人祓いの炎
猫ちぐらの中で古裂がかさかさと音をたて始めた。
風もないのに。
空気の振動は、明らかに古裂たちが自ら起こしているものだった。
左貫端万子と三輪野るりは音は聞こえるもののそのままの姿勢では猫ちぐらの中を見ることはできない。二人同時にのぞこうとして額同士がぶつかってしまった。
「あ、すみません」
「あら、ごめんなさい」
二人が謝り合っているのを見て
「お二人はそのままの姿勢でいらしてください。中の様子がお気になるようでしたら、私がお見せします」
と真乎が言ってポケットから手鏡を取り出した。
それを猫ちぐらの方に向けると、二人からも中の様子が見えた。
「動いてる。どうして?」
「生きてるみたいですね」
自然と声を潜めて二人は言った。
「怪しいですよね、風もないのに動くなんて不自然ですよね」
「この入れ物、猫ちぐらに何か仕掛けがあるのですか、翠埜さん」
左貫端万子が心配そうにきいてきた。
「なにも。当相談所で使用しております猫ちぐらは、職人の方が丁寧に作られた逸品です」
「丁寧に作られているのはわかります。稲わらに違う素材や色が混じっていないですし、締め箇所も緩んでないです。ただ、逸品であるならばなおのこと中に入れたものが勝手に動くというのはおかしなことです」
彼女は青い顔をしている三輪野るりを労わるように見やりながら言うと、
「三輪野さん、気分が悪いのでしたら、やめましょう。このようなおかしなことが起きているのは、私自身の問題なのだと思います。もとをただせば、こうしたものを手元に引き寄せてしまったことは私に何かあるからです。そうですよね、翠埜さん」
穏やかだが強い口調で左貫端万子が言った。
「だいじょうぶ、です。コワイモノが、ちょっと苦手なだけです」
三輪野るりは大丈夫だと言いながらも猫ちぐらに向けられている鏡からは目を逸らせている。
子どもの頃の彼女は恐いもの知らずなところがあり、おばけごっこや肝試しにも進んで参加しているところがあったように思ったがと左貫端万子は思い返していたが、何かあったのかもしれないと思いそれ以上は話しかけなかった。
「鏡はもうけっこうです。ありがとございました」
左貫端万子はそう言うと猫ちぐらを支えている両手のうち一方を離して猫ちぐらの背に添えている三輪野るりの手に重ねた。
彼女の手はひんやりとしていた。
一瞬、ぴくり、と三輪野るりは震えたが、左貫端万子の手のぬくもりが伝わるうちに温かさが戻ってきたのか落ち着いてきた。
「お二人が平静を保たれていらっしゃれば、問題ありません」
真乎の言葉は空気を震わせ猫ちぐらの古裂たちに伝わったのかぱさり、と乾いた音をたてて古裂は動かなくなった。
「さ、では、ご相談に入りましょう」
「ええ、そうですね、お稲荷さんの市で購入したシルバーのシンブル、指貫と古裂のキルトカバー、お借りした陶製の指貫、これはスノードロップの花の絵が愛らしくて無理を言ってお借りしたものです。では、それぞれについての奇妙な点をお話します」
「お求めになったのは暫庫屋ですね」
「ええ、あの、帽子をかぶった店主の店です」
「それぞれが奇妙だったのですね」
「ええ、この指輪になりますとのことだったシルバーのシンブルですけれど、これをはめようとしたんですが、小指、中指、人差し指、親指、どれにもうまくおさまらなくて、それで、薬指にはめようと思ったんですが、家事をする時は指輪ははずしているので同じようにしようとしたんですが、なぜかはずれてくれなくて。むくんでるのかしらと思いまして、その時はそのままはめずにおいたのです」
左貫端万子は自ら傷つけてしまい手当を受けた左手の薬指のつけ根をさすった。そこには結婚指輪がはまったままだった。
「私は、スポーツをするので指輪ははめる習慣がなくて、チェーンに通してペンダントにしてます」
三輪野るりは首にさげたチェーンをもたげてみせた。
ペンダントトップのように指貫が揺れている。
「それから、店主さんにお借りした陶製のシンブル、指貫を使ってみたくなって、古裂のキルトカバーのほつれが気になっていたので、縫ってみることにしたのです」
「使い心地はいかがでしたか」
「それが、使おうとすると、針が横すべりしてしまって、危なくて、手元にあった指貫も使ったんですけどうまきできなくて、繕うのをあきらめたんです」
「そうでしたか」
真乎は猫ちぐらに重ねられている古裂を見つめると
「どうあっても他人に触れて欲しくないのですね」
と話しかけた。
古裂は心なしか波打ったように見えた。
「古裂のランダムキルトですが、そのままお使いでしたでしょうか」
「古いものですので、お洗濯はしてあったみたいですが、ほこりっぽかったですし、手洗いをして干しました。ほつれているところから中綿が出ないように気をつけて。乾くまでに三日ほどかかりました。秋晴れが続いてよかったです」
「その後はいかがでしたか」
「肌寒い日があったのではおってみました。ウールのような温かさはありませんでしたが、ちょうどよい保温力があったように思います」
「外に着てかれることはありましたか」
「かいまきのようにしてですよね。さすがにそれは、ちょっと」
「では、今日の三の酉にいらっしゃるまではしまっておかれたのでしょうか」
「ええ、たたんでクローゼットに」
「なるほど、ほうっておかれたのですね」
「ええ、まあ、そういうことになります」
「それはよろしかったです。ほうっておかれたから、命ながられられました」
真乎が口にした言葉に、左貫端万子は眉をしかめた。
穏やかな表情が崩れた。
三輪野るりがまたびくり、とした。
「先生、なんだか、膝が熱くないですか」
「そう言えば、熱いわ」
「お待ちください、そのまま」
真乎はそう言うと猫ちぐらの中に手を入れて重なりあった古裂を取り出した。
古裂は燃えていた。
けれど、真乎は平気な顔をして火で起こる風にあおられふわふわなびいている古裂を頭上に掲げた。
「燃えてます、火傷しちゃいますよ」
三輪野るりが叫んだ。
「ご心配ありがとうございます。これは燃えているように見せかけているだけです。これに憑いているものが人間を自分たちから離そうとしての目くらましです。この炎では人間に害は与えられません」
真乎は古裂をひらひらさせながら顔近くに持ってくると、ふっと息を吹きかけた。
炎は抵抗をやめたかのようにしゅっと細くなって消えた。
「ほうっておくのが良策です」
真乎は火の消えた古裂のうち枝垂れ桜の友禅を左手に持ち、右手に糸の縫いつけてある麻を持った。
「では、ご遺言を読み上げます」
と宣言した。
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