第393話 クロスステッチの魔女、石鹸屋に行く
翌朝。チーズをのせたパンと温泉でゆでたトロトロの卵で朝食を取ってから、宿に荷物を置いて出かけることにした。
「温泉で茹でると、卵って不思議な感じになるのね。これ、家で作れないかしら?」
「普通の水で卵を茹でるのとは、訳が違うようなんです。中々うまく他所では作れないと言って、美食家や料理人がニョルムルの卵を食べにも来るんですよ」
「トロトロで好きー!」
「この黄身の部分が好きです」
などと、朝ごはんは楽しい時間にできた。部屋に置いていく荷物と言っても、カバンの中から裁縫道具をいくつか置いていったくらいだ。元々お師匠様からもらったカバンに大体のものを入れて歩いているから、置いていくものはあまりないのだけれど……うっかり部屋を空にして、もう帰る人だと思われるのは嫌だったから、念のため。最悪、盗まれても困らない普通の道具だ。
「それじゃあ、ちょっと石鹸屋に行ってきまーす」
「はい、いってらっしゃいませ、魔女様」
丁寧に一礼されて見送られ、私は朝の空気の中を《ドール》達と歩き出すことにした。朝もやの空気の中、角笛の音がする。多分、門が開く音だろう。これから人がニョルムルの街に出入りするようになるのだろうと思いながら、その音を聞いていた。
「マスター、石鹸屋さん以外も楽しそうですね」
「そうね、こんなに沢山の店があるんだもの。宿以外だって沢山あるみたいだし、これからが楽しみだわ」
軽くパンを食べて出てきているのに、おいしい匂いの前についもう少し食べたくなってしまう。とはいえ、まずは今日の目的を果たしてからにしようと決めて私は教えてもらったいくつかの店の中の、一番宿に近いところから見てみることにした。
「ごめんくださーい、あいてますかー?」
「……今開けます」
コンコンとノッカーを叩いておとないを告げると、しばらくして扉が開いた。筋肉質の男性が出てくるのと同時に、扉の中から濃い石鹸の匂いがやってくる。
「その首飾り……魔女様ですか。石鹸を買いに来たので?」
「ええ。この冬はニョルムルで過ごすと決めたのだけれど、手持ちの石鹸が心許なくて。それに、石鹸だけを売ってる店が沢山あると聞いたわ! だから見に来たの」
「どうぞ、お入りください」
深く一礼した男はよく鍛えられた体つきをしていて、私には石鹸屋というより兵隊のように見えた。石鹸を作るのは確かに、体力のいる仕事だけど。
「すみません、実は石鹸作りの途中でして。お急ぎでないのなら、売り物の石鹸を見ていってください」
口数の少なそうな男は、そう言って私たちを店にあげると奥に引っ込んでしまった。
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