第5話 肌色という生き地獄
「……怒らせてしまいましたか?」
「…………別に」
端的に答えた俺は口元まで湯船に沈めて、視線を逸らす。
白い湯気が薄っすらと立ち込める浴室。
溜められたお湯はバスボムによって黄緑色に変わっていて、柚子の香りが満ちている。
俺はうーっと唸りながら眉間を揉む。
お風呂の時間はリラックスできるものだと考えていた俺だったが、今日に限っては例外だった。
ある種の生き地獄と言い変えてもいい。
なぜなら、ここは叶の家の浴室で、俺は女の子になってから初めてのお風呂で、当然ながら俺は裸で――湯船に浸かりながら裸の叶と向かい合っているからだ。
事の発端は数十分前。
叶が注文してくれた出前のお寿司を食べてから「疲れたでしょうからお先にお風呂をどうぞ」と言われたので、その好意に素直に甘えることにした。
ぶかぶかのジャージと男物の下着を脱ぎ、目に毒な姿を意識しないようにしつつ浴室に入ったはいいものの、容赦なく自分の姿を映し出す鏡をつい見てしまっていた。
背中に流れる白銀色の長髪。
ぱっちりと開かれた空色の瞳と、ふさふさの睫毛。
シミ一つないミルク色の肌。
慎ましいながら存在を主張する二つの膨らみと、その頂点。
それから、初めて目にした股のソレ。
「……ほんとに、女の子になったんだな」
思わず出てしまった乾いた笑いは、突然変わってしまった現実に対する諦めだったのだろうか。
そんな感じで鏡とにらめっこをしていた俺は、とりあえず身体を洗おうかと考えていると――閉めていたはずの浴室の扉が不意に開けられて。
「梼原さん。私も監視のために一緒に入ります」
自然に、何一つ抵抗なく入ってきたのは、全裸の叶だった。
俺はその声に思わず振り向いてしまい、ぴたりと思考が固まってしまう。
そして、その姿をばっちりと視界に収めてしまった。
さらりと揺れる黒髪。
制服越しではわからなかった叶の身体つきが、隠すものなく全て曝されている。
女の子の裸を見たのは自分のを含めなければ叶が初めてで――あまりにも刺激の強すぎる光景に、思わず両手で顔を覆って、
「ちょっ!? 叶っ!? 何で入って来てっ!?」
「だから、梼原さんの監視のためです」
「それならせめて服着て!?」
「ここはお風呂ですから服は着ませんよ」
「俺は男なんだけど!?!?」
「どこからどう見ても女の子ですが」
「そうかもしれないけどそうじゃなーいっ!!」
悲鳴じみた声が浴室に空しくこだまする。
ダメだ全く取り合ってくれない。
叶は常識人だと思っていたんだけど、早くもその認識を改める必要がありそうだ。
……って、そうじゃなくて!
「いや、あの、叶っ……その…………色々、見えた。ごめん」
「女の子同士なので大丈夫ですよ」
「俺が全然大丈夫じゃないんだけど????」
「梼原さんはもう女の子なんですから、同性の裸で動揺するのは不自然です」
「精神は男のままだからね……?」
「だとしても、です。この先、こういうことがあった時にいちいち反応していては疲れてしまいますよ。私が身体を洗ってあげますから座ってください」
強情に推し進めようとする叶。
叶にも監視の仕事があるのだから一緒に入るのは百歩譲っていい……いいとしても、せめて目隠しくらいはさせて欲しい。
俺だって男だからこういう展開は別に嫌いじゃないけど、だとしても限度というものがあると考える次第で。
要するに……刺激が強すぎます。
制服を着ているときはわからなかったけど、叶の身体は細身ながらも肉付きが良く、胸も俺より一回りは大きい。
なんで自分の胸と比べているのかって?
悲しいことに比較対象をそれしか知らないからだよ。
しかも、その均整のとれたプロポーションを隠そうともしていなくて、大事な部分も見えてしまっていて、頭がすっかり茹ってしまった。
抵抗しても無駄だとわかった俺は、少しでもこの時間を短くしようと考え、叶の言う通り風呂椅子に腰を下ろした。
「……別に、自分で身体くらい洗えるけど」
「男性と女性では勝手が違いますから。今日、尿検査もしましたよね」
「…………」
それを持ちだされると俺としては無言になるしかない。
病院で行われた検査項目には当然のように尿検査があって、女性化したばかりでどうすればいいのかわからない俺は看護師さんに助けれられた。
あれは一種の羞恥プレイだと思う。
でも……確かに、そう言う意味なら俺はちゃんとできると自信を持って答えることは出来ない。
「その綺麗な髪も、手入れを怠ればすぐに傷んでしまいます。肌だって強く擦れば荒れてしまいますし、デリケートな部分もちゃんと綺麗にしないとです。果たして、自分の裸すらまともに見られない梼原さんが、一人で完璧にできると思いますか?」
「…………思いません」
「そういうわけですから、今日のところは私が洗います。いいですね?」
「……………………はい」
理詰めの前に敗北した俺は項垂れながら答えると、叶が早速シャワーから水を出して温度を調節する。
さああ……という水音だけが俺の心を癒してくれる気がして、いつまでもその音を聞いていたかったが、
「このくらいでいいでしょう。髪を濡らすので目を瞑ってください」
後ろから準備完了を知らせる声が聞こえた。
叶の言う通りに目を瞑れば、頭の上から温かいシャワーが降り注いだ。
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