人間が近寄れるように
じき店の奥から芳ばしいほうじ茶の香りがしてきた。
「ほっとしますね」
「はい、ほっとします」
店の奥の販売カウンターの脇に木製のワゴンがあり栗の木をくりぬいた木目の美しいお盆が置かれている。お揃いの茶托と菓子器が載っている。菓子器には栗まんじゅうが残っていた。
「ほっとしすぎで食べすぎではないですか」
沙綺羅に指摘されても真乎はにこにこしながら栗まんじゅうに手を伸ばした。
「ごはん代わりですから」
「栄養が偏りますよ」
「大丈夫です」
「何が大丈夫なんですか」
「お野菜をいただく週、お肉やお魚をいただく週、お米やパンやめんをいただく週もありますから」
「それでバランスとれるんですか」
「とれますよ。ちなみに、今週は、和菓子をいただく週なのです」
「本当に和菓子しか食べないんですか」
真乎は小首を傾げると、人差し指で口元をぬぐった。
「主食が、ですよ。ご心配なく」
沙綺羅はこの話題はここまでだとため息をついてほうじ茶をすすった。
「それにしてもきれいですね。色合いも模様も」
沙綺羅は天鵞絨貼りの箱にずらりと並べられた指貫を見て言った。
「きれいなだけではないんですよ。糸を重ねてあってどの部分にも針の頭を押しつけることができるんです。金属に穴を打ったものだと、その穴のところに針の頭を納めなければなりません。ちょっとしたはずみでそこからずれると、指をけがしてしまうこともあるのです」
「なるほど、小さくてかわいくて実用的、最強ですね」
「最強ですか、面白いことをおっしゃいますね、沙綺羅さん」
「面白いですか」
「はい、面白いです、沙綺羅さんはいつも興味深いことを言ってくださいます」
真剣な眼差しの真乎に見つめられて沙綺羅は慌てて湯飲み茶わんを抱えて顔を隠すように飲み干した。
「よろしかったら手にとってご覧ください」
と、客人に勧めるように言うと真乎は一つずつ手にとって模様を説明しだした。
「こちらはうろこ、こちらは青海波、それから、鹿の子、市松、矢羽根、菱繋ぎ、ここらへんは伝統模様ですね、奇をてらってなくても、光沢のある絹糸をふんだんに使ってあるので陰影ができて奥行のある色彩が生まれています」
「細かな作業ですね」
「家の仕事の合間に、端切れや端糸を使ってせっせと作ってらっしゃるそうです」
「これらも骨董なのですか」
「骨董的価値のあるものと今出来のものが混ざってますね。このままお客さまには見ていただいて、お客さまのお好みを観察してみるのも仕入れの参考になりますね」
「仕入れの参考ですか、さすが仕事だとしゃん、とするんですね、真乎さん」
沙綺羅のつっこみに真乎は微笑で返した。
「指貫と、てまりもありますよ」
「てまりって、まりつきのてまりですか」
「いえ、こちらのてまりは、飾りものです。吊るし飾りにぴったりです」
真乎は両手に華やかな小ぶりのてまりを載せてみせた。
「華やかですね」
「糸の掛け方で、季節のお花や古典模様ができるのです。伝統の手わざですね」
「季節感が感じられていいですね」
「はい、こうした手仕事は豊かな気持ちにさせてくれます」
「てまりもてりふりに出すんですか」
「そうですね。模様の研究をさせていただいてからでしょうか」
「真乎さん、作るんですか」
「指貫とお揃いで作ろうかと」
「楽しそうですね」
「はい、手仕事は楽しいです」
日常の動作はおっとりのんびりの真乎だが、こと手先を使うことになると迅速丁寧な器用さを発揮する。
端で見ていて沙綺羅はいつも感心していた。
おみやげだという指貫やてまりを見せてもらって、日本の手仕事道具の実用性と装飾性の話を真乎が説明しながらのお茶の時間。
のどかな時間が流れていた。
「そういえば、返したんですか」
ふいに思いついたように沙綺羅が言った。
「え、何をですか」
「あれですよ」
「あれ?」
素でとぼけている真乎に沙綺羅はええっと、と眉を寄せる。
「猫ちぐらです」
「ああ、あれですね」
「そうです、まだここにありますよね」
「そうでした。返しそびれてました」
妖怪がおさまっている猫ちぐらを、クライアントから引き取ったままだった。
市をのぞいたり出没しそうな所を当たってみたが、当の売り主が見当たらなかったのだ。
「なかなかお会いできないのですよね」
「後ろ暗いからしばらく市には出ないんじゃないですか」
「そんな殊勝なお方ではないのですが」
「さっさと返してしまいましょうよ」
沙綺羅はそう言うと、真乎の祖母が作った和布のクレイジーキルトの裾近くに置かれた猫ちぐらを指さした。
「ここのところさっぱり売り上げが伸びないのは、きっとあれのせいですよ」
「そうでしょうか。私の企業努力が足りないからですよ。ヒトのせいにするのは感心しません」
「真乎さん、怪しげな気を発しているものが置いてあったら、人間は近寄ってきませんよ。それにヒトじゃないです、あれは。それこそ企業努力というんだったら、人間が入りやすいように、店内を清らかに浄らかに整えることからじゃないんですか」
「なるほど、さすがです、沙綺羅さん。納得の助言です」
真乎はあっさりと沙綺羅の指摘にうなづいた。
「では、次の酉の市にのぞいてみましょう」
「酉の市は熊手屋しか出てないんじゃないですか」
「確か、あの店主は、三の酉の日は必ず出てました。もちろん骨董と一緒に熊手も並べて」
「そうだったんですか」
「はい」
「わかりました。ええっと、三の酉の日は、今度の日曜ですね」
沙綺羅は壁に掛けられたカレンダーを確認した。
「日曜はお店お休みでしたよね」
「お得意さまの日です」
「ご予約入ってるんですか」
「平日は埋まってますが、その日は今のところはありません」
「では、日曜の夕方に来ます。酉の市は夜ですよね」
「昼間も屋台は出てますが、本番は日没後です。でも、少し早めに出かけておやつをいただきたいところです」
真乎は湯飲みを置くと猫ちぐらの方に歩いて行った。
「ほうっておいてごめんなさい。今度の日曜日にあなたのご実家にお連れします」
猫ちぐらを撫でながら真乎はやさしく話しかけた。
反応はなかった。
「さあ、ほうじ茶、もう一杯いただきましょう」
真乎は猫ちぐらを撫でる手を止めて言った。
「お茶の葉入れかえますね」
沙綺羅は応えて急須を持って立ち上がった。
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