第270話 クロスステッチの魔女、家に帰る

 エレンベルクに入ってから、家に着くまでは三日かかった。案外遠かったというか、気の向くままにふらふらと飛んでいるうちに変な方向まで行ってしまっていたらしい。


「あ、マスター! あれ、家じゃないですか?」


 ルイスが指差した先に見覚えのある屋根を見つけ、その上でリボンの鳥がくるくると旋回する様子を見て、やっぱりほっと安堵の息が漏れた。私の家。小さいけれど、私の家。何か月もの旅を終えてきてみると、青々としていた夏の葉は皆色づき、赤や黄色の秋の森になっていた。吹き抜ける風も心地が良く、私の頬を撫でていく。


「そうね、家だわ! いやあ、こうしてみると帰ってきたって感じがするわね」


 箒でゆっくりと着陸して、我が家を見上げる。そう、ここが私の家だ。山でキーラとして十数年暮らしていた時の家でもなく、お師匠様の家で二十年修行していた時の家でもなく、まだ数年しか過ごしていないここが。「自分の家」として魔法が案内したのも、ちゃんとここだった。方角で山の家じゃないことはわかっていたけれど、少し、そのことに安心した。


「たっだいまー!」


 結界を解いて扉を開けると、さすがに結構な埃の匂いがした。思わずむせ返ってしまい、「ルイス、アワユキ! 窓開けて窓!」とすぐに声をかける。二人は私と違って本当の意味では呼吸が必要ないから、むせ返ることもなく窓を開けに行ってくれた。


「えーっと、確か、こういう時の魔法は……普通に風を入れるだけじゃちょっとだめだな……」


「風の精霊を呼んだら―?」


「アワユキ、頭いい!」


 私は家の裁縫箱から小さな四角形の布と針と糸、それからキラキラと光る粉の入った小瓶を出してきた。お師匠様からもらった魔法の図案の本の中から、精霊を呼び出すためのページを探す。四等級の私に扱える、最下級の精霊の召喚をするものだ。そういえばアワユキはどれくらいの精霊なのか、あんまり気にしたことがなかった。今度、聞いてみてもいいかもしれない。今はそれより先に、風の精霊召喚の刺繍を作っていく。薄い草色の布に、風の欠片と呼ばれている石を煮込んで染めた糸で、渦巻きや円の模様を刺した。魔女の砂糖菓子と光蝶の鱗粉を置いてから、指先を針で突いて一滴の血を魔法円の中心に垂らし、本に書かれている魔法の言葉を囁く。


『おいで、風の声。草を駆ける者、火を吹き消す者。シルフィー、シルフィー、少しその袖貸しておくれ』


 一番ちゃんとした方法を取ったから、これでできるはずだ。魔法に魔力を通すと、中心に小さな渦巻きが生まれた。

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