第6話 向いてないと思います
満遍なく髪を濡らした叶がシャワーをいったん止めて、シャンプーを手で軽く馴染ませてから俺の頭にそっと触れた。
細い指先で頭を揉み解すように洗っていく。
ちょうどいい塩梅の力加減で、その気持ちよさにつられてか少しずつ緊張が抜けていく感覚がある。
今日は朝から大変だった。
自覚していなかったけど相当な疲労が溜まっていたのかもしれない。
目を瞑りながらふあぁ、と思わず欠伸が出てしまう。
「もしかして眠いですか?」
「……多少ね」
「お風呂を上がれば他にすることもありませんから、それまでは耐えてください」
「わかってるよ」
なるべく叶のことを意識しないように努めつつ返事をして、髪を洗われる心地よさに身を委ねる。
わっしゃ、わっしゃ、と丹念に洗う叶はあまり声をかけてこようとしない。
俺が眠いって言ったから気を遣ってくれているのだろうか。
「……叶が普通に接してくれるのは、俺が変に緊張とか警戒をしないようにって考えてるから?」
少しだけ気になったことを聞いてみると、ほんの一瞬だけ頭の上で手が止まる。
「それもないとは言いません。上の指示でもあります。私に求められているのは梼原さんが『魔法少女』として活動してくれるように誘導することです」
「……それ、言っていいの?」
「私は政府所属の『魔法少女』。そういう思惑があるのは否定できません。であれば、友好的な関係を築く方が可能性は上がります。違いますか?」
「そう、かもね。仲良くなった人が戦っていて、自分に戦えるだけの力があるのに見ているだけって選択肢を俺は選べないよ」
もしも、家族が『
「梼原さんは優しい人です。誰かのために戦える強い心の持ち主。
「………………」
「私は卑怯で臆病で狡猾な人こそが『魔法少女』に向いていると思います。例えば、私のように――」
静かな口調で語る叶の言葉に、俺は何も返せなかった。
「目を開けないでください。泡を流します」
髪は洗い終わったのか、再びシャワーから水を出し始める叶。
温度調整のための時間を空けて、頭の上から温かいお湯が浴びせられる。
毛先まで丁寧に流し終えたところで軽く水気を切ると、続いてリンスもすることに。
「私がいつも使っているものですみません」
「文句は一切ないけどさ……」
上手く言葉に出来ない感情を抱えながらも、叶の手を受け入れる。
ほんのりと甘い香りのするリンス。
優しいながらも毛先まできっちりと馴染ませると、洗い流すタイプのようでまたしてもシャワーを浴びることになった。
「これで髪は終わりです。お風呂を上がったらちゃんと乾かしますから」
「髪が長いと面倒だなあ……短くしたい」
「ダメです。とても綺麗なんですから」
「……そう?」
「そうです。手入れが面倒なら、今後も私がします。その場合、私も一緒に入ることになりますが。その方が楽なので」
「……………………まあ、お風呂云々は聞かなかったことにするとして、叶がそこまで言うなら髪は切らないことにするよ」
「そうしてください」
背後から聞こえる叶の声は、今日の中で一番弾んでいた気がする。
「次は身体ですね」
当然のように告げられるそれに、びくりと肩が跳ね上がった。
「いやぁ……それは流石に自分でしたいなあって思うんですけど……」
「出来ますか? 昨日まで男性だった梼原さんに?」
「ここでだけ男だったことを持ち出すのはどうなの??」
「大丈夫です。身体を洗うだけです。変なことは何もありません。そうでしょう?」
そこはかとない恐怖を俺はそこで初めて叶に対して覚えた。
早くも叶はボディスポンジを泡立てていて、左手が逃げないように俺の肩に置かれている。
素肌に触れる細い指の感覚が、妙にこそばゆく感じてしまう。
「……ねえ、叶さん? 考え直しませんか? やっぱりさ、人に身体を洗ってもらうのは申し訳ないって言うか」
「梼原さんには自分が女の子だって認識してもらう必要がありますから。とてもじゃないですが、危なっかしくて見ていられません」
叶の目は真剣そのものだった。
これはもう逃げられないな、と刹那のうちに悟った俺は、精神的なダメージを少しでも減らそうと現実逃避を試みる。
それを準備完了の合図と受け取ったのか、
「では、洗いますね」
叶の手によって身体を余すことなく洗われた。
仕方ないとはいえ……お尻と股の当たりを触られたときに出た自分のものと思えない可愛らしい悲鳴のことは金輪際考えたくない。
その後、半分くらい放心状態になった俺は浴槽であったまっていて、身体を洗い終えた叶と一緒に入ることになる。
だが、風呂から上がっても俺の受難は続いた。
用意されていた着替えは当然女性もの。
まさか着替えないわけにもいかず、本当に渋々穿いたショーツは妙に肌触りとフィット感が良くて、とても微妙な気分になった。
下だけでなく上……ブラジャーも用意されている。
正確にはナイトブラというらしいけど、俺には違いがわからない。
断固拒否の構えを取ったが、「着けないと胸の形が崩れてしまいますし、服にこすれて寝にくいと思いますよ。あと、日常生活でつけてなかったら痴女扱いされてもおかしくありません」という大変ありがたい忠告を頂いた。
そこまで言われれば断り切れず最終的に着けてもらったのだが、男としての尊厳と引き換えに朝から感じていた違和感が改善された気がする。
「後々、この辺も覚えていかないとですね。服はこれを着てください」
「……ワンピースだね。しかも無駄に可愛いひらひらした感じの」
「不満ですか?」
「この格好の方が問題だから着るけどさ……」
下着を受け入れてしまった時点で、女性ものの服を断る理由は見失っている。
仮に断ったとしても、叶に「自分の格好を考えてください」と言われるのがオチ。
やけにひらひらした白いワンピースを頭から被るように着て、肩紐を直したところで下半身の頼りなさに半笑いを零す。
着替え終わったら髪を叶にドライヤーで乾かしてもらい、櫛で綺麗に梳かした後の髪はとても手触りが良く、いつまで触っていても飽きないような気がした。
それからは二人でのんびりと過ごし、十時を過ぎたところで「そろそろ寝ませんか?」と提案した叶に乗っかった――のだが。
「……ねえ、一つ聞いてもいい?」
「なんでしょうか」
「必要な物は運び込んだって言ってたよね」
「はい」
「だったら、なんでベッドは一つしかないの?」
「監視のためです」
「流石にベッドは別でいいんじゃない??」
「細かいことは良いじゃないですか。早く寝ましょう」
抵抗空しく俺は強引に叶の隣に引きずり込まれ、抱き枕のように抱き着かれたため逃げることは叶わなかった。
あちこちに当たる柔らかい感触
鼻先を掠める甘い匂い。
すぐ目の前には、穏やかな叶の寝顔。
とてもではないが落ち着いて寝られるはずがない。
だというのに叶はすぐに寝入ってしまった。
すう、すうと聞こえる寝息。
今日会ったばかりの女の子の無防備過ぎる寝顔を間近で見せられた俺が悶々とした夜を過ごしたのは言うまでもない。
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