第19話 メンタルまで幼くなってるとか、冗談じゃないんだけど


「――う、ぅん……」


 目を瞑ったまま小さく唸り、寝返りを打って、布団の中でもぞもぞと身じろいてから、ゆっくりと瞼を上げていく。


 クリーム色の壁。

 腕で抱きしめていたのは紗季が使っている枕。

 低反発でちょっと固めな感触と触り心地のいい生地のそれを抱いていると、どうにも気分が落ち着く気がした。


 寝起きなのと体調不良のせいか、頭がぼーっとしている。

 もしかしたら熱が上がっているのかもしれない。


 ……あ、そういえば薬も飲まないまま寝ちゃってたんだ。


 紗季は学校に行ったかな。

 流石に俺が熱を出した程度で休むわけがない。


 そう思いながら反対側へ寝返りを打てば――


「…………起きましたか、紬」


 ベッドのすぐそばに座布団を敷いて正座のまま読書をしていた紗季が、本から視線を上げて口にした。


 朝は制服姿だったはずなのに、今は部屋着の長袖トレーナーとハーフパンツ。

 休日のような服装は、本来ならあり得ないもので。


「……………………今、何時?」

「お昼前ですね」

「…………紗季、学校は?」

「『魔法少女』としての仕事があると言って休みました。公欠扱いですのでお構いなく。紬も同じ理由で休むと伝えてあります」


 ……それ、いいの?


「紬の監視は『魔法少女』としての仕事です。学校を一日休むくらい問題ありません。紬を一人にする方がよっぽど危険性が高いので」


 あんまりに平然と答えるものだから、俺は返す言葉を失ってしまう。


 確かに現実的に考えれば紗季の言う通りなのかもしれないけど。


「……ごめん」

「どうして謝るんですか」

「だって、紗季が休んだのは俺が体調を崩したせいで……」

「人間誰しもあることです。それに、前にも言いましたが、私は二年の勉強範囲は習得済みですので。勉強の進行度を気にするのは紬だけです」

「…………そういえばそうだったね」

「ですが、もしも私に悪いと思っているのなら、食べられるものを食べて、薬を飲んで、よく寝て早いうちに治してください」


 気遣うような言葉。

 紗季は本を床に置いて右手を頭へと伸ばし、そのまま頭を手のひらで撫でる。


 優しく、労わるような手つきは少しだけくすぐったさと、気恥ずかしさを感じた。


 でも、こうされるのは嫌じゃない。


「……そうだね。紗季にうつさないためにも、ちゃんと治さないと」

「私としてもその方が助かります。先に体温計で熱を測っておいてください。私はそろそろ昼食の準備をしてきますので。温かいうどんにしようと思いますが、食べられそうですか?」

「多分、大丈夫。朝も食べてないからお腹は空いてるし」


 そう答えると、紗季は最後に一度頭を撫でてから立ち上がって、「出来たら呼びに来ます」と一言残して部屋を出て行った。


 背中を目で追いながら上半身だけ起こすと、枕元に置かれていた体温計を手に取って、首元から脇に挟んで熱を測る。

 数十秒ほど待っていると計測完了を告げるピピピ、という高い音が聞こえたので確認してみれば、37度9分……やっぱり上がってたみたいだ。


 げんなりとしつつ体温計を枕元に戻し、再びベッドに横になる。


 ああ、でも、紗季がいてくれてよかった・・・・


 もしこれで起きたときに一人だったら……心細かったと思う。

 顔を見て、声を聞いて、頭を撫でられて、酷く安心している自分がいるのは、偽りようのない事実。


「……メンタルまで幼くなってるとか、冗談じゃないんだけどさ」


 こんな姿を誰かに見られたら恥ずかしいなと感じて、頭を深く布団にもぐらせる。


 あったかい。

 抱きしめている枕の感覚に安心感を覚える。

 寝室の外から聞こえる紗季の調理の音。


 思えば、ここ二年は寝込むくらい体調を崩したことがなかったけど、その前――両親が生きていた頃はこんな感じだった気がする。


 過去の思い出に懐かしさを感じながら温まること十分ほどで、


「そろそろ昼食ができますけど、起きられますか?」


 再び寝室に来ていた紗季が、ベッドの間近から呼びかけた。

 その声に反応して寝返りを打って振り向くと、紗季の手が差し伸べられている。


「ん。ありがと」


 念のため、その手を取って身体を起こし、布団を払ってベッドから出る。

 寝すぎたからか一瞬立ち眩みを感じたものの、少し立ち止まっていたらそれも治ったので、紗季に連れられてリビングへ。


「……ソファーくらいはあった方が良さそうですね」

「…………今更?」

「私一人では使う機会がありませんでしたが、紬もいるなら話は別です。横になったりもできますし」

「なら、今度一緒に見に行こうよ。ソファーだけじゃなく、この家って色々必要な物が欠けてるし……」


 リビングにあるのはカーペット、小さいテレビ、ちゃぶ台、それから座るためのクッション。

 明らかにものが少ないのである。


「初めにここに来たときから気になってたんだけど、紗季はミニマリストってわけじゃないんだよね」

「特に必要だと感じなかったので買っていないだけです。あまりごちゃごちゃと物が置いているよりは少ない方が好ましいとは思いますが」

「確かに。ただ……現状は空白が多すぎて落ち着かないけど」

「そこは慣れでしょう。ともかく、昼食を運んできます。紬は待っていてください」


 紗季はそう言いつけてキッチンへ。

 元から俺が動いても迷惑しかかけないだろうと思っていたので、そのまま座って待つ。


 少しして、紗季はお盆に白い湯気がゆらゆらと上っている深めの器を二つ乗せて、ちゃぶ台まで運んでくる。

 目の前に置かれた器を覗き込んでみると、前言通りのうどんだった。


 優しい香りを漂わせる琥珀色のつゆと、白いうどん。

 トッピングは三角にカットされた油揚げ、ほうれんそう、茹でた豚バラ肉、ネギ。


 彩り豊かで見栄えもいいそれに、「おお」と頬が綻んでしまう。


「全部食べられそうになければ残しても大丈夫ですので、食べられるだけ食べてください」

「……大丈夫、だと思う。朝も食べてないからお腹は空いてるし」

「そうですか。無理だけはしないでくださいね」

「わかってる」


 軽く笑って見せて、紗季と一緒に「いただきます」と口にしてから、昼食にありついた。

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