第188話 クロスステッチの魔女、連絡を受ける

 お道具類を土の上に休めて、吹き込んできた風に一息つく。これから何をしようかとか、そんなことを少し思った。《ドール》達はすやすやと夢の中にいて、針休めをしているから私ができることはあんまりなくて。


「……本でも読もうかしら」


 本当に時々読む、本が一冊あることを思い出した。読み書きの苦手な私に、お師匠様がくれた本だ。まだ難しくない文章で書かれたそれを、時折思い出しては少しずつ読み進めている。まだ、最後まで辿り着けてないけれど。

 広げた本は重く大きく、四隅に鋲を打ってあるような本だったから、もらった当初は困り果てたものだ。絶対に気軽に読めるものではない、と。


(これで中身は物語集なのだから、お師匠様もお人が悪い)


 貴重な図案や魔法の本かと見せかけておいて、かすれた金文字のタイトルは『魔女の物語集』だ。中身はごく短い、魔女が登場するたくさんの物語達となっている。子供が暖炉の側やベッドで寝物語に聞かされるようなものから、酒場の詩人が語るバラッド、村の嫗の昔語り。そういう今までは口伝えに語られてきたものを、文字に残した本だった。知らなければ知らないで生きていけるというのに、文字というのはこういうところで重要性を示してくる。前に歯車細工の魔女と探検した洞窟にあった『文字のようなもの』も、正しく読み解ければ昔のことを教えてくれるのだろう。


「あった、前の栞」


 刺繍した布を貼って作ってあるけれど、この刺繍には魔法の力はない。代わりに本そのものが、書かれた当時を保ち続ける魔法を持っているそうだ。事実、何年しまいこんでいたってカビの匂いも虫食いもない。

 『白のアンナエアとロンウード王のお話』、『魔女クリムエアルのドレス』、『最初の《ドール》のお話』……様々なお話を、気が向いた時にひとつずつ読み進めていた。知らないものも多いし、知っているものでも文字として読むと違って聞こえるから不思議なものだ。


「今日の分は……『湖の底の国』? 人魚の国か何かかしら」


 読み始めようとした時、りんりんと私の中に波が打ち寄せてきた。魔女同士の水晶に、誰かが話しかけてきたようだ。音をさせてしまうと《ドール》達が起きてしまうから、私にしかわからないようにしたのは正解だったらしい。


「はい、クロスステッチの四等級魔女です」


『イヴェットは元気?』


 水晶を取り出して話しかけると、グレイシアお姉様の声が私に伝わってきた。はい、と返事をすると、『それはよかった』と安堵の声が返ってくる。


『本当なら今日イヴェットを引き取りに行くつもりだったんだけど、素材がまだ生きてるのよ。だからもう何日か預かって頂戴』


「構いませんよ」


 じゃあよろしく、と言いたいことを言って通話は切れてしまった。素材がまだ生きてる、という言い方には笑ってしまったけれど、要するにまだ仕留めきれていないようだ。

 イヴェットがもうしばらくいる分には、困ったりなんてまったくしない。そう思いながら、私は今度こそ読書を始めた。

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