熱線に穿たれた甲冑は見るも無残に溶解し、金属の部分は熱が伝播したのか赤熱してしまっている。

 当然中身も無事ではないだろう。

 焦げ付いた特有の臭いが風に乗って運ばれてくる。


 でも……妙だ。


 もしも『異獣エネミー』を倒せていたのなら、やつは今頃光の粒子になって消えていても不思議じゃない。

 特別強い個体だとこうなるのかな、と考えていた俺の傍で、クーだけが表情を硬くしながらファテスを見ていて。


 腹の内で気持ち悪さが渦巻き、悪意が口の端を歪めて嗤っているかのような、そういう良くない感覚が寒気と共に襲ってくる。


「紅奈の嬢ちゃんッ!! あいつ、まだ死んどらんッ!!」

「っ!!」


 クーが叫んだ瞬間、どくん、と心臓の鼓動に似た音が身体の芯に伝わってきた気がした。

 不安感をあおるそれに突き動かされるように全員が見たのは頽れた甲冑。


 もう動くことはないはずのそれが独りでに蠢き、立ち上がっていく。


 焦燥が足元から這い上がって、鼓動が早まり、嫌な汗が滲み、途方もない威圧感が呼吸すらも押しとどめる。

 呻き声すら発せず、ただ立ち尽くすだけだった俺と紗季と違い、紅奈さんだけが緋色の杖を片手に動いた。


「常世を裁く天焔の剣よッ!! 『神使焔剣ブランド・オブ・ミカエル』――ッ!!」


 切羽詰まった詠唱によって、杖が緋色の長剣へと生まれ変わる。

 熱量の差で生まれた陽炎が視界を歪ませたかと思えば、紅奈さんはもうファテスに斬りかかっていた。


 だが――


「どう、してっ!?」


 ファテスの数センチほど前で緋色の剣の進軍は目に見えない壁にぶつかったかのようにピタリと止まってしまう。


「チッ……不意を突けたからって油断したッ!! 紅奈の嬢ちゃん離れろ!! 『変貌ディスガイズ』に巻き込まれるで!!」


 クーから聞き慣れない単語が飛び出たが、どんなものなのか聞く余裕はなく、紅奈さんもまた自分の攻撃が通らないと見るや否や素早く飛びのいて傍に戻ってくる。

 そして、心底悔しそうに口を結びながら、


「ごめん。これは私の失敗。ちゃんととどめを刺したかまで確認していれば……っ」

「いや、紅奈の嬢ちゃんはなんも悪ない。『変貌ディスガイズ』にはいくつか種類があるんやけど、今回のは一度死んで発動した・・・・・・・・・もんや。保険として予め仕込んどったんやろ」

「『変貌ディスガイズ』って何なの……?」

「簡単に言うと『魔法』に呑まれ、融合することや。自分の意思でも出来る奴はおるけど、大抵の場合は自我が崩壊する」


 険しい眼差しを向ける先。

 甲冑の隙間から饐えた臭いを放つ赤黒い何かがごぽ、ごぽと溢れてくる。

 血と呼ぶには固形で粘りがあり、肉と呼ぶには頼りなく地面に広がっていくそれは、甲冑の中にいたファテスの体積よりも多いだろう。


 やがてそれは寄り集まり、一つの巨体へと姿を変える。


「――竜」


 全身を隙間なく覆う青紫色の鱗。

 頭部にはねじ曲がった角があり、くぼんだ眼窩には妖しい光が湛えられていた。

 剥き出しの牙から滴り落ちた唾液は地面につくと、じゅわりと音と白い煙を立てて溶かしている。


 ビルのように太い四足で地を踏み荒らし、威嚇のためか巨大な尻尾を叩きつける巨大な竜。


「――GYAOOOOOOOOOOOOOOUUUU‼‼」


 新たな絶望が、産声を上げた。

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