第18話 だからどうか――いい夢を

 

「…………なんか、身体が重い」


 寝起き早々、思わず呟いた身体の不調。


 そこはかとない怠さと、鈍い頭痛、ちゃんと寝たはずなのに頭がぼんやりとしてしまう眠気。

 原因不明の症状に呻き声を漏らしながらベッドの上でごろごろと体勢を変えていると、


「おはようございます、紬。そろそろ起きてください」

「……ん。おはよ、紗季」


 先に起きて色々としていたらしい紗季が俺を起こすために部屋に顔を出したので、気の抜けた声で返事をした。

 すると、紗季はピクリと眉を上げ、俺のことをじーっと見て、


「…………紬、顔色が悪い気がします」

「そう? なんか、起きてからちょっと変な感じはするんだけど……」

「そうですか。すみません、額に手を当てます」


 紗季が距離を詰めてきて、すっと手を俺の額に滑らせた。


 ぴとり、と額に張り付く、ほんのりと冷たい手のひらの温度。

 息がかかりそうなくらい間近にある紗季の顔。


 真剣な光を宿した黒瞳こくとうが、一心に俺のことを映していてくすぐったい。


 時間にして数秒程度の触れあいだったが、本当に俺のことを心配しているんだろうという雰囲気が伝わって来て、少しだけ嬉しさを感じてしまう。

 額から手が離れて、紗季の表情が僅かに曇る。


「これは……熱がありそうですね。体温計を持ってきます。少し待っていてください」


 それから紗季が持ってきた体温計で改めてちゃんと体温を測ってみると、表示されていたのは37度5分という微熱。


「風邪かなあ。ここ何年かはなんともなかったんだけど……」

「環境の変化や慣れないことの連続で疲れがたまっていたのでしょう。学校は休んだ方がいいかと」

「……そうだね」


 折角楽しく感じはじめた学校生活なのに、ここで休むのは残念だ。

 体調不良ばかりはどうしようもない。


「起きられそうですか? 朝食は作ってしまいましたが、喉を通らなさそうであれば何か買ってきますので」

「正直、食欲はあんまりないけど、少し食べるくらいなら大丈夫」


 紗季が作ってくれた食事を無駄にしたくなくて、ベッドから這い出て足を床につければ――不意に、頭がくらりと、して。


 自分の意思とは関係なく倒れていく身体をどうすることもできず、声も上げられなかった俺を、紗季が抱き留めた。

 一瞬何がどうなったのかわからなかったけど、間近に心配そうな表情でこちらを覗き込んでくる紗季の顔があって、心臓が跳ねる。


「っ、紬、大丈夫ですか」

「立ち眩みだと思うけど……ありがと」

「……やっぱり紬は寝ていてください。どうせ私が作った朝食を無駄にしないようにとか考えたのでしょうけれど、体調の方が大事です。何か食べやすいものを買ってきますから」


 紗季は普段と同じ調子で、けれど有無を言わせぬ視線で俺を制する。


 ……うん、大人しくしておこう。

 あんまり心配させるのも悪いからね。


 おずおずとベッドに戻ると、さっきと変わらない温もりが迎え入れてくれた。

 眠気を誘う温かさに目を細めていると――「紬、ちょっと外に出てきます」と声がかかる。

 薄っすら目を開けば、制服に着替えた紗季の姿。


「ごめんね、手間かけさせて」

「いえ。私は紬の監視役……少々離れますが、どうか何事も起こさないでくださいね」

「子どもじゃないんだから大丈夫だよ」


 俺のために登校前の貴重な時間で買い出しに行ってくれた紗季をベッドから見送って、天井を見上げながらため息を零した。


 しんとした部屋。

 耳に残った紗季の声が、ぼんやりと頭の中で繰り返される。


 僅かに感じる寒気を遠ざけるように布団を胸に抱き寄せて、ごろんと横向きになった。


「……流石に高校生にもなって言えないよね。なんとなく寂しいから一緒にいてくれ――なんて、さ」


 あはは、と自嘲するように、軽く笑ってみる。


 この寂しさは風邪のせい。

 両親を亡くしてからの二年は一人で過ごしてきたじゃないか。


 それが変わったのは一週間とちょっと前のはずなのに、もう紗季がいることを当たり前のように感じている。


 感情の起伏が薄く、口調も平坦で、冷たい印象を持ってしまいそうになるけど、紗季は何もわからない俺の手を取ってくれるほどに優しい。

 お風呂に入ってきたり、隣で寝たりと、俺が元々は男だったことを忘れているような行動を取ることもあるけど……そこに悪意がないことはとっくに理解している。

 それどころか多少『魔法少女』的な思惑がありつつも、善意に沿っての行動しか向けてこない。


『魔法少女』に覚醒した俺を監視するのが紗季の仕事。


 その気になれば災害を引き起こせると判断されている危険物が俺なわけで。


「…………ほんと、頭が上がらないや」


 心の中で紗季に感謝の言葉を呟いて、怠さを誤魔化すように横になっていると、そのまま意識が薄れていった。



 ■



「…………寝ている、みたいですね」


 買い出しから帰った紗季は、紬がもう眠ってしまっている様子を眺めながら、確認するように口にした。

 当然、その声に反応はなく、静かな寝息が部屋に響くだけ。


 紬の寝顔は年齢よりもあどけなく見える。

 思わず指先でついてしまいたくなる頬の膨らみ。

 伏せられた睫毛と、いつもより赤い唇が呼吸のリズムと共に上下していた。


「本当に、なんというか……私が知っている・・・・・・・紬の寝顔は見たことがありませんが、信頼してくれているんでしょうか」


 まじまじと紬の寝顔を観察しながら、紗季は昔を思い出しながら呟く。


「もしも、紬が私の罪を知ったら――怒るでしょうね。暴言だって吐かれるかもしれません。ですが、それでいいんです。それは私が償うべき罪で、本来なら当時の私に課せられるはずの罰」


 静かに、滔々と語る紗季の瞳は酷く悲しげ。

 この告白を聞く者は紗季以外に誰もいない。


「私は紬の監視役。その役目だけは、誰にも譲るわけにはいかないんです。紬がこうなってしまった今、私は一生をかけて貴方を支えなければならない。伸ばした手を不要だと払われようとも。私に出来るのはそれだけですので。だからどうか――いい夢を」


 紗季はそっと眠る紬の顔へ手を伸ばす。

 目元にかかる髪を軽く払って安らかな寝顔を記憶に収め、学校へ欠席の連絡をするのだった。

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