第352話 クロスステッチの魔女、山登りをする

 私は箒を降りて、歩き始めることにした。靴はいつも踵の低いものを履いているから、こういう時に支障はない。


「なんだかんだと言って、マスターはずっと飛んでると思いました」


「平地と違って、高いところの薬草には背の低いものも多いのよ。飛んでると見逃しちゃうわ」


 これは本当のことだ。適当に踏み込むと魔女でも遭難するし、まず私が不安になってしまうので――飛べば大体のことは解決するとはいえ――大人しく山道を探すことにした。幸い、魔法を使う前にすんなりと見つかったそこに足を踏み入れる。魔女が好んで摘む草と、人間が欲しがる草は大体違うから、山道の側にも沢山生えていた。


「こういう道は、人間が作ったんですか?」


「そうね、魔女はそんなに必要ないもの。私は安心のためにここを通ろうとしてるけれど、どんなに変なところへ分け入っても飛べばいいからね。小さい山なら私もそうするけど、さすがに今回は高いわ」


 麓から降り仰ぐと、雨を含んで重い雲が山の先端を隠しているように見えた。本当に雲より頂上が高い山ではない、と空を飛んでいた時は思ったものの、自信がなくなってきたから、歩くことにして正解だったかもしれない。


「こういう山はね、山の向こうに用のある人間達が出かけていくのに通るのよ。そうやって誰かの通った道を後の人も真似をして通るから、段々道が踏み固められていくの。魔女が管理する山や森には道がないけど、人間が出入りする場所はちゃんと道があるのも、そういう理由なんですって。言われてみたら、確かにそうだったわ」


 魔法や世の中のことをお師匠様に教わった見習いの頃のことを思い出しながら、私はルイスやアワユキにそんな話をした。元々が精霊であるアワユキにとって、道というのは意味のないものだろう。けれど元が人間で、今は空を飛べるとはいえ本来は歩くものであるルイスには、面白い話のようだった。


「弟子入りしてあの家に行く時、私、あんまりにも道ひとつないところを行くものだから、あの辺りにはお師匠様の家しかないと思っていてね。後で挨拶回りに他の魔女の家に行った時、案外近くにたくさん住んでるものね、って驚いたもの」


 そんな話をしながら、いくつかの役に立ちそうだったり、私の庭にない草を摘み取って歩いた。それから燃やせる枯れ枝に、食べられる木の実を少し拾っていると、日が翳ってくる。


「主様、楽しそうー! 山のこと、好きー?」


「あら、そう? 最初に叩き込まれた知恵が、山で生きるためのものだったからかしら」


 アワユキがそう言って頭を擦り寄せてくるのを撫でてやると、少し冷えた風が吹いてきた。

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