第326話 中古《ドール》、本を捲る
最初はただ、あれ、と思っただけだった。思えば僕の中には、いくつもいくつもそれが積み重なっていることに。――思いを馳せて、しまった。
――迫り来る獣の姿。僕より大きくて、僕はそれを見上げることしかできない。僕には剣もなく、手で頭を庇い悲鳴を上げるのが精一杯で。これは、いつの僕の記憶? マスターと出会う前なのは確実だ、だってマスターは僕を僕より大きな魔物や獣とは戦わせてくれない。僕が手柄をねだり役に立ちたいと言っても、彼女は首を横に振るばかりだ。
ページを捲る。ほとんどは塗り潰され、毟り取られ、確かなものはマスターに名前をいただいてからの日々だけ。それはきっと、どんな宝石よりもキラキラした宝物の思い出だ。これは無くしたくない、と必死に抱きしめていたいもの。それより前は、あまり……あまり、そう思えない。
(そういえば、僕は、昔の僕のことに、興味を持たなかった、ような)
マスターより字が上手に書けること。剣を持った時に、初めてではないような気がしたこと。他にも何かあったはずだけど、わからない。疑問はいつも拭い去られて、僕はマスターがくれる魔力と愛を受け続けていた。
暗闇が怖い僕のためにわざわざクッションを用意して、箒に乗せてくれたマスター。僕のために家具と食器を用意してくれて、服も色々と着せてくれたマスター。強くなりたいと強請れば、剣と師匠を探してきてくれたマスター。
『――その人のこと。本当に信じてもいいの?』
顔の見えない、誰かの声がする。ひび割れて酷い声をしているけれど、何と言っているのかは僕の頭の中に染み出してくる。
『しあわせだけを感じるようにして。疑問や違和感を拭い去るようにして。それは魔法によるものでないと、どうして言い切れるんだい?』
違う、と反論したかった。でも声がうまく出せなくて、言えない。マスターがそんなに軽々と魔法を使える人なら、僕なんかわざわざ買わない。新品の、綺麗で、マスターの言うことになんでも染まるような子を買うはずだ。
『ねえ。自分の過去に興味はない?』
声に惑わされるな。僕は今がいいんだ。でも、手が勝手に本を捲る。過去を辿ろうとする。
粗末な姿で店先に転がり、埃にまみれてうつろな眼窩を晒す僕が見える。売れないねぇ、とぼやく店主の声。僕の中の魔力を引き出し、僕の外見を整え続ける服の魔法とその痛み。
――それより、前。売り飛ばされるよりも前。僕の姿が、見えた。ひどくヒビの入った手足が壊れてしまわないように、震えている自分の姿を、見た。
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