第354話 クロスステッチの魔女、山を越える

 山の中を越えて山頂まで辿り着くのに、数日かかった。山の中で人間や魔女に会うことはなく、時折見かけた魔物には襲われたら倒しつつ、山を登った。


「いくら日が落ちてきたとはいえ、今日中に山頂に辿り着けそうなのに、もうお休みされるんですか? もしかして、どこかお怪我でも……?」


 違うわよ、と顔の前で手を振る。道中で拾っていた小枝に魔法で火をつけ、火を焚いた。


「……昔の真似をね、しようと思って。朝一番に山頂に行って、そこで日の出を見るの。あ、真似じゃなかったわ。それが許されるのは大人だけだったし、あれは新年の風習だったわ」


「マスターの故郷の習俗なんですね」


「大人は新年に、村の裏手にある小高い峰の上から朝日を見られたのよ。その光を浴びると家に幸福を持ち帰ってくると言われていたの。子供は危ないからダメ、って言われて……まあ、冬の山なんだから当然よね。大人達もよく行ってたものだわ」


 随分と懐かしい、そんなことをふと、思い出したものだから。その日は早く寝て、夜が明ける前に起きた。

 まだ薄暗く、星も月もなく暗い中を、簡単に片付ける。あらかた綺麗にしてから、ルイスとアワユキを起こした。


「おはようございます、マスター」


「おはよぉ主様ぁ」


「うん、おはよう。まだ眠いかもしれないけど、ちょっとだけ登ろうね。そしたら山頂でお茶にしようか」


 はぁい、と返事をする声が揃っていた。私は冷たい空気を目覚まし代わりに、あと少しを登る。幸い、日が昇るより早く山頂に辿り着けた。

 まだ頭の上には夜の名残と消えかけの星があり、東の方を向けば地平線がじわりと白んでいる。お茶を淹れて座っている間にも少しずつ白と金色は広がり、やがて太陽が姿を表す。


「「「わぁ……!!」」


 感嘆の声が、自然と漏れた。ターリア様よりも偉大な魔法使いとは自然のことだという格言を思い出す。やがて太陽は夜の名残を完全に振り払い、青空のドレスも空に翻された。お天気に恵まれて、いいものも見られて本当によかったと思う。


「ここで朝ごはんも食べましょっか」


「もう一度お茶もしたーい!」


 いつもと変わらない朝ごはんでも、心なしか特別な気分になれた。食べた後は、熱々の紅茶で一服。ほう、と熱い息を吐き出すと、そのままいくらでもまったりできてしまいそうだった。


「っと、いけないいけない。あんまりのんびりしすぎてちゃ、だめね」


 足に根が張る前に、と立ち上がり、片付けた後で私は箒を取り出した。山頂を蹴って飛び出せば、目的地はそんなに遠くない……ひとまずは。

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