古裂を辿りながら
女子学生にひざ枕をしてもらい相談室のソファに横たわる女性は小さく寝息をたてている。つぎはぎのマントのような布を胸の前で合わせてぎゅっと握っている。先ほどナイフで傷つけた左手の薬指の包帯が痛々しい。
女子学生と女性はミドリノ相談室に避難していた。
ミドリノ相談室は、真乎の祖母の店小間物屋てりふりの建物の二階にある二部屋のうちの一室を使っている。もう一室は沙綺羅が下宿している。
バリアフリーの玄関を入ってトイレ、バスが左側に、収納スペースの書庫が右側にある廊下を進んでいくと、オープンキッチンとダイニングルームにつきあたる。
室内はアールデコ風の凝ったインテリアが優雅な雰囲気を醸し出しているが、全体的に使い勝手のよいつくりになっている。
キッチンはオープンカウンターでカフェカーテンで目隠しがされている。アンティークレースの衝立がオープンカウンターの前に置かれていてその向こうに待ち合い室兼応接コーナーになっている。
相談室はダイニングルームの奥にある二つの部屋のうちの左側の一室で、右側は真乎が書斎として使っている。
靴を脱いであがることで、ちょっとした開放感が生まれる。
それがむしろ緊張感につながるようであれば、それはそれで心に生じているものとの関わりへのわだかまりがあるのだと推察できる。
家庭的な雰囲気にくつろげない人というのは、存外いるものだった。
真乎は今までの経験から女子学生と女性の様子をさりげなく観察しているが、その点はとくに問題はないようだった。
ローテーブルをはさんで向かい側に座っている真乎は、沙綺羅がいれてくれたミントココアをひと口飲んだ。それから女子学生に声をかけた。
「温まります。どうぞ、よろしかったら」
真乎に勧められて、女子学生はカップに顔を埋めた。
思いつめたような表情が心なしかゆるんだ。
温かくて甘くてちょっとすっきりのミントココアは、ていねいにいれてあり、そのていねいさが心をほぐす。
「ありがとうございます」
女子学生はカップを両手で抱えたまま言った。
「かけつけてくださらなかったら、いったいどうなっていたか、考えるのも怖いです」
「間に合ってよかったです」
「本当に、ありがとうございます」
「こちらにお連れしたのは大丈夫でしたでしょうか」
「こちらこそ初対面なのにご迷惑をおかけしてしまって、すみません」
「お二人が落ち着かれるまでゆっくりしていってくださいね」
それは
真乎の口調がですます調になっている。
その時々で真乎の口調は変わることがあるのだが、無意識でのことらしい。
今日はお嬢さまかマダムのようなですわ口調でいたが、世間師暫庫屋への戦闘態勢気分がそのように言わせていたようだった。
「そう簡単におくつろぎにはなれないと思いますが、そうですね、そちらの方のように少し横になられますか。ココアを飲んで、毛布にくるまって」
「ありがとう、ございます」
真乎の提案に惹かれるように女子学生のまぶたが降りてくる。
沙綺羅が慌ててカップを受け取る。
「そちらでは二人寝るには狭いですよ、ええっと、泊まり込み用の折り畳み式ベッドがありますから、ご用意しますからお待ちを」
真乎の言葉が終わらないうちに、女子学生はひざを貸している女性のからだにおおいかぶさるようにぱたんと倒れた。
「一瞬でしたね」
「よほど緊張してたんですよ」
「緊張だけでしょうか」
「深読みですか」
「暫庫屋と関わりのあるらしいお品絡みで何かあったようですから、深読みでなくても怪異か妖しのものが関わっていることになるでしょう」
「それはそうですけど」
指貫を見せて暫庫屋に詰め寄っていた女子学生の姿が二人の脳裏に浮かぶ。
「それに、こちらの方が、パッチワークのタペストリーかベッドカバーかをマントにしてらっしゃるのも気になります」
「ずいぶん古いものみたいですね」
「ええ。古いものです」
「わかるんですか、真乎さん」
「わかるんです」
真乎はきっぱり言った。
「アンティークの着物、流行してますよね。大正浪漫、昭和レトロ、西洋から移入された花、チューリップやスズラン、コスモス、ダリア、バラ、ユリ、ヒマワリ、たおやかで楚々とした日本の花とは違う、輪郭のはっきりとした鮮やかな色彩の花々が織り込まれた銘仙は手軽なおしゃれを楽しめるので人気を博したのでしたよね」
「沙綺羅さん、ずいぶん詳しいんですね」
「着物好きの友人がいるんです。こちらのお店にアンティークの和装小物が入る時があると話したら講釈が始まって、挙句の果てにアンティーク着物でゼミの打上げをすることになって、いつのまにか、基本知識は身についていたんです。ほんのちょっとですけど」
「着物でお食事会ですか、よいですね、混ぜてくださいな」
「ゼミ生だけの集まりなので」
「元ゼミ生はだめですか」
「ええっと、懇親会を提案してみます」
「うれしいです、沙綺羅さん、楽しみにしてます」
真乎はそこで真顔になると話題を元に戻した。
「手仕事のもの、中でも布ものはおばあさまのお得意分野ですが、私も祖母の手仕事を見て育ってますから、それに、こっそりお針仕事の真似事もしていたのです」
真乎はブランケットを手にソファの脇に跪くと女子学生に掛けた。
それから、女性がかぶっている古典的な柄の着物地のランダムな模様パッチワークの端を両手で掲げ持って、針目を追った。
「パッチワークしている端切れ自体はよいものです。かなり時代がかった古裂が紛れています。このままミュージアムに飾られていてもおかしくありません」
真乎が持っている部分にはアワビやサザエといった海の貝の意匠がちりばめられていた。
「ここは大島紬、ここは結城紬、絵の入っているところは友禅、お武家さんのお身内さんやお屋敷住いのお嬢さま、ものによってはお殿様のところのものかも」
「お殿様のところって、そんなおおげさでは」
「それにしましても、暫庫屋はたいがい気前がよいようでしたね、指貫2個のオマケにこちらのランダムキルトのタペストリーをお付けになったと」
真乎は指先を縫い目に走らせている。
「使ってある端切れは上等な古裂ですが、どこもかしこもほつれてますね。下地もだいぶ弱っています。きつくひっぱったら裂けてしまいそうです。古裂をご存じない方でしたら、丸めて袋に入れて口を縛ってポイですね」
「燃えるゴミですね」
「かさばるので古着、古布回収コーナーかもしれません」
「こんなにぼろぼろでも引き取ってもらえるんですか」
「ぼろぼろ、ですね、確かに」
真乎はそこで何か思い出そうとして口をつぐんだ。
目を閉じて右手の人差し指を唇に当ててしばし黙考した。
それからゆっくり目を開けて、古裂の糸のほつれを指先でつまんで縒って細くして器用に古裂と布の合間にはさみこんだ。
それから沙綺羅を見てうなずいてみせた。
「布ものはかびやほこりの巣窟になりますから、健康によろしくないのですよね」
「お手入れしてもですか」
「そうですね。樟脳を置いておいても、湿気の多い場所で保管してあったらだめですし、人が触れた場所には見えない汗や脂が付着してるものですし」
その時だった。
二人の会話を遮るように、うなり声が響いた。
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