第2話 『纏いし影はうつろいて』
俺だって『魔法少女』が戦っている動画くらいは見たことある。
だけど、実際にその場に居合わせることは初めてだし、『魔法少女』と話すのも初めてだった。
叶から告げられた言葉にどう返したらいいのかわからず、無言で頷くだけしか出来なかったが、それを了承とみなしたのか、彼女はゆっくりと前を向き、
「――『纏いし影はうつろいて』」
静かな呟き。
瞬間、叶の姿が変貌する。
夜を溶かしたような黒一色の、軍服を模したワンピース。
襟や肩は申し訳程度に黒のレースによる装飾が施され、スカートの裾は膝裏より少し上までの丈で、すらりと伸びる脚の肌色が眩しく映る。
焦茶色の編み上げブーツの踵を鳴らし、右腕を覆う薄手のグローブを嵌め直すと、くるりとこちらへ振り向いた。
金色のボタンが影の中できらりと輝く。
「梼原さん。私のことなんて信用できないとは思いますが……私はあなたを守ります」
真っすぐに
「結界は張られていますが、今から逃げるよりはここにいてもらった方が安全でしょう。絶対にここを動かないでください。アレを倒したら戻ります」
再び背を向けながら、叶は右手でスカートを払う。
太ももに取り付けられたベルト、そこには三本のナイフが備えられていた。
そのうちの一本を手馴れた手つきで引き抜くと、逆手に構え、窓のロックを解除し――躊躇いなく空へと飛び立った。
「消えた……?」
その場に立ち尽くしたまま叶を探すと、魚の背中に黒い影があって。
魚も叶が自分の背中に乗っていることに気づいたのだろう。
俺に伸びていた触手がぐん、と曲がり、叶へ殺到する。
「危ないッ!!」
咄嗟に叫んだが、俺が目にしたのは予想に反する光景。
ゆらり、と叶の影が蠢く。
それが引き剥がされるかのように魚の背から浮きあがり、鋭利な刃物へと姿を変え、迫りくる触手を切り刻んだ。
断面から青い血液が噴き出し、魚から耳をつんざく音が放たれ、その音量に思わず耳を塞いで顔を顰める。
それでも叶から目を離せなかったのは、彼女の言葉が頭の片隅に引っかかっていたからだろうか。
血の雨を浴びながらも叶はナイフに影を束ね、一振りの剣へと姿を変えると、無防備な魚の背中へ振り下ろした。
斬、と黒が走り、魚の身体が両断された。
魚はそれで絶命したのか、浮力を失って地面へ滑空するように落ちていく。
窓からベランダに出て様子を窺えば、魚が淡く光を放つ粒子に分解され、拡散していく光景が見られた。
それは『
粒子が舞う中心で空を見上げながら佇む叶。
表情までは見えないが、この構図はとても美しく、儚く映った。
「……実際はこんな感じなんだな、『魔法少女』の戦いって」
動画で見るのとは一味違う臨場感と、緊張。
当然だ。
『魔法少女』と『
そんな現実を俺が目にしたのは、この先に待つ選択をするのに大きく影響を及ぼすことだろう。
「『魔法少女』、か」
だってそれは――俺の選択次第でなりうる未来なのだ。
「……まだ決まったわけじゃない。第一、俺が『魔法少女』とか、似合わないにもほどがある」
苦笑しながら否定するも、そうなる未来から逃れられるんだろうか、という思いもあった。
間違いなく『魔法少女管理局』は俺を『魔法少女』として勧誘しようとする。
でも、それはその時に考えたらいいか、と楽観的な思考で打ち切ったところで、部屋のチャイムが鳴った。
叶が返ってきたのだろうかと扉を開ければ、案の定、変身を解いた彼女がいた。
しかし、彼女は俺の顔を見るなり、はあ、と呆れたようなため息をついた。
「……梼原さん。今、誰が来たのかを確認せずに扉を開けましたね?」
「まあ、こんな時に俺の部屋に来るのなんて叶くらいなものじゃない? 『
「…………今後はくれぐれも気を付けてください。体格に優れる男性ならともかく、今の梼原さんは非力な少女です。いきなり襲われでもしたらどうするつもりだったんですか」
「……それは、うん。ごめんなさい」
全くもって叶の言う通りだったので素直に謝ると、「構いません」と平坦な返事があった。
なんていうか、自覚しないようにしていたわけじゃないけど、やっぱり今の俺はそういう風に見えるんだな。
こればかりはすぐに受け入れるのは難しそうだ。
「すぐに『管理局』の護送車が来ます。それまでは私が梼原さんの監視をさせていただきます。覚醒したばかりの『魔法少女』は『魔法』が暴走する危険性があるので」
「はあ……とりあえず、入って? 玄関先に立たせてるのはちょっとアレだし。あんまり散らかしてないとは思うけど」
あえて叶の返事を聞かないまま反転して部屋に戻ると、少ししてからやっと叶が靴を脱いで部屋に上がってくる音がして、軽くため息をついた。
叶との妙な緊張感が漂う数分を耐え忍ぶと、アパートの近くに車が止まる音がした。
それから叶のスマホに着信があり、
「護送車が着いたみたいです。来ていただけますか?」
「もちろん」
ちゃんとした服に着替えたほうがいいのかなと思ったが、そもそも着るもの自体がなかったなと気づいた俺は、着の身着のままでサイズの合わないスニーカーを履いて部屋を出た。
車へ向かうとパンツスタイルのスーツを着込んだ女性が待っていて、俺に気づくと一礼して、
「お迎えに上がりました、梼原様。『魔法少女管理局』所属の大崎です。護送車でのご同行、お願いします」
「梼原です。こちらこそよろしくお願いします」
俺も挨拶を返してから車に乗り込み、向かった先は専門の検査施設。
そこで諸々の検査を受け終わった頃には日が傾いていた。
かなりの空腹感を訴える腹を摩って誤魔化しながら医者と大崎さん、叶が見守る中で、検査結果が書かれた紙を捲る音だけが響いて。
「――えーっと、結果だけ申し上げますと、梼原さんは魔法因子に適合しました」
朝起きた時から薄々予感していた内容を、現実のものとして告げられた。
「同時に、梼原様には当局の監視義務が発生しました。男性が魔法因子によって覚醒し、女性になった場合、普通の『魔法少女』よりも強い力を持ちます。ですから、梼原様の力が暴走した際、速やかに
マニュアルを読み上げるように大崎さんが言って、それに続くように座っていた叶が立ちあがる。
「――
「…………はい?」
ん? 監視は知ってるけど、二十四時間、四六時中、三百六十五日?
思わず聞き返してしまったが、それに反応してか、
「つまり、同居です。女子高生の私と、梼原さんが」
「………………………………はい?」
その瞬間を超える困惑は、きっと、人生で一度たりとも訪れることはないだろうと、高校生程度の人生経験ながら強く思った。
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