第331話 クロスステッチの魔女、《ドール》の記憶に寄り添う

 私はそっと、ルイスのひび割れに指を這わせた。指先が、薬液に触れたのとまた違うピリピリとした感触を伝えてくる。荒れた魔力が、触れた私の指先を痛めつけてきているのだ。


「ルイス、早く戻っておいで。魔法は下手かもしれないけど……私は、あなたを大事に大事にしたいから」


 かわいいルイス。忠実で誠実な子。真面目で、アワユキのいいお兄ちゃん。そんな『今のルイス』に、戻ってきて欲しいと願う。


 願いが通じたのか、はたまた別の理由か。傷だらけの夢は揺らいでとろけて、また別の光景の像を結ぼうとしていた。糸がほつれていくように、光景が少しずつぶれて、形を失っていく。月と星は変わらず――夜。夜霧に包まれていくようにして、物置やルイスの姿が溶けて失せた中に、夜だけがある。夜。誰かの荒く弾む息の音が聞こえる。

 まるで言葉つなぎの遊びのように、ひとつの記憶から別の記憶が引き出され、さらに別の記憶へと繋がる。それらの前後に繋がりはなく、覗き見ている私にも、ルイスにもきっと、何が起きてるかはわからないものだった。


 例えば――獣に襲われる誰かの姿。伸ばした手は小さく、何の力も持ちやしない。無力感。


 例えば――誰かが淹れてくれた紅茶の甘い香り。真っ白い上等な磁器。誰かの楽しそうなおしゃべり、暖かい安心感。


 例えば――球体関節の手足を、しげしげと眺めた記憶。《ドール》としての最初。大きな制作者の顔を見上げることはできない。


「ルイス、ルイス」


 この子が見ている夢は、すべて過去のものだ。私との記憶はない。それが悲しくて、自分の手もろくに見えない中で手で顔を覆って泣いていた――と、思う。

 また光景が歪んで、顔を覆っていた手も消えた私に景色が飛び込んできた。


 ――またしても、粗末な部屋。吹雪の光景。吹き込む隙間風。藁と布にくるまって、転がされている子供が一人。けほ、けほ、と弱々しく咳をして、紅潮する頬は病気と熱の証だった。


(病気の子供を一人で……助からないと思ったのか、看る大人もいないのか)


 珍しい話ではなくても、やりきれない気分になった。私がかつて暮らしていた頃と大差ない生活環境では、薬は滅多に買えるものではない。


『あなたは今から、お人形になるの。魔女に従い、人間としての生を捨てて、熱い血も柔らかい肌も失って、それでも生きてられるわ』


 弱々しく、子供の目が開いた。今のルイスと同じ、銀色の髪に赤い目が映える。生前のルイスだろう、きっと。

 何かこのまま見ていたら、とても大切な光景を覗き見てしまうことになっていたのだろう。けれど実際は、その前にこの記憶もとろけて消えてしまっていた。

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