ほっといて

 真乎はすっとハンカチを差し出した。

 三輪野るりは受け取ると、わっと声を上げて泣き出した。

 真乎は三輪野るりが泣き止むまで見守っていた。

 せかしてしまってはことはうまく運ばない。

 真乎が今まで承ってきたケースには、家族カウンセリングに近いものもあった。

 今回はそれに近いケースなのかもしれない。

 血縁の家族ではないけれど、子ども時代を親密に共有していたのであれば疑似家族としての部分があったのかもしれない。

 ただ、三輪野るりの好意の正体が見えそうで見えないのが気がかりだった。


「すみません、なんだか、感情が抑えられなくて、涙を流すと溢れた部分が洗われて少し落ち着くんです」


 鼻をすんすん言わせながら三輪野るりが自分の状態を説明している。

 真乎は言葉をはさまずただうなずいた。

 それから「少し準備がありますので、こちらでお待ちください」と言って席をたった。

 沙綺羅を促して奥の相談室に入ると、真乎は言った。


「沙綺羅さん、鳳神社について再度確認をお願いします」

「由緒、創建年代についてですね」

「はい」

「西暦100年の頃には既に社はあったそうです。社殿が建立されたのは奈良時代のようですがはっきりとはしていないそうです。市がたつ時だけ、にぎわっていたようですが、それ以外の時は、村のものが順繰りに掃除をしたりお供えをしたりしていたくらいで、祀りごとをできる者もいなかったので、近場から来てもらったり、それも無理な時は、村長が代行したりしていたとあります。その後飢饉や疫病で廃村になりかけたりしながら、細々と村は続いてきましたが、社を守るという意識はさほど育たなかったらしく、むしろ、巫女の家系のものが祀りごとを担うようになっていったとのことです。鎌倉時代にはそれらもなりを潜めて、境内はそれこそ、流れもの、ぼろぼろのようなもの達の溜まり場になっていたみたいです」

「ありがとうございます、沙綺羅さん」

「どういたしまして、真乎さん」


 挨拶を交わして二人はそれぞれの持ち場に戻った。


「お待たせしました」


 真乎が相談室から出ると、左貫端万子が半身を起こしているのが見えた。

 傍らに三輪野るりが座り彼女を支えている。

 左貫端万子がまとっている古裂のキルト布団の、真乎がピースをはがした部分が心なしか赤黒さを増したように見えた。


「お目覚めのようですね」


 真乎が声をかけると、左貫端万子は顔を向けた。


「すみません、私、ずいぶんご迷惑をおかけしてしまったみたいです」


 憔悴した姿が痛々しかった。


「左貫先生、先生のせいじゃないです。それのせいです」


 三輪野るりは左貫端万子がはおっている古裂のキルト掛けの端に触れた。


「三輪野さん、ごめんなさいね。心配させてしまいましたね」


 左貫端万子はかいまきのようにはおっている古裂キルト掛けの前をきゅっと合わせた。


「いいんです、心配したかったんです」


 三輪野るりの声は遠慮がちな小声になっていた。

 二人が少し落ちつた様子なのを見て、真乎が声をかけた。


「はじめまして、私、翠埜真乎と申します。掬迷師きくめいしです。心の迷いの御相談を承っております。資格は、臨床心理士、公認心理士を取得しております。こちらは助手の庚之塚沙綺羅さんです。私、呼び捨てにできない体質でして、身内を敬称で呼ばせていただきます、失礼いたします」


 先に三輪野るりに挨拶したことで省略することなく、真乎は自己紹介をした。

 相手を尊重しているのが伝わってくる。


「ご挨拶痛み入ります。私、左貫端万子と申します。三輪野るりさんとは、放課後教室で楽しく過ごさせていただきました。久しぶりにお会いして、なつかしくて、ずいぶんしっかりとされていて、とてもうれしかったです」

「私もうれしかったです、先生」


 二人の「うれしかった」に微妙なずれがあるのを真乎は気づいた。


「鳳神社の三の酉でお見かけしまして、ずいぶんお困りのようでしたので、三輪野さんにお声かけさせていただいて、こちらに移っていただきました。差し出がましいようでしたら、申しわけございません」


 真乎の口調はいつもより慎重だった。

 事前予約のない人をここへ招き入れるのは異例のことだった。

 しかし、問題事象は、予定調和の日々ではないところで起こってします。

 今後は異例や例外への対応もできるように研鑽を積まなければならない。


「翠埜さんは、カウンセラーなのですか」


 左貫端万子がたずねた。

 当然の質問だった。

 

「資格の点からしますとカウンセラーを名乗ることはできます。承っている内容もカウンセリングに当たる部分もあります」

「そうですか」


 彼女はそれ以上きいてはこなかった。

 なるほど、そういうところが、いいのかもしれない。

 踏み込まない。

 物足りないくらいに。

 その物足りなさが、三輪野るりのように、頭の中がいつも忙しくて、大人からあれこれ指示や指導を受け続けていたであろう子どもには、ほっとできる存在だったのだろう。

 


 ――ほっといて――



「え?」


 唐突に聞こえた言葉に、思わず真乎は声をあげていた。

 マイペースな真乎としては珍しいことだった。

 こんな風に乱されることは。


「失礼いたしました」


 二人の視線をかわすと真乎は素早く謝り態勢を整え直した。


「こちらをご覧ください」


 真乎はローテーブルに置いた端切れを指さした。


「それは、もしかして、このキルト掛けのものですか」

「はい。ほつれていたのものをはがしました」

「何か障りのあるものなのですか」

「はっきりとは申し上げられませんが、左貫さんの不調と少なからず関わりがあるかと思われます」

「そうですか」


 真乎に言われて左貫端万子は思案気に目を伏せた。

 三輪野るりが心配そうに見ている。


「翠埜さん、ご専門の資格をお持ちなのですよね。お話をきいて欲しいです。実のところ、ここのところずっと頭も心も重くて弱っていました。原因を自分で考えてみたのですが、深く考えを巡らせようとすると、頭がしめつけられるようになって、偏頭痛どころではない痛みで、考えるのをやめざるを得ませんでした。MRIを撮って診てもらったのですがとくに異常はなくて。それでも、気になっていて」


 左貫端万子はため息をついた。

 ため息をついてから、心配そうな三輪野るりに気づいて、慌てて笑みを浮かべた。


「いつまでもおかしなことに気をとられていたくないんです。ご相談をお願いしてもよろしいですか」


 先方から言い出してくれたので、これで承ることができると真乎はほっとしてうなづいた。


「本来でしたら、ご予約をお受けしてから御相談に進むのですが、いかがなさいますか」

「お時間大丈夫でしたら、これから、お願いできますか」

「はい。予定を確認いたしますので、お待ちください」


 そう言うと真乎は沙綺羅に予定の確認をと告げた。


「本日は空いてます」

「では、こちらに簡単にご記入をお願いします。問診票に準じるものになります」


 差し出されたA4用紙の票をさらさらと書き終えると


「これも、何かの縁ですね。お稲荷さんんで三輪野さんに再会して、お酉さまでカウンセラーさんに出会って、私、やっぱり、過去からの自分のことを総ざらいしなければならない時期だったんですね」


 と、真乎と三輪野るりを順番に見ながら左貫端万子は言った。


「では、相談室に移りましょう」


 真乎が立ち上がると、沙綺羅が扉を開けた。

 三輪野るりと左貫端万子は、お互いを支え合うようにして中に入った。







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