第672話 クロスステッチの魔女、《名刺》を交換する
「では、イルミオラ様。私達はこれで、失礼します」
私はカバンから《ドール》達の顔を出すようにしてしまい、席を立つ。イルミオラ様は「そうか」とだけ言った後に、ポケットから何かを出して渡してこられた。
「私の《名刺》だ。水晶の波を教え込んであるから、自分の水晶にかざすといい」
「これがですか……これがですか!?」
「イルミオラ、やっぱりこれは《名刺》には凝りすぎてるよ」
受け取ったものに震える私の横で、お師匠様もそう口を挟んだ。私に渡されたのは、美しく透き通った水晶の小鳥の像。それも、単純に簡略化したものではなく、まず私の手の中で立っていた。簡単に羽と嘴の形だけつけてもいいものを、ちゃんと目までついている。
「あたくしはね、前々から《名刺》と言うからには、水晶の波を覚えて注がせられる《名刺》が作りたかったんだよ」
それで小鳥の形を選び、中にイルミオラ様のお話用の水晶の《波》を刻んで、ついでに少々見た目に凝っていたら、こんなことになった。……と、あっさり仰った。
「私の、あの、こんなのしかないんですけど……」
くるみボタンを渡すと、普通の顔で受け取ってくださる。でも、簡単な魔法のくるみボタンとこんな小鳥では、釣り合いが取れる気がまったくしなかった。
「大事に飾っておくことにします……」
「別にしまい込んでてもいいのに」
そんな会話をする横で、お師匠様からは「昇格したんだから、早めに《名刺》は作り直すんだよ」と釘を刺された。縫い物をする前に、そっちの方が先かもしれない。多分、しばらくはラトウィッジも入れて家でゆっくりするつもりとはいえ、いつかは今のように《名刺》を配るんだから。
「帰ったら、ラトウィッジの寝るところを整えて、《名刺》も作って、魔法の練習もしないと」
「やることが多くて大変ね」
「でも、楽しいので!」
人間だったら、やりたいことが沢山あってもやる時間がなかった。そう思うと、魔女の時間がとても長くても、『やりたい』で溢れてしまうのだ。そんな私に軽く笑みを浮かべて、イルミオラ様はスカートの裾を摘んだ上品な礼をした。
「アルミラの弟子、よければまたおいで」
「ありがとうございます、イルミオラ様!」
「今回は世話になった、感謝するよ」
私達もなるべく丁寧な礼を返して――やっぱりこれも練習しないとな――、お師匠様が見慣れた《扉》を広げた。そのリボンでできた取っ手を握って開けば、向こう側にあるのはお師匠様の家の景色だ。
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