第586話 クロスステッチの魔女、最後の巡礼宿につく
何度か戸を叩いて待つと、内側から戸が開いた。そこには小さな老婆が立っていて、私の方を「おやおや」とどこか値踏みするような目で見てくる。
「こんなところまで、まあ、よくおいでくださいましたなあ。ささ、お入りください」
「失礼します」
「「「お邪魔しまぁす」」」
私達が宿の中に入ると、外観から薄々わかっていたけれど、今まで泊まった中で一番こぢんまりとした巡礼宿だった。多分、人が来ることをほとんど想定していないのだろう。鉄を鍛えたり、炭を焼いたりするような、火仕事をする人間にとって火の精霊は大切なものだ。けれどレーティアの山は遠いし、何より危ない。だから、あまり人は来ないものだと思って、こんな小さな宿にしたのかもしれない。街道だって、このあたりからは離れている。
「ごめんなさいねえ。こんなところに人が来るのも、滅多にないものだから。それにしても、魔女様だなんて初めて見たわ。魔女なら、こんなところに泊まらず、飛んで行けてしまうのではなくて?」
上品にそう笑いながら、マギーと名乗った彼女は私に部屋を用意してくれた。払いきれなかった埃の臭いが少しあるけれど、ほとんど人が来ない宿屋にしては立派なものだ。ベッドも、思っていたより大きい。
「お夕食と、朝はどうされて?」
「いただけるなら、いただきたいわ」
「そちらのかわいいお連れ様達は、どうするのかしら?」
「この子達は私の砂糖菓子を食べるし、少し分けてやるだけで大丈夫よ。取り皿さえもらえればいいわ」
私の答えを聞いたマギーは、頷いて厨房があるだろう方角に消えていった。私はカバンを置き、簡単に旅装を解いてからベッドに転がる。
「これで最後の巡礼宿ですね、マスター」
「ええ。全然誰も出てこないときは焦ったけど、泊まれてよかったわ。最悪、誰もいない宿で屋根とベッドがあるだけの素泊まりになるところだったわね」
あれはあれで楽しいし、安くつくとはいえ、今回は遠くない距離をほぼ野宿で来たのだ。少しくらい、なんというか、優しくされたかった。そんな会話をしながらゆっくりしていると、いい匂いが漂ってくる。多分、これはヤギのミルクだろうか。どんな料理を食べさせてもらえるか、楽しみだった。
「魔女様、お夕食ができましたよぅ」
いつの間にかうたた寝をしていたらしい。マギーの声ではっと目覚めた私は、同じようにうとうととしていた三人を連れて匂いのする方に向かった。そこではマギーが、ヤギの干し肉のミルク煮を用意してくれていたので、ありがたくいただく。どこか懐かしく、おいしい味だった。
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