はい、そういうものです

 ミドリノ相談室は、真乎の祖母の店小間物屋てりふりの二階に二つ並んでいる一般的な間取りの一室をそのまま使っている。


 スコープのついている鉄製のドアのカットグラスの凝ったノブには、アラベスク模様の浮き彫りに縁どられた木製のボードが掛けられている。ボードには「ミドリノ相談室」と、こちらは沈め彫りでやわらかな雰囲気の文字が彫られている。


 ドアを開けて入ると、まず目に飛び込んでくるは、廊下の突き当りのリビングへとつながる扉だ。アールデコ風な幾何学模様で百合の花とキャンドルが象られているステンドガラスがはめ込まれている。夜、灯りをつけたら、さぞ幻想的で美しい情景が浮かぶだろうと思わせる造形だった。


 バリアフリーの入口からすぐの左側にトイレがありその隣りはバスルーム、廊下をはさんで右側に引き戸の収納スペースがあり、真乎はそこを書庫にしていた。突き当りのドアを開けると、右側はキッチンになっていて、ダイニングルームにつながっている。

 キッチンはオープンカウンターだがカフェカーテンで目隠しをしてあった。

さらに、アンティークレースを使った衝立がオープンカウンターの前に置かれていて、その向こうが待ち合い室兼応接コーナーになっている。


 ダイニングルームの奥には二つ部屋があり、右側は真乎の書斎で左側が相談室だった。書斎は畳敷きで、文机が置かれていて、大ぶりの座布団が一重ね壁際に寄せてある。座椅子の背もたれにはモチーフつなぎのブランケットが掛けられている。


 部屋数はあるが一つ一つはそう広くない。

 相談室に使っている部屋は東側に窓が、南側にベランダがあり、開放感のあるつくりになっていた。最も相談中はブラインドを降ろし遮光カーテンを閉めていることが多いので、太陽の光の恩恵を受けることは少ないのだった。


 事務所兼として使うのにあたって、靴を脱がずに利用できるようにしたらと懇意にしているリフォーム業者に言われたが、真乎はそこは譲らなかった。

 当時のことを思い出しながら、真乎は我ながらがんばったものだと自分を褒めたくなった。




「人さまのお宅に土足で入るのはいかがなものでしょうか」

「そういうものですか」

「はい、そういうものです」


 懇意の業者は真乎の物言いには慣れたもので無理強いはしない。


「自分のうちにお招きするのは、それは、もう、緊張するものなのですよ」

「そういうものですか」

「はい、そういうものです」

「お仕事だと割り切っていてもですか」


 それには答えず真乎は茶托にのせた蓋付の湯呑み茶碗をすすっと差し出した。


「まあ、確かに、昔馴染みの方であっても、こうしてお茶をいただきながらの歓談でも、仕事となりますと探り合いですからね」


 今さらながらなことをあえて口にしながら、懇意の業者は湯呑み茶碗を両手で持ってくくっと飲んだ。それから茶托に目をやると、


「これは、鎌倉彫りですかね、彫りは椿ですか、お店で見かけましたかな」


 と言った。


「当たりではずれです」


 真乎は同じシリーズのように見える茶托を手にして言った。


「彫りました」

「そうでしたか」

「こちらはお預かり品で、気に入ったので私が買い受けました。一つでは寂しいので、見よう見まねで彫りました。模様は少し変えてあります」

「手先の器用さは先代ゆずりですね」

「はずれではずれです」


 懇意の業者は、はっとして、言い直した。


「先々代の、でしたね」


 真乎はにっこりすると、手にした茶托を業者の茶托の隣りに並べた。


「外のあれこれをまとって、ご相談のお客様はお疲れになってこちらにいらっしゃいます。玄関で孔雀の羽根ほうきでほこりをはらっていただいて、踏みつけにしてきたものが憑いている靴を脱いでいただいて、気持ちを改めていただいて、それから、じっくりゆっくり、ご相談をお受けするのです」

「なるほどねぇ。外のあれこれに、踏みつけにしてきた憑きものですか」

「はい、お客様には、極力外のものを玄関に置いてからにしていただきたいのです。それでも、お客様には残っているものがあるのです。ご自分の芯に絡まってるもの、ご自分でもどうにもできないものが」

「自分でもどうにもできないってのは、困ったものですな」

「はい、困ったものです。ご本人が困ってらっしゃってるだけではないので」

「それは、それは」


 自分の意志でどうにもできないものは、何をやってもだめなんじゃないだろうかと懇意の業者は思った。

 だからこそ、あやしげなものにすがる人間は後を絶たない。

 ミドリノ相談室のことも、真乎を子どもの頃から知っているから、不穏なカウンセリングもどきとは思わないが――最も真乎は自分の仕事はあくまで相談であってカウンセリングではないと言っているが――知らなかったら必要以上に関わろうとはしなかっただろうと業者は思っている。

 とは言っても、外部からはフリーカウンセラーと認定されていて、協会に所属しないかとしつこく勧誘されているらしいのだが。


「困ったものなのです。ですから、ご相談にみえる、ご相談に連れられていらっしゃるのです。ご病気とも違うので、行き場がわからず、どこからも断られて、こちらにたどり着く方も多いのです」


 そう言いながら真乎は業者の背の壁をじっと見つめている。


「何か、見えますか」


 懇意の業者は不安になって言った。


「古い建物ですから、祖母が子どもの頃はもうあったそうなので。何か見えることもありますでしょう。染みか、お化けか、幽霊か、怨霊か、家霊か、妖怪か、付喪神か、あやかしか、ええっと、壁紙を張り替えてもあやかしの類のもやもやは消えないので、普通に相談者様がくつろげるような、明るくて落ち着いた色彩の者でお願いします」


 真乎はごく当たり前のことのように言った。


「ああ、わかりました、残念ながら私は見えない性質たちなもので、いえね、職業柄、その方面に知り合いもいますが、まあ、こちらでは出番があることは今までなかったのでね」


 真乎は、ふっと軽く息をつくと、


「お引き留めしてしまいました」


 とにっこり笑った。


「では、お見積もりは出来上がり次第送ります」

「よろしくお願いします」

 

 そのようなやりとりがあって、リフォームは壁紙の張り替えと水回りの整備、ベランダの補強といったもので予算内におさまった。




 真乎は、相談室の窓とベランダの戸を開けて換気をしながら、深呼吸をした。


「さあ、では、始めましょうか」


 窓と戸を閉め、ブラインドを降ろして、遮光カーテンを閉めると、真乎はやわからな光のライトをつけた。


「どうぞ、お入りください」


 真乎はドアを開けて声をかけた。


 






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