第271話 クロスステッチの魔女、精霊を召喚する

 村娘のキーラから魔女見習いになって最初に驚いたのは、魔女はほとんど呪文を唱えないということだった。吟遊詩人や語り部の婆様が語る物語では、まじないの言葉を唱える魔女達が何人も出てくる。だのに弟子入りしてみれば、お師匠様が呪文を唱えることはほとんどなかった。


『お師匠様、歌物語の魔女達は呪文をたくさん持っているのに、どうしてお師匠様は呪文を唱えないんですか?』


『魔女の魔法は針仕事と、それを美しいと思う心から生まれる。それは覚えてるね?』


 確かあれは、弟子入りして一年くらい経った頃のことだったか。寒い冬の日、暖を取るための魔法をただの色糸で練習していたことを覚えている。どんなに立派にお手本通りの刺繍ができたとしても、素材そのものには魔力がなくて魔法には一手届かない作品を作っていた。


『古い物語の魔女が呪文を唱えるのは、美しいと思う心をより強く持つためだ。例えば……、あー、知ってる呪文と場面はあるかい?』


『はい! 私の故郷だと魔女戦士アンナエアの物語が人気でした! 彼女が魔法の剣を振るって《コロルアルブス》と唱えると、不思議なことが起こせるって』


 つい立ち上がってしまった私を座らせて、お師匠様は少し苦笑していた気がする。古い物語の魔女と現代の魔女は魔法の使い方に大きな違いがあることが多く、魔女戦士アンナエアの物語は特にそうだった。魔女ダイアライアの方が、まだ魔法の使い方が現代に近い。


『魔女戦士アンナエアは特に古い物語だからね。刺繍や編み物で魔法が使えると発見される前だから、《美しいと思う心》を補うために呪文が必要だったのさ。今はそういうのを補うより良い物を作る方が確実だとわかっているし、何より、暴発しづらい。だからひとつの例外を除いて、今の魔女は呪文を唱えないのさ』


『例外、ですか?』


 その時に言われたのだ。現代の魔女が呪文を唱える、唯一の機会のことを。


『何かを呼び出す魔法の時は、もちろん言葉を使うさ。相手に呼びかけるには、言葉がなくては始まらないだろう?』


 ――そんなことを、思い返しながら。私は目の前に召喚した、風の精霊の姿を見ていた。

 とはいえ、精霊に決まった姿があることの方が少ない。私の魔力で呼べるような精霊ともなれば、そもそも自我が未熟……らしい。小さい子供に接するように接して、お願い事ははっきりと伝えるべきだと。


「ありがとう、風の精霊。この家の澱んだ空気を、窓から外に出してほしいの。できる?」


 チリチリと小さな鈴を鳴らすような澄んだ音がして、次の瞬間、ものすごい風が吹き荒れた。

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