第317話 クロスステッチの魔女、オオカミと出くわす

 雪の上を踏む足音。獣の匂いがして、少し身構えた私の様子を見てルイスが腰の剣に手を構えた。相手がどんな獣か……種類と、それからお腹が空いているか、相手の状態によってはすぐに逃げ帰らなくてはならないから。


「あまり害意はなさそうですが……マスター、僕の後ろに」


「う、うん」


 頼れる子になっていたルイスの後ろで、私の頭にかぶった刺繍がフルフルと震えて、『魔女様だ』と声を伝えて来た。灰色の毛に雪を被った、青い目のオオカミがゆっくりと歩いてきた。


「……話しているのはあなた? 森の兄弟」


『そうだよ。魔女様は俺達とも話せるの?』


「魔法の練習中なの」


 ルイスに警戒を解くように言って、私はしゃがみ込み、害意のなさそうなオオカミと目線を合わせた。森の兄弟、と咄嗟に口から出たのは、人間だった頃にオオカミのことをそう言っていた誰かの言葉を覚えていたからだった。


「大人しそうなオオカミさんですね」


『魔女様は色々と、不思議な匂いがするね。土と焼き物の匂いと、雪の匂いがする』


 オオカミは多分、若い雄なのだろう。好奇心にきらめいた瞳で私とルイス達の匂いを嗅いでいて、襲ってくる様子はなかった。お腹が空いてはいないらしくて、本当に良かった。


「魔女だもの。あなたは、魔女に会ったことはあるの?」


『ん-、父さんと母さんが言っていたのを聞いたことあるだけ。この森には何人か魔女が住んでたりするから、近づくときは礼儀を持ってちゃんとするんだよ、って』


 確かに私、エレイン、そしてお師匠様が、同じ森の何か所かに別れ別れで住んでいる。顔が見えるほどの至近距離で暮らしていた人間だった頃と違い、ご近所さん、としての意識は昔より少し薄い。けれど、オオカミ達によってはそういう認識のようだった。


「ちょっと、あなたの毛に触ってみていい? 痛いことはしないから」


『? 毛づくろいみたいなものかな。いいよー』


 あっさりと耳を伏せさせて、オオカミは私に頭を触らせてくれた。おそるおそる触れてみると、硬い毛並みの感触が伝わってくる。毛皮の下には命の脈打つ感触とぬくもりがあって、獣が死んだ後の毛皮を撫でた時の感触とは全然違う。


『これ、気持ちいいー! 魔女様ありがとー!』


 かぱっと開けた真っ赤な口の中には、鋭い牙が沢山並んでいる。オオカミだからだ。でも聞こえてくる言葉は呑気なものだし、その落差でなんというか、どうにかなってしまいそうだった。でも、かわいい。気持ちいい。もう死んだ毛皮には戻れない気がした。

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