実用と神聖
相談室には毛足の長い絨毯が敷かれていて、部屋の中央にオーバル型のローテーブルが置かれている。左手、東側の窓際に革張りのロングソファが一台、右手、西側の壁よりにカウチタイプのソファが一台、ベランダへの出入り口の前に猫脚の二人掛けのソファが一脚、配置されていた。
「応接間のようですね」
字宮が言った。
「はい。フラットな感覚はだいじですから」
すまし顔で真乎は答えた。
「フラット、ですか」
字宮は少し戸惑っているようだった。
相談にきたのに、フラットと言われては、どうしたらよいのか戸惑うのは当たり前だ。
「お好きなところにお座りください」
促されて字宮は部屋を改めて見回すと、革張りのロングソファの入口寄りの端に腰掛けた。
真乎はそれを確認すると、猫ちぐらをローテーブルの上に置き、ローテーブルをはさんで字宮の斜め前に座った。
「え、それってありですか」
字宮が声を上げた。
「はい、ここでは誰でもお好きなところにお座りいただけますので」
真乎はそう言うと、毛足の長い絨毯に両足を投げ出してローテーブルに両肘を着いた。
「はーっ、足を投げ出すのって楽ですね」
字宮はローテーブルの下からにょっきり出ている細い足首にぎょっとすると目のやり場に困って咳ばらいをした。
「さて、リラックスできたので、始めますね」
真乎は足を引っ込めると、体育座りから一転すっくと立ち上がって猫ちぐらを抱えると、今度は字宮が座っている革張りのソファの反対側の端に座った。
はずみをつけて座ったからか、ぽすっという軽い音がした。
「場所を移動するのもありですか」
「はい、そうですね、どうでしょうか。お好きな場所に先客がいらっしゃっる場合もありますし」
「家族相談ですと、そういこともたびたびあるのではないですか」
「ええ、まあ、守秘義務がありますので詳しくは申し上げられませんが、特別なルールはこちらでは設けておりません」
「それだと、立場の強い者や、我の強いものが、有利になってしまうのでは」
真乎は字宮の言葉にじっと耳を傾けている。
けれど、答えを口にすることはなかった。
「では、今度こそ、始めますね」
真乎は正座すると肩にかけていた大判のシルクスカーフを膝にかけ、その上に自作の猫ちぐらを置いた。
字宮はリラックスどころか身の置き所がない状態だった。
「藁というものは、実用的であるとともに神聖なものでもあるのです」
真乎が猫ちぐらを撫でながら言った。
「はあ、そうなんですか」
「はい、そうなんです」
異を唱える間もなく真乎のペースで進められていく。
「たとえば、こちら、ご覧になったことはありませんか」
真乎は猫ちぐらに手を入れると、プリントした写真を取り出してひらひらさせた。
それから右腕を伸ばして写真を差し出した。
字宮は左腕を伸ばして写真を受け取った。
「これは、ああ、見たことあります、奥山に行く途中にありました」
写真には、道路の脇の古木の桜にわらをなって作った太い縄の蛇が巻きつけられていた。
「確か、辻切り、でしたか」
「ご存じでしたか」
「私の故郷なので。祖母からききました。正月の神棚のお供えを、和紙で包んで目玉にしてましたよ」
「稲わらは日本人の命のもとだるお米――稲の一部であることから神聖なものとされてきました。その神聖な稲わらでつくった蛇に、悪疫や悪霊が入ってこないようににらみをきかせてもらうために、五穀豊穣を願って目を入れるのですよね」
「そうです、そうです、お米、麦、豆、粟、
「よい思い出なのですね」
「それは、楽しかったですよ。子どもの頃は、しがらみだの何だのわかりませんからね。ただもう甘やかしてくれる祖母と一緒に過ごすのがうれしかったんですよ」
そう言いながら字宮は写真を目の前に持ってきてじっくりと眺めた。
「あれ、これ、目が片方しかないですね」
そう言って字宮は真乎の方を向いた。
猫ちぐらを撫でていた真乎の手が止まった。
「辻切りは五穀豊穣を願って祀られます。その目はお正月の年神さまが聞し召されたものをさげて入れます。尊いものです」
「鳥か動物が食べたか」
「鳥や動物でしたら、両目とも、ではないでしょうか」
「そういえばそうですね。では、呪いか何かで人が持ち去ったとか」
「人が食べたのかもしれません」
「え、でも、お供物は火を通さない生のままのものですよ、人は食べないのでは」
「人を超えた状態であれば、その方なりの回路で口にするかもしれません」
真乎とのやりとりで字宮はだんだん不安になってきた。
「まさか、食べたのは」
字、宮は息を詰めた。
「これを食べたのは」
真乎は猫ちぐらの中に手を入れると、さらに一枚写真を取り出し、宙に放り投げた。
字宮は慌てて立ち上がると手を伸ばして写真をつかんだ。
「これを食べたのは、字宮叶恵さんです」
真乎は猫ちぐらを両手で抱えて頂き部分に左頬を付けて字宮をまっすぐに見つめた。
「彼女が、なぜ」
茫然としている字宮の手から写真が離れ、ローテーブルの上に落ちた。
写真には、髪を振り乱し視線の定まらない字宮叶恵が写っていた。
古木にしがみついてよじ登ったのか、縄の蛇にまたがって右手で蛇の目玉を掴み、左手で五穀をこぼれんばかりに握り、さらに頬いっぱいに五穀を口に含んでこちらをにらんでいる。
にらんでいるが何も見えていないようだった。
「これは、いや、確かに彼女ですが、いや、違う、違うものだ」
字宮は頭を抱えると革張りのソファにどすんと倒れ込んだ。
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