武運と商運と縁結び

 澄んだ青に晩秋のひんやりとした気配が潜んでいる。

 午後3時をだいぶまわっているが、夕闇が訪れるのはまだ先だからと人々はのんびりと境内をひやかしている。

 けれど油断していると4時をまわったあたりから急速に日が傾いてくる。

 三の酉の頃は晩秋と初冬がない交ぜになっている。

 酉の市が本格的に始まるのは日没後、夜遅くなるほどにぎわってくる。

 鳳神社では普通の屋台も出るので、おやつや小腹を満たそうと子どもたちや家族連れが境内をぶらついている。


 藍染絞りの風呂敷包みを置くと、庚之塚沙綺羅は空を見上げて伸びをした。

 それから薄手のパーカーではちょっと寒かったかなと思い前を掻き合わせた。


「重いですよね、申しわけないです。いつもお荷物を運んでもらって」


 声をかけたのは小間物屋てりふりの店番、沙綺羅の大学の先輩翠埜真乎だ。

 やわらかなシフォン素材の足首まで隠れるグレイッシュブルーのワンピースにゆったりとしたチャコールグレーのロングシャツを重ね着して、千鳥格子の厚手のリネンストールを首にぐるぐる巻いている。

 いつものスタイルだが、そろそろ外出するには肌寒そうで、ウールストールにすればよかったかしらと真乎は両腕を交差させてぶるっと震えてみせた。


「いいですよ。筋トレにもなりますし」

「そうは言いましても寒いですよね、ストール巻きましょうか」

「お気持ちだけいただきます。真乎さんが風邪ひいちゃいますよ、私は大丈夫です」


 ぐるぐる巻きのストールをほどきかけた真乎の手を止めて沙綺羅は言った。


「うーん、でしたら、屋台も出てますので、ごちそうしますね」

「それは、うれしいです」

「何かあたたまるものがよろしいかしら」

「しょっぱいものがいいです」

「でしたら、絞めたてチキンレッグ香味フレーク添えがおすすめです」

「絞めたてって、とんでもネーミングですね。ここおとりさまの神社ですよ」


 状況を想像して沙綺羅は一瞬ひるんだ。


「とれたて、できたて、あげたて、つくりたて、たてとつくものはみんな美味しそうです」

「そうじゃなくって」


 天然なのか確信犯なのか真乎はにこにこしながら境内を見渡している。


 三の酉の市。

 酉の市はここ里町にいくつかある神社のうちの一社、おおとり神社が一年で最も賑わう日だ。

 三の酉は火事が出ると言われてよいイメージはないものの、ここの出店の主たちは、だからこそ火伏せまじないの札や火防の火産巣火神ほむすびのかみのお守りも一緒にどうぞといつにもまして派手な呼び込みで抜け目なく商いをする。


「壮観ですね、こんなに熊手の出店ってありましたっけ」


 境内にひしめきあう出店の多さに沙綺羅が驚きの声を上げた。


「迷ってしまいますね」


 うれしそうに真乎が言った。


 宵の市では灯りはあるけれども全体を見るには暗すぎる。

 その点、まだ明るい時間帯の今なら、準備中とはいえそれぞれの店の売り傾向を見渡すことができる。

 目玉商品は人出でにぎわう夜に飾られるが、そうした大物は企業や大店が求めるのだった。

 明るいうちに目星をつけておいて、買うのは暗くなってからという心積もりだと真乎は沙綺羅に言ってあった。


「そんなに境内は広くなかったと思うんですが、いったい何軒出てるんですかね」

「そうですね、お社までの参道にざっと三十軒ほどでしょうか」

「三十も」

「はい。例年それくらいは出ていたと思います。熊手のお店の他にも屋台が出てますから、なかなかにお祭り気分が盛り上がります」

「熊手の店だけでも非日常感あって盛り上がりますよね」


 沙綺羅が楽しそうに言った。


「熊手ですか」

「はい。伝統的なものもよいですが、お代替わりしたお若い方のも面白そうですよ」


 真乎はタウン誌を広げて見せた。


「三の酉限定縁結び熊手、この熊手を持って境内のフォトスポットで撮影すると良縁に恵まれる、って、なんですか、このハート型の額束がくづかは」


 掲載されている写真の小さな社の前に建てられた鳥居の額束には、赤銅板を打って形を作ったと思われるハートが取り付けられていた。


「ここの祭神は、日本武尊やまとたけるのみことでしたよね。東征祈願に東都の神社に立ち寄り見事祈願叶った御礼参りに神社に立ち寄ったのが十一月の酉の日だったと。武具の熊手を神社の前の松の枝に掛けてお参りしたそうです。だから酉の市では熊手を商うんですね」


 沙綺羅が納得したばかりと頷いている。


「熊手は戦装具だったのです、お勇ましいこと」

「商いも戦だってことなんですかね」

「戦って富を得るという意味では」

「それから、火伏の火産巣火神、この縁結び鳥居のところにおわすのは、弟橘媛おとたちばなひめ


 沙綺羅はタウン誌のコラムに目を通しながら言った。


「日本武尊と弟橘媛はご夫婦ですから縁結びというのはわかりますが、少々安易なような気もします」


 真乎はしゃがむと片膝をついて、風呂敷包みを撫でながら


「町起こしの工夫ではないでしょうか」


 と言った。


「町起こしですか。そういえば移住プロジェクトも立ち上がってるんでしたよね。そんなに人が減っているようには思えませんけど」

「学校の数は減らなくても学級の数は一つ、二つ、減ってますよ、ここ十年ほどで」

「え、それって、けっこうな数字ですよね。イベントごとがある時は、老いも若きもお子さまも、とにぎわってますけど、外から来てる人なのかな」

「これといった特色のある町ではありませんが、お祭りや縁日、市が立つとなれば、行楽の方は立ち寄ってくださいます」

「でも、その時だけですよね」


 今のところすぐに町が無くなるようなことにはならないと思われるが、駅周りの繁華街から郊外に行くにつれ、人の気配より獣や人でないものの気配が濃厚な場が増えてきている感じはあった。

 猫ちぐらのドロタボウの一件も、そうした町の変化に呼応しているように思われた。


「確か、縁結びのアイデアは、熊手作りのお代替わりしたお若い方のようですよ」

「ということは、今年から、ですか」

「そのようです」

「若者を呼び込むための工夫ですか」

「つなぎとめる工夫でもあるのでしょう」


 真乎のさりげない一言が清澄な晩秋の空に消えていった。


「なにも縁結びは恋だの愛だのばかりではありませんしね」

「あ、そう、そうですよね」

「お代替わりの方はIターンだそうですよ。熊手職人のおうちの方の跡継ぎがいないそうで、以前訪れたこの里町が気に入っていつか移住しようとお考えだったそうです」

「そうなんですか、それは奇特な」

「ご自分なりの価値観を見出す方が増えるのはよいことです」


 よいことだと口にしているのに真乎の声のトーンは平板だった。

 沙綺羅はそれには気付かず、よいしょっ、と掛け声と共に風呂敷包を持ち上げた。


「さあ、行きましょう。さっさとこれを返して、ごちそうしてください」

「そうですね。この子もご実家でくつろぎたいでしょうから」


 二人は鳳神社の境内を進んでいった。


 

 


 

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