思いこみに潜む真意

「お稲荷さんの市で、左貫先生を偶然見かけたんです。あんまりなつかしかったので、思わず声をかけたんです。先生は、私のことを覚えていてくださって。話の流れで先生がご馳走してくださることになって。今から思えば、勝手に私が早とちりして、おねだりしてしまったんだと思います。それで、先生が買いに行かれたんですけど、戻ってきた時に、これをいただいたんです」


 三輪野るりは握りしめていた指貫をてのひらに載せて見せた。


「指貫ですね」

「はい、お稲荷さんと甘酒を買ってきてもらうはずだったんですけど、これになってたんです」

「がっかりしましたか」


 三輪野るりは思いきり首を横に振ると


「ぜんぜんです。むしろうれしかったです。これ、左貫先生が再会の記念にって渡してくれたんです」

「それは、うれしかったですね」

「はい、とっても。私のことを覚えていてくださったことだけでも舞い上がるほどうれしかったんです」

「うれしかったんですね」


 真乎は子どもの頃の恩師との再会をこんなに喜ぶものだろうかと訝しみ、表情は変えないまま、どのようないきさつがあるのか脳内で考えをめぐらせている。


「戻ってきた時風呂敷包みを抱えてらっしゃって、包みをほどくとあの掛け布団が出てきたんです。私は手芸をしないので、それがどんなものなのか、価値のあるものなのかもわかりません。その日は先生も中身を確かめただけで、持ち帰っていました」


 三輪野るりはため息をついて白湯のカップに口をつけた。


「あの、ひかれしまうかもしれないんですけど」

「なんでしょう」

「私、先生の後をこっそりつけたんです」

「お稲荷さんの市の時ですか」

「はい」


 三輪野るりは恥ずかしそうに下を向いた。


「小学生の頃は、探偵ごっこで、担任の先生の家を探しに行って迷子になったりしている同級生がいました。学校という閉じられた世界では、自分たちとは違う存在の大人である先生に、子どもは大いなる興味を持つものです」


 真乎に頭ごなしに否定されなかったので、彼女はうれしそうに顔を上げた。


「久しぶりの再会で、お気持ちが高揚して、子どもの頃のようなことをしてしまったのでしょうか」

「はい、いえ、そうじゃないんです。最初はそうだと思ってたんですけど」

「と言いますと」

「子どもの心に戻って先生のあとをつけたのではなくって、今の私が先生のことを知りたくてあとをつけたんです。やっぱり変ですよね、これじゃ、ストーカーです」


 だんだん小声になって三輪野るりはまた下を向いてしまった。


「ピンポンダッシュをしたり、郵便受けに石を入れたりといったいたずらはしましたか」

「いたずらはしてません。あ、でも、こぼれ種で咲いていた花を少し持ち帰ってしまいました」

「敷地外に咲いていたのでしたら大丈夫でしょう」

「押花にしてお守りにしてます」

「そうですか。では、そちらの指貫は、新しいお守りになるのでしょか」


 三輪野るりは下を向いたままうなずいた。


「三輪野さんは、ご自分のお気持ちに気づかれている、繊細で、正直な方ですね」


 真乎の言葉は決めつけるではなくあくまで今までの会話から感じたことを口にしている風だった。それは三輪野るりを安心させた。


「再会した時、先生もうれしそうで、話していて楽しそうで、ごちそうしてくださるとおっしゃったり、記念のプレゼントをくださったり、それは好意だと思いませんか」

「好意はあったでしょうね」

「そうですよね、先生が私のことを覚えていてくださったのは、好意があったからですよね」

「そうでしょうね」


 好き、ではなく好意。

 飛躍しそうな思考を言葉で抑えているような印象だ。


「でも」


 ふいに三輪野るりは声を潜めた。


「もしかしたら、それは、私の希望で、そう思いこんでいたのかもしれません」


 彼女は自分の言葉の勢いに圧されたかのように悄然としている。


「思いこみの底には真意が潜んでいます。思いこみも大切です」


 真乎が労わるような口調で言った。

 沙綺羅が新しい白湯をいれたカップを持ってきた。

 三輪野るりと真乎はほぼ同時に白湯を飲んだ。


「。では、確認をさせてください。三輪野さんは、三の酉の市でも左貫さんと偶然お会いになったのでしょか。左貫さんの異変にどうしてお気付きになったのでしょうか」

「それは」


 三輪野るりは一瞬ためらってから、言葉を継いだ。


「さっきもお話しましたが、私、先生のことが好きだったんです。だったというか、偶然再会して、気持ちがよみがえってきたというか。うまく言えないんですけれど。さっきは好意と言ったんですが、憧れ混じりの好意なんかより、ずっと、こう、理屈でわかったようにはなれない好きだったんです」


 もってまわったような言い方をしているが、これは彼女なりの誠意の表し方なのだろうと思われた。


「そうですか。気持ちを寄せられてらっしゃったんですね。でしたら、どんな小さなことでもお気ずきになられたことでしょう」

「その、お稲荷さんの市で先生を見つけた時は、もう、心臓がはねあがるというか」

「市というのは古来出会いの場ですから、運命を感じられたのですね」

「ああ、それです、運命です」


 三輪野るりは両手を組むとうっとりと目を閉じた。


「市が出会いの場というのは、市の発生当時、歌垣の場であったからですか」


 黙々と記帳をしていた沙綺羅がペンを置いて顔をあげた。


「はい。最も、市での出会いは、麗しいものばかりではありませんが」

「と言いますと」

「人さらいや人買いも厭わない流れの芸事師や紛い修験者、出所のわからない品々を並べる露天商、人を惑わせる似非占師、あげればきりがありません」

「ええっと、さすがに現代にはそうした人たちはいないのでは」

「それはわかりませんよ、沙綺羅さん」

「暫庫屋のような憑きものありの品を平然と売り買いしている商い人がこの町にも出入りしているわけですから」


 沙綺羅はそうでした、とうなずくと記帳に戻った。


「市という清濁ないまぜな所に生まれる熱気は、平穏さに倦んでいる娯楽の少ない場に住まう人たちにとっては刺激的で魅惑的なものであったことでしょう」

「イベントやフェスのようなものですね」

「フェスティバル、そうですね。祀りごとが聖であったら祭りごとは俗も飲み込むものであったのかもしれません」

「心理学以外に民俗学も専攻されてたんですか」


 三輪野るりが尋ねた。


「趣味と教養のうちです」


 真乎はさらっと流すと「酉の市での出来事を教えていただけますか」と言った。


「実は、こっそり先生の家を見に行った時に、おかしなものを見たんです」

「おかしなもの?」

「お庭に、先生が今はおっているキルトの布が干してあったんです」

「古いもののようですから、お使いになる前にお洗濯したのでしょう」

「そうだと思うんですけど、その、糸が何ヵ所もほつれて、風になびいてふわふわしていて、ほつれているところから、中の綿がこぼれ落ちそうになってたんです。茶色く錆びているような綿でした」

「洗ってから繕おうとされてたのではないでしょうか」

「私もそう思いました。それはいいんです」


 三輪野るりは、いったん言葉を切ると、ぐっと息を吸い込んでから自分を落ち着かせるように息を吐いた。


「そのはみ出ていた綿が、ひとりでに布の隙間に引っ込んだんです。誰かが掴んで引っ張ったみたいに、ひゅっと」


 真乎と沙綺羅は顔を見合わせた。

 

(ボロボロトン)


 二人は目線で確認し合った。


「そんなものを目撃してしまったので、なんとかして先生にそのことを告げようと思って、それからも何度か来てみたんですが、タイミングが合わなくて先生にお会いすることはできませんでした。そこで、市で先生と再会したので、もしかしたら酉の市に行けば会えるかもしれないと思って、出かけたんです」

「酉の市で先生とお会いできたのでしょうか」

「はい、ただ、先生の様子がおかしかったので、声をかけるのをためらってました。なにしろあの布をはおっていて、ストールというには毛布のようで、おしゃれな先生らしくないな、と思いましたし、ほつれかけている糸をさらにほつれさせるようにいじっていて。先生の庭であの布の怪しさを見ていたので、正体を知りたくて、先生が指貫と一緒に求めたという露店の骨董屋を探して、布のことを問い詰めていたんです。そうしたら、あんなことになってしまって」


 三輪野るりは、うっすら涙を浮かべていた。




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