お身内としての覚悟

 二人が声のした方に向かうと人だかりができていた。


「あそこですかね」


 沙綺羅が言うと真乎は答える間も惜しいとばかりに足を速めて人だかりをするすると抜けていってしまった。


「真乎さん、ちょ、待ってください」


 なんだかいつも追いかけているなと思いながら沙綺羅も後を追った。


「こちらにいらしたのですね」


 真乎の声に人だかりの中心にいた人物が振り返った。

 人だかりの中心には先ほど暫庫屋と話をしていた女子学生とうずくまっている女性がいた。

 女性は奇妙な格好をしていた。つぎはぎだらけのマントのようなものをはおっているのだった。


「先ほどは割り込んでしまいまして申しわけございませんでした。私どものせいですね」


 真乎は女子学生に目礼すると立膝でしゃがむとうずくまっている女性の手をとった。


「だいじょうぶですか、って、真乎さん、その方、血、ちょっと、何してるんですか」


 沙綺羅が手を口に当ててうなった。

 戸惑っている沙綺羅を制して、真乎は女性に声をかけた。


「どうぞ手当をさせてください。ここから離れて。ここは寄ってくるものが多すぎますわ」


 うずくまっている女性は自分の指にナイフを突き立てているのだった。

 女性は真顔でぎっと唇を噛みしめている。

 声は漏れていない。

 先ほどの声は、では、誰のものだったのだろう。

 ナイフの刃は左手の薬指にはまっているプラチナと思しき指輪に当たっている。


「これがとれなくなってしまったから、ちょっと指の肉をこそげ落とそうとしているだけです」


 真乎と沙綺羅は顔を見合わせた。

 理屈は合ってるかもしれないが、尋常じゃない。


「沙綺羅さん、そちらの方をお願いします。彼女の方が倒れてしまいそう」


 真乎に言われて沙綺羅は気を取り直して立ち尽くしている女子学生の傍らに立った。女子学生は力が抜けたのか沙綺羅の肩に両手で掴まり深く息を吐いた。


「お湯で温めるといいですよ、そうすると皮がふやけて抜けやすくなります」


 真乎の言葉に女性はぱっと顔を上げて大きく首を振った。

 そして、


「まどろっこしい。こうした方が早い」


 と言うが早いか手にしたナイフにぐっと力を入れた。

 切り口から血がだらだらと流れ出す。


「やめて、やめてください」


 沙綺羅を押しやると女子学生が飛び出していった。

 そして女性におおいかぶさるようにしてナイフを持つ手をはらった。

 それを合図に人々が騒ぎ出した。

 

「やばっ」

「スプラッタ、やだー」

「誰か、救急車呼んで」

「ナイフやばいよ」

「警察も呼んだ方がよくない」

「早く」


 場は騒然となったが、真乎は平然としている。


「救急車も警察も呼ばなくて大丈夫ですわ。私が手当いたします」


 言いながら真乎はナイフを拾うように沙綺羅に目配せした。


「さあ、まいりましょう。お身内の方もご一緒に」


 身内を言われて女子学生は逡巡したが「とにかく手当をしましょう」と沙綺羅に促され一緒に移動した。


「沙綺羅さん、ナイフは市販されてるものですね」


 女性の腕をとって支えて歩きながら真乎が言った。


「はい、果物ナイフです、どこでも買えるものです」

「ご家庭にあっても自然ですわね」

「そうですね、近頃はカットフルーツが普及してますから、あまり使われてないとは思いますが」


 沙綺羅は隣りを歩いている女子学生の様子を見やりながら言った。


「果物を扱うのにナイフを使うメリットは何でしょう」


 真乎が誰にともなくつぶやいた。


「メリットですか。そうですね、皮をむいてすぐ食べられるので新鮮ですね。カットフルーツですとどうしたって口に入るまでに時間がかかりますし、衛生上から防腐効果のある液体につけることになるでしょうから風味も変わってきますよね」


 沙綺羅の返答に真乎はそうですねとうなずき、それから言った。


「フルーツカービングにもナイフは使いますわね」

「カービングナイフはちょっと特殊な刃をしてます。細工をしやすいように」

「そちらのナイフではできないということでしょうか」

「やってやれないことはないと思います。器用な方でしたら、道具は選ばないですよ」

「選ばなくてできても、こだわりがあれば揃えますわね」

「専用のものであればより完成度は上がると思いますから、確かに揃えると思います。ピーリングナイフ、シーディングナイフ、ペン型ナイフ、くり抜きスプーン型」

「お詳しいですのね、沙綺羅さん」

「ええ、まあ、趣味にしようと思って習ったことがあるんです」

「ご趣味ですか。素敵! 今度ゴージャスなフルーツポンチを作ってくださいな」

「ゴージャスですか、ええっと、その、道具は揃えたんですが、不器用過ぎて流血騒動になってお教室はすぐにやめました」

「流血は意外に起こることなのですね」


 真乎はうなずきながら傍らの女性の歩みが遅くなっているのに気づいて足を止めた。女性がはおっているつぎはぎのマントはがが地面についてしまって縁が綻び始めていた。


「おつらいですか」


 声をかけると返事があった。


「つらい?」


 絞り出すような声だった。


「おつらいようでしたら、少しお休みいたしましょう」


 真乎はやさしく声をかけた。


「つらい? つらい?」


 女性はその言葉の意味がわからないというように繰り返す。

 応急手当で包帯を巻かれた左手を振り回しながら。

 振り回すうちに塞がりかけていた切り口から血がにじみ出てきた。

 真乎は「ちょっと失礼しますわ」と一声かけてから女性の背中に手を当て荒く息をついている女性の背を撫でた。

 女性はだらんと両手を前に垂らすと催眠にかけられたように目を閉じゆらゆらと歩き出した。


「御依頼があれば、お心の内をうかがうことができるのですが」


 真乎がそうつぶやいた時だった。


「お願いします! 依頼します、お願いします」


 勢いこんだ声がした。

 真乎の問いかけに答えたのは女子学生だった。


「ご本人かお身内の方でないと、御依頼はお受けできないのですが」


 女子学生は言葉に詰まってしまった。

 それを見て真乎は言葉を継ぐ。


「お身内と同等のご覚悟がおありでしたら」

「あります、たいせつなんです、つらいんです、つらいんです、きっと」

「おつらいことが伝わってるのですね。わかりました。お受けしますわ」


 女子学生の勢いに気圧されることなく真乎は冷静に受け答えをした。







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