白湯をどうぞ

 女子学生は伸びをするとソファから身を起こして二人の方を見た。


「よく眠れましたか」


 真乎が笑みを浮かべて言った。


「眠れたと思います」


 女子学生が答えた。


「思います、ってことは、よく眠れなかったんじゃ」


 沙綺羅が言いかけると真乎は目配せして留めた。


「沙綺羅さん、白湯をお願いします」


 真乎に言われ沙綺羅はキッチンへ立っていった。


「そちらの方はまだお休みのようですね」


 女子学生はキルトをかいまきのようにしてくるまって眠っている女性を見やった。

 それから、首にさげているシルバーのチェーンに通された指貫を握りしめて、ほうっ、とため息をついた。


「何があったのかお話を伺いたいのですけれど、よろしいでしょうか」


 女子学生は、うつむいてしまった。


「どうぞ、白湯です」


 沙綺羅が戻ってきて白いマグカップを彼女の前に置いた。

 彼女はマグカップに手を伸ばすと少しずつ白湯を飲んだ。

 

「ありがとうございます」


 女子学生は顔を上げると言った。


「あの、助けていただいてこのようなことを言うのは失礼だと思うんですけど」

「どうぞ、続けてください」

「初対面の私たちを、なぜ助けてくださったのですか」


 女子学生はまっすぐに真乎を見つめてきた。


「初対面、そうでした。自己紹介をしていませんでした。では、いたしますね」


 真乎はそう言うと沙綺羅を自分の傍らに呼んだ。


「私は、翠埜真乎と申します。。心の迷いの御相談を承っております。ここの一階にある小間物屋てりふりは祖母の店です。祖母が留守の時は私が店番をしています。てりふりでは骨董もお取扱いしておりますので、市の出店で商われているお品についても少々知識は持っております」


 真乎は言い終えるとゆるやかに会釈した。


「私は、庚之塚沙綺羅です。翠埜先輩の助手を務めてます」


 沙綺羅の自己紹介は簡潔だった。


「カウンセラーさんだったのですね」


 女子学生はすがるような目で真乎を見た。


「臨床心理士と公認心理士の資格は取得済みです。より幅広く深くクライアントの方と関わるために属さずにフリーランスでやっております」

「広く深くですか」

「はい」

「カウンセリングは、教職課程でとってるんですが、傾聴ばかりで大丈夫かなって思っていて、もっと具体的なアドバイスや言葉かけをした方がいいんじゃないかなって」


 女子学生の意見に真乎はうなづくと返事を返した。


「待つことが薬になる場合が多いんです。人は、なかなか待てないものなのです」

「待つというのは傾聴をずっと続けるということですか。たとえば入学してから卒業するまで三年間とか」

「そうですね。人によるとしか言えませんが」

「そんな、それじゃ」


 女子学生は言い淀んでしまった。


「人による、一人一人を深く理解することに努めて対応する、それは時間がかかることです。そして、とても大事なことなのです。とにかく待つことが」

「ずいぶん語られるんですね、傾聴してくださらないんですか」


 ふいに女子学生が反論してきた。


「今はまだカウンセリングではありません。うちのカウンセリングは少々風変りかもしれません。それに、ご予約をいただいてるわけではありませんので、カウンセリングをするかどうかは決まっていません。今は状況を把握するための世間話をしているのです」


 真乎はていねいに説明した。


「名乗るのが難しいようでしたら、指貫さんと呼ばせていただきます」


 女子学生がいじっている指貫を見て真乎が言った。

 女子学生は、はっとすると手を離し、もう一度白湯を飲むと口を開いた。


「私は、三輪野るりと言います。そちらの人は、左貫端万子先生です」

「先生と生徒さん?」

「厳密に言うと違います。子どもの頃の放課後教室の指導員にいらしてたので先生と呼んでいたのです」


 三輪野るりは名乗ったことでちょっとほっとしたのか、市での状況を説明し始めた。


「左貫先生と再会したのは、お稲荷さんの市です。驚きました。先生は昔と変わらずおきれいで、品があって、やさしくて」


 それから、三輪野るりは市での再会の話を脇に置き、子どもの頃の左貫端万子との交流について順を追って語り始めた。

 その記憶は鮮明で、すぐ目の前でほのぼのとした大人と子どものやりとりが繰り広げられるのが目に見えるようだった。


「とても楽しい時間を過ごされたのですね」

「はい。左貫先生は、その、おっとりされてるんですが、私が言うのは失礼かもしれませんが、ただやさしいというのとは違う感じがしました。本当は興味がない相手にやさしさをふりまく人っていますよね。それは、自分自身を守るためのやさしさだと思うんです。でも、左貫先生のは違ってたんです。そこにいる子どもたちみんなに等しく目配りしていてくれたんです」


 三輪野るりの頬が紅潮している。

 真乎は遮ることなく耳を傾けている。


「本当に、いい先生で、私、ずいぶんいたずらをして大人を困らせたりしてたんです。じっとしてられないというか。目に入ってくるもの全てが私に遊ぼうよって声をかけてきているような気がして。それを感じたら、もう、いてもたってもいられなくなって、授業中でも、習い事の最中でも、動き回ってしまって」


 三輪野るりの目はくるくるとよく動く。

 時に視線は真乎に戻ってくるが、すぐに部屋の調度品や眠っている女性や佇んでいる沙綺羅に移っていき、しまいには自分の記憶を見ようとしているかのように虚空に目をこらしたりする。


「私、教育学部なので、発達のことは学んでいます。私は、その、検査をしたら発達上の何かに当てはまるかもしれません。でも、成人してからは、自分でコントロールできるようになりましたし、たまに、うかれてしまうことはありますが、それは、誰だってそいうことはあると思うんです。私の場合、ちょっとはめをはずし過ぎるとこがあるみたいなんですが、そういう時は、友人がフォローしてくれるんです。友人にはいつも感謝してます。この間も、そういえば、こんなことがあって、って、あ、すみません、私、自分のことばかり、市でのことをお話するんでしたよね、すみません」


 三輪野るりはしゃべりやめると、白湯をひと口飲んだ。


「私も、よく話が脱線するって言われます」


 真乎が笑みを浮かべながら言った。


「そうなんですか。でも、その、とても聡明な方にお見えしますけれど」


 端で聞いていて、初対面の目上の人へのほめ言葉としては少々上から目線のような言い回しだなと沙綺羅は思った。

 こうした距離感のとれなさ、決して悪気はないのだけれど言い回しがその場にふさわしくない様子、本人は落ち着いてきたと言っているがまだだいぶそうとは思えない言動、沙綺羅は一般教養でとった心理学の科目で学んだ事柄とすり合わせて、三輪野るりは生きずらさを抱えているのだろうと推察した。

 もちろん、真乎もそれには気付いているだろう。

 気づいて、どうするのがよいか思案しているはずだ。


「すみません。もう一度左貫先生とのこと、今回のこと、最初から話します。お稲荷さんの市で、先生と再会したんです」


 三輪野るりは、首にさげたシルバーチェーンに通した指貫を左手で握りしめると、自分を落ち着かせるように話し始めた。



 



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