心地よさと気がかりさと

「そちらの古裂のキルトカバー、もとは襤褸々々団だったものが時を経て継ぎ接ぎになって、最後に残ったのが、この2枚の端切れだったのです」


 真乎は元の場所にもどると、古裂の裏の刺繍を指でなぞり始めた。


「よほど伝えたかったメッセージがあったとみえ、糸で文字を綴り刺子のように布地を強化し、さらに友禅をかぶせて美しい生地を傷めないように人が大切に扱うのを作った人は望んだのでしょう」

「ていねいな仕事をされたのですね」

「はい。たいせつなものだったのでしょう」


 そこで真乎は言葉を止めた。

 左貫端万子が言葉を継いだ。


「作った人は、どのような方だったのですか」

「これはあくまで、調べのついた範囲での故事来歴からの推測なのですが」


 と真乎は前置きをすると話しだした。


「時は鎌倉、荒れた都の気位だけは高いお屋敷の姫君。利発な姫君は体面ばかりを重んじる家を厭うて自給自足の気高き尼僧の集う破れ寺に身を寄せ、そのまま流れの虚無僧集団襤褸々々と合流し、姫君はそのままついていってしまったのだそうです。家のものたちは手を尽くして姫君を連れ戻そうとしましたが、御身のためだと恩着せがましく懇願されるのにますます嫌気がさし、念仏を唱え終えると最後にほうっておいてと言い捨てて、そのまま流れに身を投げてしまったそうです」

「なんて激しい」

「激しくなければ、自分の意志を貫くことはできません」

「姫君は、ただ、日々の暮しを楽しみたかっただけなのでしょう」

「勝手にまわりが生まれが姫君なんだから、贅沢したいだろう、身分あるものとめあわせるのが幸福であろうと、思っていたのですね。大きなお世話ですね」

「よきにと思う気持ちに嘘はないのでしょうが、その底に自分たちの面目が立つ、外聞がよいと自分たちも助かる、といった下心が透いて見えるのが、疎ましかったのでしょう」

「そういうことも飲み込んで自分もらしさを貫ければ丸くおさまるのでしょうけれど」

「そうしたことにエネルギーを使うのも、ばかばかしくなってしまったのかもしれません」


 左貫端万子は、そこで考えこんでしまった。

 その様子を心配そうに見ている三輪野るり。

 真乎は静かに口を開いた。


「実は、もう一つ解釈ができます」

「ほぼ経文が刺繍されていて、一行だけ気持ちが表されてるとおっしゃってましたよね。その気持ちの解釈に別のものがあるということですか」

「はい。一行という短さであるがゆえに一つに絞るのは危ういかと」


 と、三輪野るりが声をあげた。


「後だしじゃんけんみたいです。信用できません。先生、やっぱり、これを店主に返すだけしてもうこんなことはやめましょう」

「三輪野さん、人の話をさえぎるのはもったいないことですよ。お話の続き、伺わせてください、翠埜さん」


 左貫端万子は、諫めるのではなく良い方向に向かうような提案として三輪野るりを諭した。

 頭ごなしに否定されたわけではないので三輪野るりは素直に従った。


「そのほかをばうちすてて、だいじをいそぐべきなり」


 真乎は暗唱するように唱えた。


「当時の世情から鑑みますと、ボロボロさんたちに連れ去られたやんごとなきお嬢さまはたいそうおつらい人生をおくられたことでしょう。何不自由なくお育ちでしたから漂泊の暮しに馴染めるはずもなく、得体の知れないものたちの中で首領の伴侶であるということで無下には扱われることはなかったでしょうが、それでも心無い者たちからは蔑まれ、疎まれる中で、荒んでいったことでしょう」

「自分の境遇の激変に心がついていかなかったでしょうね」


 左貫端万子の合いの手に真乎はまばたきをして応えると話を続けた。


「怒り、悲しみ、惨めさ、全ての負の感情が解消されずに溜まって醸成されるのが恨みです。

ですから、日常の小さな心の動きをないがしろにしてはいけないのです。

そうですね、日頃のささいな声かけが彼女のたいせつにしている部分に刺さったり、削いだりしているうちに、ご自分でも知らないうちに恨みになってしまっていたのでしょう。すなわち、そのお嬢さまの『だいじ』は、復讐、自分を貶めた運命への仇討ちだったのでしょう」

「目に見えないものへの復讐を心の支えにして生きていたということですか」

「はい。首領の伴侶ということでその身内からはたいせつにされていたでしょうから、惨めな暮らしぶりとはいえ情は移っていたのでしょう、ですから、このような境遇にした運命に負の感情を向けたのです」


「なんだか勝手な解釈ですね」


 三輪野るりが不服そうに言った。

 左貫端万子は今度は何も言わなかった。


「勝手な解釈。解釈というのものは、まま、勝手なものです」


 真乎がすまして言った。


「そうですね、左貫さんがうまく扱えなかったとおっしゃっていた陶製の指貫、シンブルですが、スノードロップの花が描かれてたそうですね」

「はい。とても愛らしい花です」

「スノードロップの花言葉にも二通りあるのです。心地よい解釈と気にかかってしまう解釈と」

「そうなんですか」

「はい。スノードロップは、聖書の楽園追放のくだりでは慰めの花として希望を表し、英国の一地方ではその花を捧げられた死者が雪になって溶けてしまったという逸話から死を表すとされます」

「出典が違うとそこまで違うものなのですね。ありがとうございました。二通りの解釈について、理解いたしました。後は、私が自分で解釈します」


 左貫端万子がていねいにお辞儀をした。

 それに倣って三輪野るりも頭をさげた。


「では、お時間がまいりました。ご希望がございましたら、次回のご予約を承ります」


 真乎は二人から猫ちぐらを受け取ると言った。


「ボロボロトン、でしたね、こちらはどのように始末したらよろしいですか」

「そうですね。はいだ古裂は元にもどりたがってないようなのですよね」

「お借りしているシンブルを返しそびれてますので、この足で鳳神社に寄って渡してこようと思いますが」

「それは、難しいかもしれません」

「どうしてですか」

「あの店主さんは、のらりくらりとされてますので、かえってまたおかしなものを押しつけられてしまうかもしれません。始末も料金のうちですから、私が承りましょう」


 左貫端万子は少しためらってから


「全てお任せしてしまうのは申しわけございませんので、付き添っていただけませんでしょうか」


 と提案した。


「承りました。では、仕度いたしますので、待合室でお待ちください」


 真乎の言葉に従い二人は相談室を後にした。





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