第8話 初めての変身


 喋る猫という、非常に興味をそそられる四つ又の黒猫――クーと大崎さんがちゃぶ台の向こうに並んだところで、かねてからの疑問をぶつけてみる。


「俺は梼原紬です。えっと……クーは一体なんなんですか?」

「ワイか? そうやなあ……平たく言えば異世界の生物やな。『窕門ヴォイドゲート』の向こう側から、十三年前にこっちの世界に来たんや。先に言っとくが、敵対する意思はないで。そもそもこっちの世界の協力者や。世界各地に分体がおる。これもその一つやで。キュートやろ?」


 俺の質問に渋い声でクーが答えてくれた内容に驚きを隠せない。

 少なくとも『窕門ヴォイドゲート』の向こう側から来た生物が定住し、協力しているなんて話は一度も聞いたことがなかった。


「梼原さんが知らないのも無理はありません。クーさんの存在は一般には秘匿されていますから。いくら我々の味方だと説明しても、あっち側からきた存在だと知れば民衆は忌避感を覚えて反発する可能性もありますので」

「……確かに、そうかもしれませんね」

「ま、そういうことさかい。ワイのことはみんなには秘密やで」


 クーは器用にも片目だけを瞑って見せる。

 黒猫というビジュアルも相まって思わず気が緩んでしまう。


 ちょっとだけ撫でさせてくれたりしないだろうか。


「それでは本題に入るのですが……本日は梼原さんに諸々の連絡と、政府所属の『魔法少女』として活動していただきたいという打診の方をさせていただきます。とりあえず、こちらをご覧いただければと思います」


 大崎さんは鞄から数枚のプリントが入ったファイルを俺に手渡した。

 それを受け取り、中の紙を取り出して内容を確認する。


「戸籍は無事に変更されて、性別が変わった。銀行通帳も引き続き使える。それから……転校ですか」

「はい。戸籍変更に関しては恙なく変更され、今後、梼原さんは女性という扱いになります。転校に関しては申し訳ありませんが、監視の必要があるため叶さんと同じ政府も関係している学校の方へ通ってもらうことになります」

「それは構いませんが……」

「学費などは政府持ちですのでご心配なく」

「太っ腹ですね」

「それくらいのサポートは当たり前です。魔法因子に適合するなんて事故のようなものですから。こちらの都合で監視もさせていただきますし」


 ……そういうことならありがたく受け入れることにしよう。

 こっちに損はないのだから。


「それで……政府所属の『魔法少女』になるって話の方は」

「その前に紬の嬢ちゃん! 自分の『魔法』を知りたくはねぇか?」


 大崎さんとの話にクーが割り込んで、そんなことを言ってくる。


「『魔法少女』になるかどうかを決めるのは『魔法』を知ってからでも遅くはねぇだろ?」

「それもそうですね。クーさん、お願いしてもいいですか?」

「任せろって。てことで――紬の嬢ちゃん。手ぇ出しな」


 何が何だかわからず、無言で隣に座っていた叶にどうしたらいいの? と視線を投げれば、こくりと小さく頷かれる。

 大崎さんも止めようとしないなら害はないのだろうと思い、クーに向かって手を差し出せば、クーが短い手を伸ばして手のひらに乗せた。


「ほな、いくで~」


 気の抜けるような掛け声と同時に、どくんと身体の中で何かが弾ける感覚があって――頭の中に言葉が浮かんでくる。

 

 これが……『魔法』の感覚……?


「キタか? キタやろ?」 

「……多分、なんとなくは」

「よし! ほなら叫ぶんや! 思うままに!」


 熱の入ったクーの言葉に従って、脳裏に浮かんでいた言葉を声として紡ぐ。


「――『我が身に断ち切れぬものなし』」


 瞬間、身体の奥から力が溢れた気がした。

 今まで一度も体感したことのない感覚。


 身体の芯が焼けるようなそれに身を任せると、やがて落ち着きを取り戻し、溜め込んだ熱を吐き出すために息を継ぐ。


「どうや? 初めての変身は」

「……変身?」


 何が起こったのかわからなかったが、クーの声と大崎さんが気を利かせて手鏡を差し出してくれたので、それで自分の姿を確認してみると――確かに服装が変わっていた。

 例えるなら、白い一輪の花だろうか。


 首元に細い青のリボンが飾られた白い長袖のブラウスと、同じく白い膝上十センチ程度しか丈のないスカート。

 露出的な防御力を鑑みると頼りない脚を守るように穿かれたニーソックス。

 スカートとの絶対領域からは眩しいくらいの白い肌色が覗いている。


 それだけなら学校の制服に似ていたが、一つだけ異質なものが存在した。


 ――腰に吊るされている、純白の鞘に納められた一振りの直剣。


 本来ずっしりとした重さがあるはずのそれは、見た目に反して羽のように軽い。

 自然と右腕が望むかのように剣の柄へ伸び、そっと鞘から引き抜いた。


「……綺麗だ」


 現れるのは鏡のような剣身。

 意識が奪われるほど美しいそれに心からの呟きと感嘆のため息を零し、しばらく眺めてしまっていた。


「どうや? それが紬の嬢ちゃんの変身や。『魔法少女』ってやつは変身して戦うんやで。そんで、肝心の『魔法』やけど、変身したならわかるやろ?」

「……『切断』。それが俺の、『魔法』」

「ようわかっとるやないか」


 満足げなクーの声。


 なるほど……妙な感覚だけど、不思議としっくりきた。

 それに、変身してから力が有り余って仕方ない。

 今なら何でもできそうな気さえする。


「…………凄い。これが覚醒した『魔法少女』の力」


 隣から聞こえた叶の声。

 叶は本当に驚いているようで、昨日よりもぱっちりと両目を開いている。


「紗季の嬢ちゃんにはわかるか。紬の嬢ちゃんの力は概算でもベテランレベル、初期値となると破格の強さや。『魔法少女』として戦ってればさらに強くなる」

「梼原さんの力については私にはわかりませんが……お二人のことは信用していただいて大丈夫です。ですが、無理に『魔法少女』になっていただく必要はありません。ご自分の意思を尊重してください」

「ワイとしては紬の嬢ちゃんには『魔法少女』になってもらいたいんやけどなあ。強い『魔法少女』はいればいるだけええ」


 ……それは確かに死活問題だ。


 強い『魔法少女』はそれだけで貴重だ。

 多くは長期的な活動の前にやめるか死んでしまう。

 続いたとしても、強くなるかはわからない。


「まあ、ゆっくり考えてくれたらええ。ワイはいつでも快い返事を――っ」


 そこでふと、クーの言葉が途切れる。

 耳をぴくぴくとさせ、


「どうやら奴さんがおいでなすったらしい。この感じだと……D級くらいか?」

「『異獣エネミーですかっ!?」

「せや。まあ慌てんな。普通のやから時間はある」


 クーが大崎さんを窘めると、すっと叶が立ち上がり、


「私が行きます」

「ほなら紗季の嬢ちゃんに任せよか。転移させるで――ッ!!」


 紗季の立候補を承認したクーが何かを唱えると、叶の足元に幾何学模様が出現し、瞬きの間にその姿が消えてしまった。


「……今、何をしたんですか?」

「クーさんが転移魔法で叶さんを『異獣エネミー』の付近に送りました。現実への被害を抑えるための結界も発動されて、戦闘が始まります」

「せや。丁度いい機会やから、紬の嬢ちゃんも観戦しよか」


 観戦? と思っているのも束の間、クーが両手でちゃぶ台を叩くと半透明のディスプレイのようなものが浮かび上がる。

 そこに映し出されていたのは見覚えのある長い道路。


「『魔法少女』はな、ワイの転送で『異獣エネミー』のところに送り込まれて、一キロ四方の魔法結界内で戦うんや。この中でならどんだけものを壊そうが、現実世界に影響がなくなる。便利やろ?」

「……それ、どうやってるんです?」

「ワイの『魔法』や。それ以上は言えんで」


 にっしっしと得意げにクーが笑う。


 そういう仕組みで『魔法少女』は戦っているのは一般にも周知されているが、結界を張っているのがクーなのは初めて知った。


「梼原さん、今のは口外しないようにお願いします」

「あ……やっぱり機密的なやつなんですね」

「少なからず『魔法少女』に関わっている人は知っていますが、一般の人に知られると面倒なことになりかねませんので」

「そういうことや。っと、それより、紗季の嬢ちゃんはどうや」


 三人でディスプレイを覗き込めば黒いワンピースに身を包んだ叶と、襤褸切れを腰に纏った二足歩行の牛が現れる。

 あの牛が今回出現した『異獣エネミー』なのだろう。


「紬の嬢ちゃん、『魔法少女』の戦いを見たことは?」

「政府放送と動画と……この前の叶の戦いは見ました」

「そか。なら話は早いな。実戦を見たならわかっとるやろうけど、本当の戦いは――ただの殺し合いや。よーく見とき」


 ぞっとするような本質を告げるクーの言葉に緊張を走らせた俺は、叶の無事を祈りながらディスプレイへ集中した。

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