第30話 随分と安い幸せだね
「……ねえ、紗季? そんなにくっつかれると寝れないんだけど?」
過去を打ち明けられた後、もう夜も遅いためそろそろ寝ようとなったのだが――紗季に後ろから抱き着かれながら横になっていた。
背中に当たる柔らかな膨らみと、微かな吐息。
パジャマ越しの体温は眠気を誘うように温かく、身体を包み込んでいる。
記憶にある限り、紗季がこんな風にしてきたのは同居を初めたての頃だけだったと思う。
その時は環境が変わった俺のことを心配してくれているのかなと思ったけど、そうじゃないことを今の俺は知っている。
「…………甘えてもいいと言ったのは紬じゃないですか」
「そうはいったけどさぁ……」
こちらの心境は複雑なものだ。
なにせ、紗季は男の頃の俺を認識していながら、今の少女の姿の俺を梼原紬として扱ってくるので、どう反応するべきなのか判断に困る。
でも、一つだけわかるのは、紗季からこういう風に扱われるのを心の底から嫌だと思っている訳ではない、ということだけ。
「でも、紬はやっぱり優しいですね。なんだかんだ言いつつも、突き放そうとはしませんし」
「……あの話を聞いて出来ると思う?」
「思いません」
くすり、と軽く笑った声が聞こえて、うなじの当たりに紗季の頭が当てられた。
ああ、これは何を言っても離れる気がないやつだ。
「こうやって抱き着いてて寝にくくないの?」
「多少は寝にくいですけど、あったかくて、凄く安心するんです。紬がちゃんと傍にいてくれているんだって、見なくてもわかる気がして」
「……そっか」
理由を聞いてしまえば断るなんてもう無理だ。
紗季は俺を失うことを恐れているのかもしれない。
だから過保護とも思える言動が多かった――そう考えると色々と納得できる部分がある。
「でも、今日は、あんまり眠れる自信がありません」
「いいよ。紗季が寝れるまで俺も起きてるからさ。だからさ……寝返り打ってもいい? 背中を向けたままだと話しにくくない?」
「ダメです。このままがいいです」
「強情だね」
「……今はあんまり顔を見られたくないので」
消え入るような声があって、沈黙。
さっきまで泣いていたから赤く腫れた目とか、そう言うのを見られたくないのだろうか。
この暗さだとあんまり顔を見られないと思うけど……ああでも紗季は色白だから、まだわかりやすいかもしれない。
俺が言うのもなんだけど女の子は大変だなあ。
「じゃあ、このまま話そうか」
「とはいっても、あんまり話題らしいものはないですけど」
「……じゃあ、紗季のことを教えてよ。よくよく考えたら紗季のことってあんまり知らないし」
わかるのは家での様子と、公開されているプロフィールに書かれていることだけ。
数秒置いて「いいですよ」と快い返事があって。
「私が『魔法少女』になったのは二年ほど前。実は、家を飛び出すような形で、こっちの方に一人で引っ越してきたんです」
「ええ……? 女子中学生が一人で?」
「両親はどちらも私に興味はなく、好きにしろとのことだったので、私は自分の意思で家を離れました」
あまりにも淡々とした口調で紗季が語る過去。
情けない話だけど、俺はなんて返したらいいのかわからなかった。
「少しだけ話が脱線しますが……紬はどのようにして『魔法少女』の『魔法』が決められるか、知っていますか?」
「知らないけど、何か理由があるの?」
「一説によると、『魔法』は使い手本人のパーソナリティを反映したものだと言われています。知っての通り、私の魔法は『影』を操るもの。その意味を考えたとき、自分らしい『魔法』だと思いました」
「……紗季は、自分が誰かの影だって、そう思っていたの?」
「はい。私にはとびきり優秀な姉がいました。姉がいれば私はいらない。もしもの代わりにすらなりえない。だから、影。納得でしょう?」
そういう紗季の口調には、大した感情も乗っていなくて。
それが少し、嫌になった。
腹のあたりに添えられている紗季の手に、自分の手を重ねる。
ほんのりと冷たさを帯びた手。
「紗季は紗季だよ。お姉さんが優秀だから紗季がいらない、なんてことは絶対にない。俺を助けてくれたのはお姉さんじゃなく、紗季だから。もう忘れちゃったの?」
「……そう、でしたね。これも言い訳。私は自分も含めて、あまり人を信じられないんだと思います」
「かもね。疑い深いのは悪いことじゃないけど、少しずつ慣れていけばいいんだからさ。さしあたり、俺を信じるところから始めてみない?」
「頑張ってみます。紬なら――私をちゃんと受け止めてくれた紬なら、もう何も怖くありませんから」
こちらの手の熱に縋るように、もう片方の手も重ねてくる。
無言で不器用なコミュニケーションを図ってくる紗季に苦笑しつつ、前向きな姿勢を見せてくれたことに一先ずは喜ぶことにした。
「……紬」
「どうしたの?」
「…………少しだけ、顔を見せてくれませんか」
さっき自分で言っていたのとは真逆で控えめな頼み事に言葉は返さず、紗季の腕を巻き込まないように離してから、その場で身体をくるりと反対に向ける。
すると、息も触れあうような目前に、紗季の端正な顔があった。
暗い部屋の中で浮かび上がる艶めいた黒瞳とほんのり赤い頬。
穏やかな目元が、ふにゃりとさらに緩む。
離れたはずの手が今度は俺の頬へ伸びてきた。
細い指先が頬を流れ、顎の先までたどり着くと、くすりと小さく笑んだ。
「どうしたのさ」
「……こういうのを幸せと呼ぶのかな、なんて考えてしまって」
「随分と安い幸せだね」
「贅沢過ぎますよ、私には」
「でも、案外と慣れたらいいものでしょ?」
「……はい」
ふっと、紗季が笑む。
俺もつられて笑うと、今度は正面から優しく抱き着かれた。
「おやすみなさい、紬」
「うん、おやすみ」
それからは一言も交わさないままお互いの呼吸が重なって、いつしか、夢の世界に落ちていた。
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