人もどきか神か妖怪か

「ぼろぼろといふ者、昔はなかりけるにや。近き世に「ぼろんじ」「梵字」「漢字」など言ひける者、その始めなりけるとかや」


 沙綺羅は区切ると「ここでいう昔は、鎌倉時代より前ということですね。近き世というのは近世江戸時代ではなく、兼好法師の生きていた鎌倉時代のことですね。呼び方もバリエーションがあったのですね」と自分で確認するように言った。


「世を捨てたるに似て我執深く、仏道を願ふに似て闘諍をことす。放逸無慙の有様なれども、死を軽くして、少しもなづまざるかたの、いさぎよく覚えて、人の語りしままに書きつけ侍るなり」


 第百十五段を読み上げ終わると沙綺羅は顔を上げた。


「ぼろぼろたちのことをけなしているのに面白がってもいますね、兼好法師」

「けなしているというよりは、実態を記録している感じではないでしょうか」

「なるほど、兼好法師は、自由で無茶なところのあるぼろぼろを、自分と同じ仏徒でありながら適当に道を踏み外しているのを、困った奴らかもしれないが端で見てる分には痛快だと思っているってことですね」

「社会のルールに乗っ取って働かざるを得ない人々にとっては、さぞや目障りで、かつ、羨ましいと思う対象だったのでしょう」


 真乎の語りにうなずきながら、沙綺羅は疑問点を口にする。


「結局、この段には、ぼろぼろと真乎さんの言うところの古裂のパッチワークのボロファッションアイテムのかいまき風衣裳は見当たりませんでした。それについて説明してもらえますか」

「そうですね。では、今度はこちらをご覧になってくださいな」


 真乎は小型のノートパソコンで何やら検索すると沙綺羅に画面を見せた。


「これって、デジタルコレクションですか」

「はい。国立国会図書館のデジタルコレクション『七十一番職人歌合』です」

「職人が歌会してるんですか」

「戦国時代に成立したとされる、さまざまな職種の方の歌比べです。この本には142種の職人が描かれています」」

「何か関係あるんですか」

「はい。もちろんです」


 そう言うと真乎はカーソルを動かして四十六番のページを開いた。


 四十六番右 襤褸

 四十六番左 通事


 ここに描かれているボロは、白衣に黒袴、高下駄、小刀帯刀で、僧侶というよりは仇討ちの似合いそうな武士のようだった。


「風変りな存在かもしれませんが、ぼろは、ここでも人間ですね」

「そうなのです、人間なのですよ、ぼろ、ぼろぼろは」

「でしたら、人間の念のようなものが変化してあやかしのようなものになったのがボロボロトンではないのですか」


 沙綺羅の指摘に真乎はそうですねぇ、と目をしばたたいた。


「ボロボロトンの絵もあるのですよ」

「それは人の形ですか」

「いえ、言うなれば、付喪神のように見えます」

「時を経た道具の妖怪ですか」

「曲がりなりにも神を名乗ってますから、妖怪と言ってしまうのもちょっと、なのですが」

「でも、付喪神って言ってるのはそれを見た人間であって、本人、じゃなくって、当該物たちは自分たちを神だなんて思ってないんじゃないですか」

「どうでしょうか」

「え、そこ、疑問符ですか」

「周りから言われ続けているうちに、本人がその気になってしまわれること、ありますでしょ」

「付喪神たちもそうだと」

「伺ったわけではないのではっきりとはわかりませんが」

「それは、妖怪に話をきく機会なんてそうそうないと思います」

「そうなのですよね。ドロタボウさんに伺っておけばよかったでしょうか」

「猫ちぐらのドロタボウは別に付喪神じゃないですよ」

「あ、そうでした。鋭いですね、沙綺羅さん」


 真乎は沙綺羅に賞賛の目を向けた。

 沙綺羅は、え、そんなことないですと両手を振った。


「さて、ここでもう一点、ぼろぼろさんの資料をご紹介します」

「ボロボロトンではなくて、ぼろぼろですか」

「はい。室町から江戸にかけて庶民が親しんだ読み物の御伽草子の一つ『襤褸々々のさうし』です。ぼろぼろの生い立ちの物語です」

「生い立ちのって、ぼろぼろは一人の人間を指すのではないんですよね」

「これはつくり物語です。こういうぼろぼろさんもいたという例のような話なのです」

「ぼろぼろは仇討ちするところから、武士の家に生まれることが多かったんですか」

「それはいろいろでしょね。この物語では、商人の母から生まれた兄弟のうち乱暴者の兄がぼろになり、器量のよいやさしい弟は兄がぼろになったのを嘆いて自ら念仏を唱える者となって全国を行脚するようになったという話です」

「ぼろがアウトローなのはわかりました」

「この他にも、教科書に出てくるような作品では『沙石集』や『問はずがたり』にぼろさんは登場してます」

「アウトローなのにメジャーだったんですね」

「悪い評判は浸透しやすいですから」


 真乎がさらっと言った。

 確かに、よい評判はその場では褒められても、すぐに忘れられるか故意にその場でひと区切りにされてしまうなと沙綺羅は思った。

 

「同じような漂泊者に虚無僧という職種もありますね」

「虚無僧って、編み笠で顔を隠して尺八吹いてる人ですよね」

「無茶なことをしないというだけで、成り立ちはぼろぼろさんに近しいようです」


 真乎はそこで一区切りをつけると、軽く伸びをして、それから沙綺羅に告げた。


「では、いよいよ本題に入りましょうか」

「本題というのは、ボロボロトンの絵姿を見せてもらえるということですか」

「はい。写しですが、祖母が昔馴染の方からお預かりしたものだと伺ってます。その方が急逝されて、まあ写しでもあるからとそのままうちの書庫に眠っていたものです」

「そういえば、書庫の虫干しの時に、古いものがけっこうありましたね」

「はい、毎年お手伝いありがとうございます、沙綺羅さん」


 真乎はそう言うと立ち上がり部屋の端にあるマントルピースの下段の扉を開けて、半紙を綴じたような分厚い和綴じの冊子を取り出した。


「こちらが鳥山石燕の『百器徒然袋』の写しです」


 真乎が両手で持って表紙を見せた。

 厚紙を和紙でくるんだ表紙に素人手にしては達筆な文字が記されていた。


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