第362話 クロスステッチの魔女、またもおつかいを託される
「実は、手のひら大の《ドール》の体は、ひとつだけ作ってみたのがある。弟子の元に置いて行ったと思うから、一筆書いてあげよう」
エヴァはそう言って、私に筆記具を貸して欲しいと頼んできたので、持ってる中で上等なものを貸してあげることにした。かつての魔女ならいざ知らず、羊飼いの妻として小さな村に埋もれて暮らすのに、文字を書く機会はあまりなかったらしい。子供達にも村の人にも字を教えたんだよ、とエヴァは手紙を書く用意をしながら言った。
「はい、羽ペンにインク……紙はいいの?」
「いつか使おうと思ってた、いい奴をこっそり手元に残していたんだ。アルミラにも返事を書くから、ふたつ用意するよ」
長くなりそうだから数日待ってておくれ、とのことなので、ゆっくり待つことにした。村で普通の羊毛を糸にするのを手伝ったり、たまに山で出くわした獣を狩って皆で食べたり、そんなことをしながら考える。
「魔女をやめ、永遠を手放し、醜く老いて、あるいは老いる前に死ぬ人生を、どうやったら受け入れられるのかしら。私達は美しいものを追いかけ続けるために、人間として生きて死ぬことを捨てたのに」
そのつぶやきがぽろりと漏れてしまったのは、滞在させてもらっている部屋で瓶に補充する液を作っている時だった。小さな魔法の火にかけてトロトロになった液体を濾して冷ましている間の、手持ち無沙汰。
「エヴァ様は魔女をやめられて、元のおうちに帰られた……わけではないですよね」
「お師匠様のご友人よ? 家自体がもうなくなってる可能性も高いわね。第一、魔女をやめても元の家には戻れないわよ。私と違っていい家のお嬢さんから魔女になった人が多い分、そこはちゃんと決まってるって話だもの」
私には関係のないことだけれど、最初の頃にそう言われた。だから例えばメルチが魔女になった後、やっぱり問題を解決できたからと言って魔女をやめても、本来の姫君の身分に戻ることはできない。元の身分から外れるとは、そういうことなのだ。魔女になり魔力が育てば年は取らなくなるから、余計に。幸いなのは《肉なし》の魔女達でも、魔女をやめれば時間が押し寄せるのではないことだろうか。エヴァに結婚して、子を産んで、老婆になるだけの時間が改めて流れていたように。
「手紙ができた。私の弟子のところまでおつかいに行ってくれたら……私の作った体が残っていたら、そいつをあげるように書いてある。もしなかったら、弟子に作ってもらいなさいな。安くさせるから」
「ありがとうございました、エヴァ様」
「アルミラにも弟子にも、元気で幸せな婆になってると伝えておくれ」
私にそう言って手紙を渡した皺くちゃの手は、確かに美しかった。
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