仇討ちと自尊心

「それにしても、肉親の仇ではなく師匠の仇を討つというのは、故人を失って悲しいつらいといった情絡みだけではないということですよね」


 沙綺羅が続きを読み上げる前に疑問を口にした。


「自尊心」


 真乎は珍しく言い切った。


「自尊心ですか、この話の仇討ちの理由の一つは」

「沙綺羅さん、おわかりのようでおわかりではありませんね」

「そういうもってまわった言い方しないでください。頭がこんがらがります」

「こんがらがるのですか、それはけっこう」

「真乎さん、話逸れてませんか」


 理解できてないと言われて沙綺羅はちょっと不服そうだ。


「逸れてません」

「だったら、どういうことですか」

「人がうまく動けない時、自分で自分をうまく動かせない時、一見いろいろな理由や理屈や障りがあるように見えることがあります。自分でもそう思わせているからです」


 いつものくせで真乎は右手の人差し指を唇に当ててこくびを傾げた。


「そうしたいろいろの根っこは一つなのです」

「一つ? 」

「はい。自分を守るため、自分の心を守るためにもつれるように張り巡らせた理由や理屈や障りを、順番に、時に同時にほぐしていくと、根っこにたどり着きます。その根っこが生えているのがその方が守りたいものです」

「と言うことは、ぼろぼろの仇討ちの話では、しら梵字さんは師匠の死を悼み悲しんでいるけれどそれが仇討ちの大元の理由ではなくて、自分が尊敬していたものを奪われたということで自尊心を傷つけられたというのが根っこにあるということですか」

「尊敬どころか尊崇していたかもしれません。なにしろ一種の宗教集団を成しているぼろぼろさんたちもいたわけですから」


 真乎はココアをもうひと口飲むと


「さあ、では、続きをどうぞ、沙綺羅さん」


 と言った。


「あ、はい、なんだかのどが渇いてしまいました。ちょっと待ってください」


 沙綺羅は冷蔵庫からガラスピッチャーで冷やしてあるレモンバームとレモンバーベナとレモングラスのレモンブレンドハーブティーをコップに注いだ。

 そこにミントを入れて作った氷を1つ浮かべて


「真乎さんもいかがですか。ちょっと乾燥してませんか」


 と声をかけた。


「私はけっこうです。そうですね、お二人がお目覚めになったら、おすすめしてみましょうか」

「わかりました」

「お出しする前に、お医者さまで処方していただいている常用のお薬やサプリメントと一緒にお飲みして大丈夫か確認してくださいね」

「もちろんです」

「障りがあるほど強い成分がある場合は少ないのですけれど、万が一ということもありますから」

「そうですね。自分が平気だとつい気がまわらないことってけっこうあります」

「私もです」

「真乎さんは、ぼーっとしているようで、しっかり見てるじゃないですか」


 真乎は目を見開いてぱちぱちすると


「私、ぼーっとしてますか」

「してますよ、けっこうな割合で。仕事っぷりがしゃんとしてるから、クライアントさんからは頼りがいのあるしっかりした人、って思われてますけど。それで、その噂が流れるから先入観効果で外聞はいいですよね」

「おほめいただきうれしいです、ありがとうございます、沙綺羅さん」


 にこにこしている真乎に、微妙な評価なんだけどと沙綺羅は心の中で苦笑した。


「さて、では、続きです」


 レモンハーブブレンドアイスティーを飲み終えると、沙綺羅は読み上げ始めた。


「いろをし、『ゆゆしくもたづねおはしたり。さること侍りき。ここにて対面し奉らば、道場をけがし侍るべし。前の河原へ参りあはん。』」


 沙綺羅そこで区切ると、


「なんだか余裕ですね、いろをしさん。自分を殺しにきた相手に対して、よく訪ねてきましたね、ってねぎらってますよね」

「お覚悟されていたのでしょう。ご自分も殺めてらっしゃるわけですから」

「まあ、そうですよね。それにしても、そういうこともありましたね、なんて言ってるのは、とぼけてるのかわかってて挑発してるのか、食えない感じですね、いろをしさん」

「ぼろ、ですから」

「ぼろ、ですからですか」

「仏徒でありながら無法者でもある存在として生きていくには、相手に主導権を握らせないことが肝要でしょう」

「確かに。つかみどころのないようにふるまうんですね」

「はい」

「ん、なんだか真乎さんっぽいですね」

「私は襤褸は着こなせません。難しいんですよ、ボロファッションで決めるのは。よほどスタイルがよろしくって、派手やかなパッチワークの布団カバーからランダムにはみ出た中綿もアクセントにして襤褸のふすまを着こなすには、相当年季が必要なのです」

「年季、ですか」

「はい。そうですね、おおよそ700年くらいでしょうか」

「700年かかるって、それって、『徒然草』の成立した頃からってことですよね」

「ご明察」

「この本に書いてあります」


 そこで沙綺羅はまた逸れてしまっているのに気付いた。


「ここの文章では、もう一ヶ所気になるところがあるんです。それだけ確認させてください」

「それだけと言わず、疑問はどんどん口にしてください」

「いつまでたっても終わらないじゃないですか」

「何がですか」

「ボロボロトンの正体についての解釈です」

「ここにいますから、大丈夫です」


 真乎はローテーブルにの載せた絹と麻の古裂の上に両手をついてみせた。


「麻布の運針の遺言書も解読しないと」

「ですから、ここにいますから大丈夫です」


 沙綺羅は小さく咳払いをすると、もう一つのひっかかりを口にした。


「道場、ってありますよね。道場を血で汚したくないから、外に出ろ、ってことですよね。この道場っていうのは、剣道など修養の場ってことですか。流れのものたちが修養なんてしてたんでしょうか」

「そうですね、道場というのは、集会をする場所のことです。お寺のない山奥の寒村などではそうした場所を道場と言ってました」

「なるほど、人気のない荒れた道場にぼろぼろたちが勝手に入り込んで住んでたのかもしれませんね」

「そのようなところでしょう」

「住まいとなれば、やっぱりそこで流血は避けたいですね」

「それだけでしょうか」

「え、と言いますと」

「いろをしさんがぼろぼろたちを率いる主であれば、仮にも仏徒を名乗るのであれば、住いだからということのみならず、お経をあげる場を血に染めたくはないでしょう。そして」

「そして?」

「弟子のようなものたちの前で討たれてしまっては、連れ合いの身が危うい」

「そういえば、妻帯をして一団を率いているのでしたね」

「はい。外で仇討ちとなれば、皆見物に出るでしょう。連れ合いは万が一に備えて逃げる算段ができるというものです」

「まじめな修行集団でしたらそんな心配はいらないんですよね」

「備えあれば」


 そんなことは書かれていないが行間を読めということなのだろうか。

 読めというよりは妄想を膨らませろということのように沙綺羅には思われた。


「では、続けます」


 沙綺羅は続きに視線を移した。


「あなかしこ、脇さしたち、いづかたをもみつぎ給ふな。あまたのわづらひにならば、仏事の妨げに侍るべし』と言ひ定めて、二人、河原へ出であひて、心行くばかりに貫きあひて、共に死ににけり」


 沙綺羅は顔を上げた。


「この部分からですと、真面目に修行をしている集団みたいですよね。仏事の妨げにならないように、なんていろをしさん言ってますし。それにしてもすごいですね、お互いに心ゆくまで貫き合いって」

「見苦しい様を見せることなく、刺し違えたのですね」

「時代劇みたいです」

「仇討ちは殺人です。犯罪です」

「仇討ちって犯罪だったんですか」

「殺人ですから」

「殺人は殺人ですけど」

「法制化されたのは江戸時代です」

「知っていたつもりのことでも、知らないことってけっこうありますね」

「はい。ですから、油断大敵なのです」

「油断大敵、ですか」


 ボロボロトンという耳慣れない存在の実像を探ろうとしているわけだが、なかなか辿りつけず沙綺羅は少し疲れてきているようだった。


 眠りこけている女性と女子学生の寝息は深くゆるやかで、二人とも身じろぎもせずにいる。

 ただ、女性がかぶっているランダムパッチワークのかいまきのようなつぎはぎの布の真乎が剥いだ部分が、失った皮膚を探すかのように女性の呼吸に合わせてうねるのが薄気味悪い感じがする。


「さあ、まだ終わってませんよ、沙綺羅さん」

「わかってます。それにしても、二人とも起きませんね」

「眠りが尽きるまでそっとしておきましょう」


 真乎は独特の言い回しをする。

 それが魅力一つでもあるな、と沙綺羅は思う。

 少々わかりずらい時もあるが、それすらも想像力を刺激してくれるのが心地よい。

 それがあまりに続くと脳が疲れてついていけなくなることもあるが。


「もう少しです。ボロボロトンに到達するまでがんばりましょう」


 真乎が気合を入れて言った。


「真乎さん、ご存じなんじゃないんですか、正体」

「ご存じですけれど、全部とは限りませんので。沙綺羅さんと一緒に探求してるのです」

「ありがとうございます」

「御礼なんて、うれしいです」

「『徒然草』のこの段がヒントというわけですね」

「はい、いいえ」

「いいえ? 今さらいいえ?」


 思わず大きな声をあげそうになって、沙綺羅は慌てて両手で口を閉じた。


「どういうことですか」

「はい、なのは、その段はヒントの一つだからです。いいえ、なのは、他にもヒントはあるからです」

「そういうことですか」

「それから、まあ、あまり言いたくはないのですが」


 珍しく口ごもる真乎に、沙綺羅はぴんときた。


「全部知ってるのは、暫庫屋ってことですね。最初から暫庫屋を問い詰めればよかったんですね」

「呼び捨ては失礼ですよ、沙綺羅さん」

「あ、はい、すみません、つい」

「お気持ちはわかりますが」


 真乎がいたずらっぽく肩をすくめて見せた。

 

「極力手元にある資料でボロボロトンの基本情報を確認して、それから、今こちらの女性の所有物になっているボロボロトン憑きのパッチワークキルトが人間を惑わすものなのか調べましょう。ヒザチグラの出番はその時です」

「下調べが重要ってことですね」

「はい。いつだって」


 沙綺羅は納得すると、第百十五段の最後の部分を読み上げた。











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